トランプには困ったけれどトランピズムには教えられた2025年

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December 31, 2025 18:42 jst
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junichi ikeda

波乱万丈だった2025年も終わるが、本当に今年は酷かった。

もちろん、酷かったのはホワイトハウスに返り咲いたトランプのせいだけど。200を超える大統領令によって、まさにトップダウンの強権発動で全て迅速に実行に移されてきた。

第1期のトランプ1.0のときは、その混乱はほぼアメリカ国内にとどまっていたので、アメリカ国外への影響は最小限に抑えられていたが、第2期のトランプ2.0は、とにかく「拡大されたアメリカ・ファースト」によって、その影響はアメリカ国外にまで及んだ。

関税戦争しかり、国際援助撤退しかり、ノーベル平和賞狙いの紛争解決仲介しかり、新世界=西半球=南北アメリカ大陸の「裏庭」化しかり。

もちろん、これらは国外に向けてのもので、国内はもっと破天荒。

その本質は、今更ながらの「国民創造」の試み。すなわち「アメリカ人とは基本的にクリスチャン、できれば白人クリスチャン」という枠組みに沿って、それ以外の人たちを区別する。その前段階として、これ以上の移民(とりわけ違法移民)の増加を抑えるために国境警備(特にメキシコ国境)を厳重にし、国内にすでに存在する違法移民を摘発し強制送還する。そのために、違法移民警察とでも言うべきICEを強化した。

911を機に国内テロ対策として設立された国土安全保障省(DHS)の取り締まり対象は、今やテロリストから違法移民に大幅に移行している(違法移民はアメリカ経済を蝕む潜在的なテロリスト、というロジック)。「マスク」というよりも「覆面」をして武装したICEの取締官が白昼堂々、違法移民と思しき非白人を捕らえる様子を捉えたビデオイメージは今では当たり前のようにソーシャルメディア上を流れている。まるでHBOのドラマ『ウオッチメン』の世界が現実になったような世界。

このICEの蛮行に対して抗議行動を起こした人たちに向けて、トランプ2.0は州軍を配備することで対処した。「州軍」という訳語を使うとちょっとニュアンスが伝わりにくいが、「州軍」として使われている言葉は「ナショナル・ガード(The National Guard)」、すなわち「国民防衛」のための武力、ということになる。おそらくはこの「ナショナル」という響きが、「アメリカ・ファースト」や「クリスチャン・ナショナリズム」、あるいは「ナショナル・コンサバティズム」といった「ナショナル/ネイション=国民」を政治思想的背景としてもつトランプ2.0の行動様式とも共鳴しているのだろう。

この「州軍=ナショナル・ガード」配備については、「州軍」と呼ばれるだけにもともとその命令権は州知事に属しており、それゆえ大統領の管轄を超えていると見なされている。そのため訴訟に持ち込まれている。先日、シカゴへの配備については裁判所の判事が違法だという判断から停止の命令が出されたところ。

「州の権限」の尊重、というテーマは、従来は共和党が持ち出す争点だったのだが、トランプ2.0で、いわゆるUnitary Executive Theory、すなわち政府における執行権=行政権の大統領による一元化=一本化=総括理論によって、アメリカを擬似的な中央集権国家に変える試みが取られた結果、もっぱら民主党の側がブルー・ステイト内の法的自立性を守るために持ち出す理屈となっている。

Unitary Executive Theoryについては、たとえばアダム・マッケイ監督の映画『バイス(Vice)』でも扱われていたように、1980年代の保守革命の頃から検討されてきていたもの。その理由は、当時はまだ連邦議会の多数派を民主党が握る、というニューディールの頃から続く民主党=リベラル優位のアメリカが続いていたから。せっかく保守派で共和党のレーガンが大統領になっても、議会多数派の民主党がその施策を妨害するという状態が続いていた。そこで、大統領の一存だけでなんとでもできる領域を広げ、保守派のアジェンダを、議会に諮ることなく強行するための理論として開発されていた。

そのUnitary Executive Theoryが、不思議なことに、今現在、大統領府だけでなく、議会の上院・下院の多数派の奪取にも成功した「トライ・ファクタ」の共和党のもとで敢行されている。

