ロバート・レッドフォードが亡くなった。享年89歳。
彼が高齢で俳優業から身を引いたことは、昨年のマーベル映画『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』で赤いハルクになる大統領役をハリソン・フォードが演じていたことで気づいていたのだが、そうか、89歳だったのか、と正直驚いた。
1936年生まれというから、日本で言えば昭和11年生まれ。立派なおじいさんだ。どうりで、彼の出演した映画についての記憶がリアルタイムの印象が薄いはずだ。彼の代表作を視聴したのは、80年代後半からのレンタルビデオ時代で、初めて代表作である『スティング』を観た時は、あの有名な「楽曲」が流れても、なんだか、電話の保留音を聞かされているような気がして変な感じだったことを覚えている。
レッドフォードが主演した映画で劇場で初めて観たものは確か、アフリカを舞台にした『愛と哀しみの果て(Out of Africa)』(1985)で、共演者は確かメリル・ストリープだった。
何が言いたいかというと、僕が映画を見始めた頃にはもう名優の域に入っていて、ロバート・レッドフォードという名前で観客を呼べる俳優だった。彼がイケメン俳優であったことは、日本語吹き替えが野沢那智や広川太一郎だったことからもわかる。アラン・ドロンなんかと同じ感じだった。
要するに、映画が映画として輝いていた最後の世代の俳優だった。今回の訃報で「1936年生まれ」であると聞いて、そう納得してしまった。
だが、それは同時に、現代的な「多様性の時代」を経たハリウッドでは印象が薄くなっていたのもやむを得ないことを意味する。
実際、先ほど触れたマーベル映画でも彼が出演した『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014)ではヴィランとして登場していた。
それも含めて、俳優としてのロバート・レッドフォードの印象は、21世紀に入ってからは今ひとつだった気がする。
代わりに目立ったのが、サンダンス・フィルム・フェスティバルの創設者としての映画人としての活動や、地球環境問題などについての活動家としての側面だった。つまり、若い頃に得た俳優としての名声を梃子にして、社会的活動や文化的活動へのご意見番として活躍するという姿だ。
報道各社の追悼記事にも活動家としての姿を強調するものが多く見られた。特にサンダンスについては、そこからソダーバーグやタランティーノが発掘された。演劇におけるオフ・ブロードウェイやオフ・オフ・ブロードウェイの役割を果たしていた。
個人的にも、ソダーバーグやタランティーノのほうが、リアルタイムで彼らのデビュー作や話題作を追いかけていたので、そうした新人の登場を支援したハリウッドの重鎮というほうが、レッドフォードの姿としてしっくり来る。
サンダンスで育った映画人は、アメリカではケーブルやレンタルビデオを通じて実現した「多チャンネル化・多メディア化」の時流の中で、裾野が広がった「映像作品への嗜好」に応じることで新しい時代を作った。だが、すでに、そのソダーバーグやタランティーノが、ストリーミング時代の「映像作品」を「製作」する側にまわっている。
劇場映画で名声を得た俳優としてのロバート・レッドフォードが亡くなったことは、事実として、劇場映画時代が消えいくものであることを歴史に記録するものになるのだろう。そして、ここからしばらくは、そうした映画人が徐々に鬼籍に入っていくことになるのだろう。それが一巡したとき、映像作品はどうなってしまっているのだろうか?