クラッカー・バレル社のロゴ改変騒動が示唆する認知エンジニアリングとしての現代マーケティングの難しさ

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August 29, 2025 09:58 jst
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junichi ikeda

8月の終盤、夏の暑さにアメリカ人も半分やけになっているところで、一週間ほどのちょっとした「文化戦争」案件の騒動が発生した。

その騒動とは、クラッカー・バレル(Cracker Barrel)という、テネシー州レバノンを本拠地にするレストラン・チェーンが、ロゴの変更を実施したところで大不評となり、一週間でもとに戻すことになった。スタバやタコベルで経験を積んだ新CEOがV字回復を目指す施策として導入したものだが、ロゴの変更後、株価が12%も下落し、ファイナンス戦略としても無視できなくなった。株価はロゴを戻すと発表して9%、戻したという。

途中で、トランプ大統領まで、以前のロゴに戻すべきだとTruth Socialに投稿し、それもあってメインストリームメディアの注目するところとなり、全米が注目するニュースになってしまった。

もともとのロゴは、社名とともに樽=バレルと白人男性が描かれたものだったが、新しいものは、その樽と男性の部分を除き「Cracker Barrel」というものだけが残ったものだった。

この変更が不興を買ったのは、このいかにも南部的な、バーボン用の樽と白人男性を排除したのが、いわゆるDEI的な措置のように見えたからのようだ。数年前にバドライトであったような企業ブランドを巡る「認知」に関する騒動だ。

ただ当時と違うのは、ホワイトハウスの主がトランプであることで、トランプからすれば、文化戦争の現場への参入は、人気維持のための必須事項であることを示す事件となった。

折しも、ミネソタで、トランスジェンダーの人物が教会に銃で押し入り、礼拝中の子どもを殺害するという痛ましい事件が起こったタイミングでもあり、文化戦争案件の扱いの難しさを示している。

ちなみに非難轟々だった新しいロゴは、インターネット以後、デザイナーの間で広まった「ミニマリスム」の典型のようなのっぺりしたアルファベットだけのもの。インターネット登場後、大文字をすべて小文字にしてツルンとしたデザインに変えるのが流行ったがアレの延長線上にあるようなもので、パッと見、経営陣がゴーを出す「正解」臭の漂うものだった。

もっとも、右派に限らずノスタルジアが広まる中で、機能的の象徴のようなミニマリスムに踏み込むのは、明らかに悪手だったはずで、そこは新CEOが状況を見誤ったといえなくもない。

クラッカー・バレル社の創業は1969年で、インターステイトハイウェイができた時に全米各地で生まれた、ロードサイドで地元料理とお土産を売るタイプの店だった。同じ時代の1968年にレッドロブスターがフロリダで創業している。

だから、少し斜めから事態を眺めれば、創業時のクラッカー・バレルの売りが、当時でも希薄になっていた「南部的なイメージ」であったことを振り返るべきなのだろう。当時ですらノスタルジアの中にある南部を売りにしてロードサイドを旅する観光客を引き入れていたはずだ。だとすると、ロゴの変更は、確かに同社の事業の根幹を揺るがすものになったのだろう。

ともあれ、そのようなイメージで客を呼び寄せていたロードサイドビジネスの勃興期に創業し、南部を中心に業績を伸ばしていくうちに、競争相手が地元の飲食チェーンから、全米各地で勝ち残った「大手チェーン」が相手になった。新CEOがスタバやタコベルを経験している、というのが、クラッカー・バレル社が抱えた問題を示唆している。おそらく、レッド・ステイトからブルー・ステイトにも進出し、も文字通りの「ナショナル・ブランド」に転身するために、南部臭さのある、1972年以来利用しているロゴを外して、ある意味、無個性な透明なロゴに変えようとしたのだろう。だが、それに従来の顧客が噛みついた、ということだ。


この騒動が気になったのは、こんな個別の企業ブランド案件に首を突っ込む点で、「トランプのマイクロマネジメント」のよい事例であること。その一方で、意外と、リベラルの側でも旧来のロゴのほうがいいという声が聞こえること。つまり、この騒動の文化戦争の一つにすることにむしろ呆れたり疲れたりする人たちがリベラル側もいるようなのだ。文化戦争疲れを示す人たちも増えているのかもしれない。

もっとも、SNSが当たり前になったことで、マーケティングの実体が、少なくとも「ブランディング」の実体は、今では「認知エンジニアリング」といったものに近くなっており、マーケティングの原義とだった「市場化」とか「市場創造」とかいったものとは全く異なるものになっていることの事例ともいえそうだ。

「中央計画自由市場」という表現を、V・レードンヴィルタは、『デジタルの皇帝たち』では使っていたけれど、まさにそれ。自由市場というものが、スマフォを介することでいかに幻想に変わったか。

サード・アイならぬ、サード・ブレイン、第三の脳としてのアルゴリズムが、商品の購買に介入する。私本人ではなく、私のネット上のエージェントが代わりに購入を決める時代。

もしかしたら、今回の「クラッカー・バレル」騒動における、顧客やファンのヒステリックな対応は、こうしたヒューマンタッチの喪失そのものを新しいロゴが匂わせたことへの拒否反応だったかもしれない。

つまりはネット疲れの一環だ。

常に文化戦争と隣り合わせに展開する、現代アメリカ社会におけるマーケティング=認知エンジニアリングの難しさ。それを示唆する騒動だったことだけは間違いない。