Tim Wuの新著“Attention Merchant”が出版された。
Review: ‘The Attention Merchants’ Dissects the Battle for Clicks and Eyeballs
【New York Times: November 2, 2016】
Master Switchのときもそうだっだが、アメリカの法学者の本の場合、後々、裁判でも引用されるように、構成が歴史的で包括的。そのため、この本も現在に至る経緯が一通り総覧的に記されている。その分、日本の読者には、少々迂遠にも思えるところがあるかもしれない。その点でむしろ後半の部分に集中した方がいいのかもしれない。
もっとも、広告による製作費の補填を行い、その分売価を下げ読者数を増やす、そしてその発行部数をもとに広告主を見つけ……という好循環を生み出すことを試みたのが、1833年のThe New York Sunからであった、という話や、いわゆる大衆の心理誘導・操作を意味する「プロパガンダ」は20世紀に入ってから登場したものであり、その方法を考案したのはカトリック教会であった、という話は、やはり面白い。
「人びとの心のなかにアクセスする」ことが、プロパガンダの目的だったという件は、ドナルド・トランプがTwitterを駆使して大統領選に勝利したことを思うと、タイミングとしても興味深い。
アテンション・マーチャント、すなわち「関心の商人」とは、人びとの「関心」を仕入れて、それらを誰かに売りつける商売人のことをいう。要するに「広告屋」のことをいってるわけだが、ここでそういわないのは、もはや今日流通しているAdvertisingが古典的な意味で「広告」たり得ていないからなのだが。
日本では、「広告」という言葉に縛られているため、それこそ90年代くらいから「狭告」だの「個告」だのといっては自分たちの行動範囲を狭めてはやはりそれでは儲からないというので、結局手法は「広告」に帰る、というのを何度も繰り返してきている。
もっとも、これは個人的には以前から折に触れて強調してきているけれど、「広告」といっているのは日本でのことで、英語のadvertisingとは、原義でいえば「どこそこに向かわせる」という意味なので、もともと「関心惹起」のことを指している。だから、「関心を惹起する」手段であれば、はなからそれはマスメディアである必要はない。
Googleは検索結果を売るのではなく、「検索をしたいと思うくらいには関心が高い心理状態」を仕入れて売り出している。そのような現代において、そろそろ日本語の「広告」という言葉も耐用年数を越えているのではないかと思う。そのような状況の基本的成り立ちを振り返るのに、Wuのこの本は役に立つ。