実はこの点が、この年末になって、再び疑問視されていることでもある。

なぜ、トランプは、全て大統領令でアメリカを作り変えようとしているのか? せっかく議会も多数派を占めているのだから、大統領令ではなく、議会の立法化によって法制化を進めればいいのではないか? という問いだ。これは、今年一年、アメリカの議会が事実上の機能不全に陥っていたことへの疑問でもある。

そこで浮かんできた「穿った見方」が、議員たちはみな、来年の選挙のことを考えていて、今年、アメリカで起こったことの政治的責任を全てトランプに負わせようとしているためだ、という説明。大統領令のまま放置しておけば、次の大統領が、問題視されるトランプ2.0の大統領令について無効化すればそれで済む。いわば、今はトランプ2.0による、これまで共和党が温めてきた「保守派アジェンダ」のお試し期間で、評判の悪いものについては、あとで取り下げればいい。そのための「オン・オフ」の自由度を守るためにも、大統領令にとどめたままにしておいたほうがいい。そういう考え方だ。

それに立法化過程に進めれば、当然、それは民主党から反対意見が述べられる。それでは、遅々として何も進まない。つまりやっていることは、“move fast break things”という、シリコンバレーの流儀と同じことだ。

とりあえず、思いついたものをとっとと作ってみて、それを市場にお披露目して、それで社会の反応を見る、よければOK、悪ければやりなおし、というプロセスを繰り返す、あのやり方。

その意味では、トランプ2.0の「大統領令」とは、テック企業が手掛ける「プログラム」のようなもの。

言い換えると、トランプ2.0が行っている「アメリカのメイク・オーバー」は、アメリカをゲームに見立てている。本来はシミュレーションで先行してやるべきものをいきなりリアルでやっているようなものだ。

それを議会共和党がトランプを「暴君」認定することで線を引き、ごくごく自然なことのように進めてしまう。

というか、むしろ好んで「暴君」に仕立てあげることで、すべての責は暴君にあり、という議論の余地を残しておく。アメリカの政党の本質が、選挙対策の全米規模の相互扶助ネットワークであることを思い出させてくれるエピソードだ。


結局のところ、2025年はトランプ2.0によって強制的にレッドピルを飲まされたような年だった。元祖『マトリックス』で、キアヌ・リーブス扮するネオがレッドピルを飲んでマトリックスが作った仮想の穏やかな世界を後にして「現実世界の砂漠」と対峙することになったように、トランプ2.0が振る舞ったレッドピルによって20世紀後半の現実を尽く幻想として意識させられた。

トランピズムによって、今ある社会が、人間社会の様々な取り決めによってファインチューンされた結果であることが明かされた。その過程で、アメリカの本質が軍事力にものをいわせたRogue Nation(ならず者国家)であることも自ら明らかにした。

もちろん、アメリカのそうした側面は911後のイラク戦争の頃から指摘されてきたことではあったけれど、その現実は、アメリカ自身によっても取り繕われてきた。その結果、アメリカをならず者国家と罵るのは反米感情に囚われた人たちで、多くは、いまだにアメリカを指導することができると自負する、西洋文明の先達であるヨーロッパだった。なかでもフランスの反米言説が目立っていたと思うが、それもアングロサクソンに対する劣等感の現れなどと解釈されることで、局所的なものにとどまっていた。というか、封じ込められていた。それが国際的な現実だったと思う。

ところが、トランプ2.0は、その長年、米欧の協調のもとで構築されてきた平和な国際社会という幻想を自ら破壊してしまった。

グローバルノースの盟主から、グローバルサウスの一プレイヤー、それも強大な一プレイヤーとして自らを位置づけ直した。ちょうどかつてウッドロウ・ウィルソン大統領が提唱した「国際連盟」への加盟を、アメリカ議会が否決したように。世界は、これまで常識だったと思っていたこと、標準だと思っていたことが尽く覆される世界に変貌した。

その結果、「これまで世界の常識」と思われていたことの成り立ちを改めてたどる必要性に迫られる。振り返ると2025年は、ほぼ毎日、そんなことが続いていた。

これまでの常識を粉砕していくトランピズムは、実に多くのことを学び直すきっかけを与えてくれた。不本意ながら、結果として「教えられる」ことは多かった。テックの世界で言う「アウト・オブ・ザ・ボックス思考」を、社会の成立基盤すべてに適応させなくてはならないような事態。

