冗談のように聞こえるかもしれないけれど、アメリカのデモクラシーの危機を救おうと思っているのはどうやら女性だけらしい。
といっても、それは、ここのところの報道を見ていると、まともにトランプ政権の振る舞いに憂慮する発言をしているのが女性ばかり、という印象からなのだけど。
たとえば、この週末(12月13日、14日)でいうと:
PBSのWasington Weekに出演していたのは、司会のジェフリー・ゴールドバーグ(
The Atlantic編集長)を除けば、Anne Applehaum(The Atlanticスタッフライター)、Susan Glasser(The New Yorker スタッフライター)、Amna Nawaz(PBS Newshour アンカー)、Vivian Salama(The Atlanticスタッフライター)の4人はみな女性だった。
ちなみに、番組の司会がゴールドバーグ編集長ということでThe Atlanticのライターが目立つが、このうち、Vivian Salamaについては、つい最近までWall Street Journalのホワイトハウス特派員をしており、ナショナル・セキュリティや外交関係の専門家でもある。
あるいは、NBCのMeet the PressやCBSのFace the Nationとともに毎週日曜の報道番組の看板であるABCのThis Week with George Stephanopoulosに目を向ければ、パネルトークに登場した4人もすべて女性だった。登場したのはDoona Brazile (元DNCチェア)、Susan Glasser(The New Yorker スタッフライター)、Leigh Ann Caldwell(Puck ホワイトハウス特派員)Danielle Alvarez (元RNCアドバイザー)の4人で、今週は司会も女性アンカーのMartha Raddatzだったため、5人が全員女性。
Martha Raddatzは72歳と高齢だが、いまだに現場取材にも出向いている。今週もアルバカーキー(ニューメキシコ州)に州軍の配備状況のレポートに出かけていた。
もちろん、他のチャンネルを見れば、もう少し男性比率が上がるとは思うのだけれど、それにしても女性が多い。先ほど名前を上げた人たちは皆、政治報道、外交報道のプロで、雑誌寄りのAnne ApplehaumやSusan Glasserは、基本的に政治評論を書き続けているため、必ず歴史的知見を踏まえた状況分析から議論を始めるタイプの専門家だ。そして、どの人も、トランプ大統領を始めとした権威主義的リーダー、いわゆる「ストロングマン(強い男)」タイプの政治家を容赦なく批判し、デモクラシーの擁護を訴える。しかも、体制としてのデモクラシーだけでなく、それを支える基本的人権や国民国家の理想、平和的な国際協力についても必ず触れている。
要するに、冷静に現状分析を行う一方、人権や民主政の理想を力強く語る。残念なことに、そういうことを訥々と語る男性はあまり見かけない。絶対いるはずなのだが、男性はあまり前に出てこない。男性の場合は、むしろ、YouTubeやポッドキャスティングでインフルエンサーとして活躍している人が多く、その場合も、どちらかといえば、リベラルデモクラシーを批判する「カウンターエリート」として知られる人のほうが多いように思える。
ただ、その場合も、男性の多くは、bully(いじめっ子)のような言動が多い。この点については、年配の評論家から指摘されていて、たとえば、つい先日、日本でも邦訳が複数紹介されている保守派論客の重鎮David Brooksが、トランプと、グレッグ・アボット(テキサス州知事)、それにギャビン・ニューサム(カリフォルニア州知事)の3人を等しく、ただ「やられたらやり返す」の論理で動くだけのいじめっ子たちだと一刀両断していた。
いや、いずれも印象論にすぎないので、個人的な見解でしかないのだけれど、それでも、やはりデモクラシーの理想を正面から語るのは女性が多い印象は拭えない。裏返すと男性は理想が語れない、ということでもあるのだけど。
多分、ケア労働とか、ミソジニーとか、そうした性差と関わる基本的な言説とも関わっているのだろうけど。ただ今回は、とにかく女性ばかりのパネルが続いたことに素朴に驚いたことを記しておきたかった。
折しもアメリカでは、クリスマスが近づいているにも関わらず、ベネズエラと戦端をひらきそうな勢いにあり、上で紹介した女性のパネリストたちは皆、正面からその外向的な意味合い、国際政治の中での文脈などについて触れていた。
アメリカのリベラルデモクラシーの擁護に性差があるのではないか、という見立てはもう少し温めておいてもいいような気がしている。