AppleのCEOであるティム・クックが、BusinessWeekで、自分はゲイであることを公表した。
Tim Cook Speaks Up
【BusinessWeek: October 30, 2014】
Apple’s Tim Cook Says That He Is ‘Proud to Be Gay’
【New York Times: October 30, 2014】
社内では以前からオープンであったようだが、いわゆるアメリカの優良企業のトップとしては初めてのカムアウトだったようで、その分、メディアに与えたインパクトは大きいようだ。
Tim Cook’s Disclosure That He’s Gay Garners Sweeping Praise
【New York Times: October 30, 2014】
Tim Cook comes out on public stage, pulling secretive Apple with him
【Washington Post: October 30, 2014】
同性愛者らに、異性愛者同様の様々な権利を解放する運動はLGBT運動と総称されているが、クックのカムアウトは、彼が現在AppleのCEOである、ということもあり、運動の推進者たちからは歓迎されている。
このように、今回のクックの公表は、彼の「公人(public figure)」の立場からすると、様々な社会的コンテキストと繋がりを持ってしまうように思える。もちろん、その効果を見越した上での公表だと思われるが。
一つには、ここのところ、Appleに限らず、シリコンバレーの大企業については、雇用における多様性(diversity)の問題が取り上げられていた。雇用者の多くが白人男性だというものだ。クックの以前には、Facebookのシェリル・サンドバーグが、著者のLean-Inを通じて、女性の昇進の問題として先に取り上げていた。クックのカムアウトは、広く職場環境におけるダイバーシティの確保、という点で、サンドバーグの問題提起に繋がるものといえる。
クックは、深南部のアラバマ州の出身であり、彼のMBAの学位も同じく南部のノースカロライナ州にある名門デューク大学(これはタバコ王のデュークが設立した大学)で取得しており、その意味では生粋の南部人だ。その出身のアラバマ州におけるLGBTの扱いに対して、公平さを実現してくれるよう、彼は表明している。
件のBusinessWeekへの寄稿の中では、自らのカムアウトの意義について、マーティン・ルーサー・キングの発言を引きながら主張している。いわゆるキング牧師だ。そこから、わかるように、LGBTの動きは、社会的権利における、公平、平等、という点で、1960年代の公民権運動に連なるものと位置付けられる。そして、そのことからも明らかだが、この運動は、現在のアメリカの政局では、デモクラット(民主党)が支持するものだ。逆に、GOP(共和党)は主には宗教的理由からむしろ伝統的な婚姻の保持の方に力を入れている。
ここからわかることは、クックはデモクラットを支持しているのだろう、ということであり、となると、今が11月の中間選挙の目前であるというタイミングであることを考えずにはいられない。既に多くのアメリカジャーナリズムがクックのカムアウトを取り上げていることを踏まえると、少なくとも、選挙直前に、LGBTという論点にアメリカの一般の人びとの意識を向かわせることになる。つまり、投票における論点の一つとして注目が集まる、ということだ。この、選挙直前の公表である、という点は、やはり気にかけておくべきだろう。
もう一つ指摘すべきは、多分、今回のカムアウトが、大なり小なり「Appleのティム・クック」の対外的な性格付けに影響するだろうということだ。いうまでもなく、CEOの前任者でAppleの創業者でもあったスティーブ・ジョブズは、その存在がもはやレジェンドになってしまった以上、後続のCEOは誰であれ、ジョブズの強烈な個性との比較の下で語られることは免れない。それこそジョブズには、60年代の公民権運動と同時期にあったカウンターカルチャーの強い影響下にあり、自らも禅を実践するなど、彼の「創造性」にまつわる逸話に事欠かない人だった。そのため、後継者であるティム・クックについては、実務家としての評価が高いことは広く伝えられていたが、しかし、ジョブズのように、個人の存在を支えるもの、その影響下で個人が創造性を発揮したり、大きな意思決定をする核のようなもの、つまりは「個性」について語られることはあまりなかった。むしろ、一般的なAppleのイメージについては、クックよりもデザイナーであるサー・アイブが請け負うというのが、ジョブズ亡き後の対外コミュニケーションの基本方針であると思われた。クック自身も、Appleの対外的なスポークスマンの役割を彼に負わせ、アイブによって、新たなAppleのストーリーが語られることを進めているように思われた。
しかし、今回のカムアウトによって、クックの内面や個人史、そのような経験からなされるであろう彼の選択、すなわち、彼自身の価値観が明確に示されたことになる。先に示したように南部出身という個人史も、単に南部人として理解されることはなく、おそらくは、南部的な旧弊といかにぶつかってきたか、あるいは、折り合いをつけてきたか、などの観点からの関心を集めることになるだろう。もちろん、この先、クックが自伝を書くのかどうかはわからないが、しかし、今回のカムアウトは、クック自身の決断として、彼の個人史をアメリカの社会史の中に位置付ける意志がある、ということの表明であることは間違いないだろう。
こう考えてくると、「クックのApple」の下でも、「ジョブズのApple」と変わらず、Appleは「解放」や「自由」あるいは「挑戦」、それを象徴する「斬新さ」というイメージを持ち続けていく、ということになるのかもしれない。そして、創業者から続くそのような姿勢は、会社全体のカルチャーとして継承されていくことにもなるのかもしれない。つまり、Appleはブレない、というメッセージも同時に伝えたことになる。
バズが容易に広がるソーシャルメディアの時代である以上、クックを賞賛する声もあれば、クックに対して失望を表明する人たちもでてくることだろう。もちろん、クックとAppleは別の存在だが、彼がCEOを務める以上、彼に対する評価はAppleに重ねられることもあるかもしれない。それでも、Appleが単にジョブズの会社や、業績のよい企業、というコンテキストだけでなく、一定の社会的コンテキストを引き受ける用意のある企業である、というメッセージは伝わったように思う。その意味で、今後のAppleの動きと、クック自身の公人としての発言に注目したい。
いわゆる4強と呼ばれるIT企業、すなわち、Apple、Google、Amazon、Facebook、の中で、Appleだけが創業者を失い、今後の進路が危惧されるところがあった。Appleも普通の会社になってしまうのではないか、というものだ。クックのカムアウトは、この点で、一つの指針を与えるものとなった。そして、指針のある会社は、周りがその挙動を常に注目し、それ故、リーダーの役割を果たす。後から見れば、今回のカムアウトは一つの分岐点だった、ということになるのかもしれない。
(追記)
ちょっとわかりにくいところがあるように思えたので以下を補っておく。
カミングアウトという行為は、アメリカの場合、そもそも、その結果、次なるカミングアウトを呼びこむことで普段気づかないでいた社会に潜む事実について、人びとの理解を求めることが第一にされている。その上でそれらの事実を積み上げることで一つのムーブメントになることもある。つまり、一般に「スピークアップ(speak up)」といわれるものの一つに過ぎない。スピークアップとは、まずは声を上げて意見を表明したり、自分の立場を明らかにすることだ。
本件の場合、クックが出身のアラバマ州に対して触れているように、LGBTに該当する人たちにも、異性愛者同様の「社会的扱い」、具体的には、政府(連邦でも州でも市・郡でも)による各種行政サービスの扱い、企業における雇用上の扱い(採用や昇進など)、などについて平等で公正な扱いを求めるものだ。その根底には、「多様な人びとが共存する多元的な社会で出発点の扱いを同等で公正なものにしてほしい」という、社会的仕組みを整備してほしいという思いがある。この点で、アメリカ有数のトップ企業のCEOという「公人」であるクックがカミングアウトしたことに意味があるわけだ。