日常的にアメリカのテレビニュースについては、YouTubeなどのビデオサイトを通じて見るように心がけている。その中で、今まで最も中立的でバランスが良いという判断からPBSのニュースを見ることが多い。
「中立的」というのは、何か事件が起こった時、その評価について内外の識者を繋いで複数の視点で語ってもらうケースが多いから。
「バランスが良い」というのは、アメリカの国内ニュースだけでなく国外のニュースについても取り上げることが多いため。
もちろん、今ではトランプ2.0による政府予算の停止などの一件から、こうしたバランスの良さは、おしなべて「リベラルに偏向した報道」と見なされてしまい、中立性についても、PBSの社員のジャーナリストだけではカバーしきれないから外部の識者や専門家を呼び込んでいるだけだ、と皮肉る人もいる。
けれども、少なくともアメリカの事情に精通していない外国人が見るニュースとしては、適宜基本的な情報からコンパクトに解説してくれるのはととてもわかりやすくて重宝している。
特に、月曜の夜(日本では火曜の朝)の番組は、間に土日を挟むため、大きなニュースが起きにくい分、1時間の枠を埋めるために、必ずしも政局に縛られない、だが大事な争点について伝える編成が取られることが多い。
今回の2025年9月15日夜(日本では9月16日朝)のニュースでは、「アメリカの教育」が多角的に報道されていた。
番組の始まりは、先日(9月10日)、講演先のユタ州の大学で暗殺された右派の若手活動家でインフルエンサーのチャーリー・カークについてからだった。
31歳で殺害されたカークは、18歳のときに「ターニング・ポイントUSA」という保守の政治活動組織をたちあげ、トランプの台頭とともに活動の幅を広げていった。今では全米800の大学に支部を築き、GenZ(Z世代)の学生を保守の道へ誘っていた。2022年に新人候補のJDヴァンスがオハイオ州の上院選で勝利する際にもカークの力は大きかった。もちろん、昨年の大統領選で、トランプーヴァンスの二人が勝利するうえでもターニング・ポイントUSAの助力は大きかったと言われる。
そんなカークが暗殺されてしまったわけだが、暗殺場所が大学であったことを考えると、今のアメリカの大学は、文化戦争の最前線として、政治まみれの場になっていると思わないではいられない。
で、今日のPBSは、そのチャーリー・カーク暗殺事件の続報を行った後、アメリカの学生の「学力低下」の話に進み、その後にPragerUという右派のオンライン教育サービスについて伝え、一枠おいた後、最後に今どきの「思春期」の様子を扱った本を書いた教育学者の話を伝えて終えていた。
つまり、流れとしては、
文化戦争の最前線としてのアメリカの大学
学歴低下という問題(特にコロナ禍後に顕著になった学校離れ)
PragerUという保守派の教育ビデオ(アニメなど利用)の紹介
現代の「思春期」問題
という構成。
こうした流れで見ると、今のアメリカの教育は、基本的に文化戦争の文脈にどっぷり使っていて、ケネディ・ジュニアのMAHA運動に見られるように、科学的知見を忌避する親も多く、結果として、公教育の現場である学校(小中高)から自分の子どもを引き上げて私学や自宅で学ばせる親も増えている、そのための教材補助としてPragerUのようなプライベートの保守の教育プログラムが誕生してしまう、ということがよくわかる。
最後の思春期問題は、思春期は、「子ども」と「成人」を結びつける「橋架け」の時期であるという、従来通りのリベラルな教育の見方を確認するような内容だった。
ともあれ、この流れで見ていたら、あぁ、アメリカの教育は戦いだな、と感じないではいられなかった。安定的な「公的な視点」はもはやどこにもなく、どんな見方=言説に対しても、そのカウンターとなる対抗言説が用意され、その主張を行う人たちに一切の躊躇はない状態だ。
「中立的」とか「第三者的な客観性」ははなから廃棄されて、何を聞いても「敵・味方」の二分法を持ち出してくる。まさに「友・敵」の対立を「政治的なもの」の本質として指摘したカール・シュミットの見方そのものだ。
もともとトランプ2.0は、その方向に走り出していたわけだが、今回のチャーリー・カークの殺害で、トランプ2.0の要人たちは、トランプ大統領もヴァンス副大統領もミラー次席補佐官も、リベラルや左派を敵認定し排斥する錦の御旗を得た、という感じだ。
この8月には、エプスタイン・ファイルの公開を巡ってMAGAの間に亀裂が入ったように見受けられるときもあったが、その分断を補正することも含めてチャーリー・カーク殺害事件が利用されることは間違いない。そして、カークが若者を引き付けていたことから、新たに紡がれる保守の言説は、若者の意見を反映させたものとして提示される可能性も高い。大学はそのための文化戦争の舞台として活用されそうだ。大変な時代である。