アメリカは時々極端に走るから怖い、と昔、言われたことがあったのだが、本当にそうだ。禁酒法時代を1万倍くらいにした大変な時代。

とにかく振れ幅の大きい年が2025年だった。MAGAにとってはハッピアワー、そうでない人たちにとっては悪夢のジェットコースター。

ただ、アメリカの存立基盤について日々、新たな疑問を抱かされて、それについて思考するという点では教えられるところは多かった。実に密度の濃い一年。

トランプのことはどうしても好きにはなれないけれど。


もっともそうした感情を抱くのは今に始まったことではないことは強調しておかないといけない。そもそも『ホーム・アローン2』にカメオ出演した頃から、とにかく苦手だった。

マンハッタンのユニオンスクエアにある大手書店バーンズ・アンド・ノーブル(B&N)に、主人公役のマコーレ・カールキンが紛れてしまったところで、そのB&Nから出てきたのが確かトランプ。もちろんその頃はトランプのことはよく知らなかったけれど、なんだかスカした白人のオッサンがでてきたなぁ、くらいのものだった。

で、次にトランプのことだとわかりながら、なんだかなぁと思ったのが、『アプレンティス』の第1シーズンのファイナルを見た時。確かマンハッタンのリンカーンセンターで収録したものだった。なんだ結局、最後に勝たせるのは、従軍経験を経て、軍の推薦もあってビジネススクール(確かハーバード)を出たMBAホルダーの人物か、そんなテレビ的に予定調和な勝者を選ぶのか、ホスト役のトランプは!、というものだった。

『アプレンティス』は、留学していた時の2004年に始まったのだか、よく言われるように、この番組がなければトランプの名が全米に知られることはなく、したがって大統領に当選することもなかった。トランプ時代を生みだしたのはNBCだった。

2016年大統領選の勝利は、ソーシャルメディアがなければ勝てなかった、とは、当選後の確か『60ミニッツ』あたりのインタビューでトランプ本人が答えていたと思うけれど、それ以前に彼が有名性を獲得した『アプレンティス』のようなリアリティショーの番組フォーマット自体、インターネットが普及したからこそ産まれたものだった。つまり、トランプは、マスメディアからソーシャルメディアへの過渡期に、上手く両者の間を立ち回ることで勝利を収めた。

ちなみに、2004年は、『アプレンティス』のほかにも、後にアメリカを変えるネタがいろいろと仕込まれた年だった。オバマのボストンDNCスピーチにGoogleの上場、たしかFacebookの創設もこのあたりだったはず。ドラマシリーズの『LOST』が始まったのもこの年で、つまり、インターネット的なコミュニケーション様式が、社会の周縁から中心に移り始めた時代。そう思うとやっぱりトランプも時代の産物だったわけだ。

それから20年経った現在、社会は、文字通り、情報化された、テックが前面に出た時代に変わった。トランピズムの台頭は、そのあたりの時流に右派の動きが上手く同調できたことが大きい。それがまた、彼らの言動が、なんだかんだいってアメリカ大衆の心を捉えてしまった理由でもある。少なくともGenZの若い世代は、いわゆる「本物が欲しい」「心の支えが欲しい」という衝動から、キリスト教を前面に出す右派に流れている。「心の問題」は、2020年大統領選で、ピート・ブティジェッジが、ミレニアル世代の一人として強調していたけれど、いよいよ、左派である民主党も、心の問題、スピリチュアルな要素に踏み込まなくてはならない時代に入った。

21世紀の第2四半期の始まりである2026年は課題が山積みのところからスタートする。文字通りの世代交代の時代の始まりだ。老害となったベビーブーマーが消えた後は、直後のX世代は飛ばされ、ミレニアルとGenZの時代になる。裏返すとそれは、無気力世代と言われたX世代が、ブーマーに楯突くことなく従い続けたことのツケなのだろう。となると、一気に時代は動き始める。そのキックオフとなるのが2026年である。