デモクラットは「地球に優しい」をいつまで続けるのか?

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February 04, 2026 15:38 jst
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junichi ikeda

日課となっているPBSのNews Hourを見ていたら、新刊『MEAT』の著者Bruce Friedrichのインタビューを扱っていた。

本のタイトルからも想像がつくが、いわゆる動物の肉に代わる合成肉の必要性を訴えその開発の道筋や進捗を伝えるもの。

著者のBruce Friedrichもこの分野のジャーナリストだと思っていたら、実は違って、彼自身が、Yコンビネータの出資で植物由来の合成肉を開発する非営利法人
The Good Food Instituteの創業者だった。つまり、著者はこの分野の当事者で、自分が従事している合成肉開発の提唱者、つまりはアクティビストだった。

そこで気になって彼の経歴を調べたら、もともとPETA(People for the Ethical Treatment of Animals:動物の倫理的扱いを求める人々の会)やFarm Sanctuaryといった動物の権利や保護団体で働いていた人だった。学歴も、ジョンズ・ホプキンズとLSEでそれぞれ教育学と経済学の修士を得た他、ジョージタウンで法学博士(JD)を習得した、いわゆる高学歴エリートだ。

したがって、彼が語る話は、動物の権利を守り、地球の環境を守り、その上で西洋人の肉食欲求にも応える「ウィンウィン」のものとして提案されていた。SDGの流れに乗るもので、確かにそうだな、と思わせられるものだ。

ただ、少し気になったのは、こうした「地球に優しい」政策提案を、トランピズムというポピュリズムに大きく旋回したアメリカでどこまでリベラルは、ということはデモクラット(民主党)はいい続けることができるのか?ということだった。

「少し」と書いたけど、実は「かなり」気になっている。

というのも、肉食のような食文化への介入は、一般の人びとへの影響が大きく、もっといえば、簡単に「反感」を抱かれてしまうから。

重要なのは「反論」ではなく「反感」であること。

つまり、長期的未来における人類の利益を考えると、肉食を控えて代替食糧を取ったほうがいい、というのは、頭ではわかるが感覚的には承認しがたい。いままで食べることができていたものが食べられない、というのは直感的に嫌だと思うだろう。Bruce Friedrichが言っていることは、いわば社会レベルでの集団食事療法の勧めであり、それは、特に自由が第一のアメリカ人にとってはきびしい。コロナの時と同じような締め付けを感じることだろう。

もちろん、Bruce Friedrichのような活動家が行う活動そのものを否定するつもりはない。理屈として納得できるところはあるし、そもそも彼が開発している植物タンパク質ベースの合成肉というのも、日本人なら素朴に豆腐でいいじゃん、ということになる。食文化の選択肢を増やして少しずつ変わっていけばいいじゃないかな、と。

ただ、こうした「地球に優しい」系の政策案件は、話が大きい分、扱う人も偉い人が多くなり、それゆえ、それが施行されるときは、トップダウンの強制的実行となることが多く、それこそ社会的反感や反動は生じやすい(日本で言えば、数年間に実施されたレジ袋の有料化、のような話)。

結局のところ、「地球に優しい」案件は、わかりやすく「社会工学的」で、それを自由を第一にするアメリカ人は拒む可能性が高い。「自由を第一」とわざわざ断ったのは、それは単に、地球環境保護に乗り気ではない共和党支持者や右派だけでなく、右でも左でもない「インディペンデント」の「センター」からも忌避される可能性が高い。

つまり、政策論点として提案するにはタイミングが悪いというか。少なくとも「アメリカ・ファースト」、ないしは「アメリカ人・ファースト」を感じさせず、それゆえ、自分たちの代表、として選択しにくい壁になり得る。

そうしたセンター向けの舵取りを意識的に行っているデモクラットは、いまのところ、カリフォルニア州知事のギャビン・ニューサムくらいなのも気になる。

ちなみに、『MEAT』のような「地球に優しい」案件はPBSのNews Hourでは一定の枠でカバーされているのだが、それは寄付金の提供者にそのような財団や団体がいるからのようだ。

なら要はスポンサーの意向か、といいたくなるところだが、これも「今」は微妙だ。というのも、知っての通り、トランプ2.0の大統領令によって、PBSは政府からの予算が消えて、活動に大きな制約が課せられているから。

実際、これまでホワイトハウス担当だった番組のジャーナリストが他のメディアに移籍したり、西部の番組制作拠点として提携していたアリゾナ大学が提携を解消したりと、見ていてわかるくらい縮小の一途を辿っているから。

だから、それでも寄付を続けてくれる財団の意向には逆らえない。だが、その結果、これも見ていてわかるくらい、ニュースの内容が、環境やWokeのものに以前よりも偏りつつあるように思える時がある。その一方で、取材先として共和党支持者が現れる場面も増えたのも確かで、バランスをとるのに苦労しているのがわかる。

したがって、総じてトランプ2.0の下でのメディア企業の対応としてはわからなくはないのだが、しかし、こうしたメッセージしかリベラルが公に発信できないとすると、選挙対策としてはきびしいものになるのでないか、という懸念は絶えない。

アメリカ・ファーストが席巻していくなかで、「地球に優しい」の原点が、60年代から70年代にかけてのいわゆる「成長の限界」論争から発していることも明らかになってきた。その頃から半世紀以上経った今、そのアピールの仕方にも修正を加える必要があると思うのだが、どうなのだろう? 今のアメリカで、「ヨーロッパはオワコン」と言われる時があるのも、直感的な違和感を覚えている層がそれなりにでてきていることの現れのようにも思える。

結論が簡単に出る話ではないが、しかし、頭の片隅にはおいておくほうがよさそうなテーマであることは間違いないだろう。

というか、人類のため、という理屈も、いまや、だったら地球の外にでればいい、というコスミズムのほうに、シリコンバレーを中心に振ってきてるから(マスクとかベゾスとか)、地球を閉鎖系で考えるというのが60年代の名残り、といえてしまうのかもしれない。

それも含めてブラッシュアップが必要か。今は、テクノロジーなら最後にはなんとかしてくれるという素朴信仰が流布した時代だから。