ワシントン・ポストが死んだ日

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February 08, 2026 11:40 jst
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junichi ikeda

2026年2月4日、ワシントン・ポストで大量のレイオフが発表された。全従業員の3割を解雇し、その中には、報道部門の約800人のジャーナリストのうち300人以上が含まれているという。

合わせて、スポーツ欄が廃止され、メトロセクション(地元ワシントンDCのローカル欄)も大幅に縮小される。書籍セクションも閉鎖。毎日配信されていた報道ポッドキャストの「ポスト・レポート」も閉鎖される。

この「ポスト・レポート」は個人的にもお気に入りの報道コンテントだったので、閉鎖の報に驚いたのだが、実際、2月6日に最終版が配信された。7年間続いたサービスが突然終わったことには驚くとともに、ワシントン・ポストの苦境を実感することができた。

今回のワシントン・ポストの激震の中心にいるのが、2024年6月にエグゼクティブ・エディターに就任したマット・マレー。彼によれば、時代の変化に応じた対応だという。彼は古巣のウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)で編集長を務めたあと、ワシントン・ポストに移った。アメリカのジャーナリズムでは、オーナーがルパート・マードックということもあり、WSJは保守派・右派の報道機関と見られている。そこからの移籍ということは、ワシントン・ポストが2年くらい前から保守派の報道姿勢への移行を検討していたことを意味する。

つまり、ワシントン・ポストはこの2年あまり継続的にその報道姿勢・報道体制の見直しを続けており、今回、それがレイオフという形で具体化された、というわけだ。この見直しは、社主であるジェフ・ベゾスが2023年末に発行人として雇ったウィル・ルイスによって進められていた。

だから、突然のことには見えるが、抜本的な組織改革の必要性は2020年を過ぎたあたりから徐々に認識されていたわけだ。今後は、政治や地政学的案件などに報道の焦点を合わせていくいという

ともあれ、これをもって、往年のウォーターゲート事件をすっぱ抜いた報道の鏡である「ザ・ポスト」は終わった、死んだ、と見る報道で溢れている。当然、この状態を招いたオーナーであるジェフ・ベゾスへの非難も相次いでいる。

もっとも、こうした大鉈をふるう事態は随分前から予見されていた。

今回の件の報道で必ず触れられているのが、

第一に、2024年11月の大統領選で予定していたカマラ・ハリスの支持表明を取り下げ、今後、大統領選で候補者のエンドースはしないと表明したこと、

第二に、ベゾスが、他のビックテックのCEOたちとともに2025年1月のトランプ2.0の就任式に出席していたこと、

第三に、2025年2月に、ポストのオピニオン欄は今後「個人の自由ならびに自由市場」を扱うものに限ると発表したこと。

こうしたことからワシントン・ポストがメイクオーバーされるのは必至と見られていた。

実際、今年の春くらいから、ワシントン・ポストから著名なジャーナリストやコラムニストが続々と離職し、他の報道機関に移籍する様子を目にしてきた。ニューヨークタイムズやウォール・ストリート・ジャーナル、あるいは雑誌のアトランティックあるいはザ・ニューヨーカー、さらにはケーブルニュースのMS NOWなどに移っていた。

多くはトランプ2.0に擦り寄りながら上記の改革を進めたベゾスに業を煮やした結果だが、企業としてのワシントン・ポストからするとコロナ禍のあたりから業績が悪化し、赤字が続いていたことからくる経営環境の悪化が背景にある。

アメリカのジャーナリズムが危機的状況にあるのはもう十数年前から続いていることで、多くのローカル新聞が倒産したり、ファンドに買われて買い手を探していたりしている状態だ。存続できても、紙の発行はやめオンラインだけに移ったところも多い。

その上でこの数年は、AI検索が定着してきたため、検索結果から特定のニュースサイトに流れるトラフィックも減少傾向にあるという。

紙の発行をやめれば、当然、これまであったような政治欄、経済欄、文化欄、スポーツ欄のようなセクション単位の記事の制作は意味をなさなくなる。ジャンルの異なる記事をパッケージにする意味はすでに蒸発して消えている。だから、スポーツ欄をなくすという今回の発表も時流を見れば納得のものではある。

そういう意味では、ベゾスに買われていてよかったねという評価が一時期あったのも事実。他の新聞社が倒産の危機に瀕しているとき、ワシントン・ポストは、少なくとも社主が超富豪だったことで安堵できたときもあった。

だから、今回の大量レイオフの背後にあるのは、インターネットの登場や、スマフォやソーシャルメディアの普及がもたらしたメディア環境の激変だ。この長期トレンドから目を背けては判断を誤ることになる。

その点で、ポストOBのかつての編集者たちが、ジャーナリズムの存続を理念的に語るのは、かなり苦しい。古き良き時代のノスタルジーを語っているようにしか見えないことのほうが多い。

メディア環境としても、ビジネスモデルとしても、政治状況としても、紙の新聞が明確な存在感を持っていた時代と今とでは、違いすぎる。デモクラシーに、公正中立な報道は必須、というのはもちろんわかるけれど、それがサステイナブルになるための環境の確保もまた重要。

そう思うと、実は、ベゾスがオピニオン欄をリバタリアニズム的トーンで行くと決めたのは、今のMAGAな極右に乗っ取られたトランプ共和党の存在を考えれば、ぎりぎりのところでMAGAに対する防衛線を張っていたのではないか、と思えるときもある。

下院議長を務めたポール・ライアンやケビン・マッカーシーが連邦議会から去り、事実上Tea Party組が一掃された今の共和党からすれば、リバタリアン一派も風前の灯ではあるが、それでもリベラルか保守か?と問われれば、リバタリアンは保守の共和党に分類される。

イーロン・マスクやピーター・ティール、あるいはマーク・アンドリーセンといった、リバタリアンからオーソリタリアンに変貌した、いわゆる「テックライト」が共和党に寄り添っていることからしてもリバタリアニズムを報じていれば、とりあえずは右派扱いされる、ということなのかもしれない。

これまで何度も、ベゾスが社主から降りて、他のビリオネアやファンドにワシントン・ポストを売却するのではという噂も流れたことがあるが、その都度、ベゾスは否定して今に至っている。その意味では、このままワシントン・ポストが倒産し廃業する、ということはひとまずなさそうだ。だが、それでも、遂にワシントン・ポストも崖っぷちか?と広く世の中に思わせたことは大きい。

折しもワシントンDCは、どこの州にも属さない「特別区」ゆえに、大統領権限を行使するトランプ2.0によるメイクオーバーの渦中にある。その一部にワシントン・ポストの今回の一件も加えられることは必至だ。

こうして首都ワシントンDCの顔つきはどんどん変えられていく。首都の様相が変貌するということは、アメリカ政治が変わったことの象徴であり、わかりやすい変革のシグナルとなる。その意味でも、ワシントン・ポストの弱体化は捨て置けない。