先日、FCCが新たなNet Neutrality Rule案を公表したことを受けて、当のNet Neutrality という言葉を生み出した、コロンビア・ロースクールのTim Wu教授が、インターネットが普及した現代におけるNet Neutralityの意義について論じたエッセイをThe New Yorkerに寄稿している。
NET NEUTRALITY AND THE IDEA OF AMERICA
【The New Yorker: May 16, 2014】
このWu教授のエッセイによれば、Net Neutralityを巡る議論は、インターネットにおけるパケットの制御方法に関わる、単なる技術的な課題として受けとめるだけでは全く不十分だという。彼によれば、この議論の根幹には、インターネットが普及した時代に一体アメリカ人はどのような国を望むのか、という大きな問題が存在している。
そこで、Wu教授が取り出すのが、アメリカ史を少しでもかじった人であれば誰もが聞き覚えがあるであろう「フロンティア精神」だ。「マニフェスト・ディスティニー」という言葉で有名なフレデリック・ジャクソン・ターナーが世に問うたものだ。ビジョンと忍耐力、そして幾ばくかの元手を持った者であれば、誰もが成功の機会がある世界、それがターナーの描いたフロンティアだった。
つまり、フロンティアとはどのような空間であるかというと、そこでは、情熱に溢れ、バカバカしいほどに楽観的な輩が、自分のやりたいことを口にし、自力で商売を始め、その結果何が起こるか見届けることができる。そのような場所だ。もちろん、成功が確約されているわけではないが、それでも、誰もが制約を受けることなくトライすることはできる。フロンティアは多くの人びとを惹きつけ、そこでの成功は、彼らがその場所で生活していく基盤となる。生き抜くための道具を与えてくれる。
ここで、Wu教授自身、アメリカの隣国であるカナダの出身であることには注目していいだろう。加えて、イギリス系と台湾系のハーフという出自から、アメリカ社会の中ではマイノリティに分類されるアジア系の一人である。そして、アメリカ外部からの新規参入者だからこそ、フロンティアという言葉を現代において衒いなく使えるように思えてくる。裏返すと、社会的梯子を上ることに大して期待をかけていない白人のビジネスマン層からすると、従来の経済機構の中で穏当な落とし所を考えることになりがちで、たとえば、次のForbesのエッセイなどが典型だろう。
Why 'Net Neutrality' Is A Dumb Idea
【Forbes: May 19, 2014】
このような企業行動や産業構造における合理性からの議論がある横で、Wu教授、がインターネットをフロンティア精神という観点から論じる時、その背後には、インターネットは現代のフロンティアとして、たとえばアジア系が成功しアメリカ社会に地歩を築くための「自由の土地」として機能しているし、これからも機能していくべきだ、という捉え方が控えているように思える。
ここでの議論は、オープン・インターネットを維持する理由として、インターネットは経済成長の起爆剤としてイノベーションを創出する基盤であるとするものと比べても、一歩踏み込んだものになっている。つまり、「インターネットがいつまでもイノベイティブな場としてあるためには、オープンであるべきだ、そのためにnet neutralityが必要だ」という、産業経済的な議論を越えて、社会/政治的な議論に転じている。「新たな移民を惹きつける魅力こそがアメリカ社会に活力を与え続けるはずであり、それこそがアメリカだ」という、アメリカ社会が長年抱き続けた自己像の維持にこそ、オープン・インターネットが不可欠だという論理構成だ。そのため、net neutralityは、フリースピーチやフリーマーケットのような、アメリカ社会に根付きアメリカ社会を駆動させてきた「理想像」に準じるものとしてWu教授は捉えている。
ところで、アメリカ社会の多様性という観点からすれば、この十年あまり語られてきたことは、ヒスパニック系人口の急速な増加であり、その数の力はアメリカ社会を根底から変えると言われてきた。しかし、その背後で忘れられがちなのが、トータルの人口数でいけば少ないものの、高学歴高収入層の一員として、社会的責任を追う機会が増えたアジア系の存在だ。
随分前から理工系の分野では、アジア系(中国、インド、韓国、台湾、ベトナム、等)の躍進が伝えられている。MITやスタンフォード、キャルテックなどの理工系トップ校の博士課程にはアジア系の学生が多数在籍し、社会的成功を収めてきた。彼らの躍進に対して、一般のアメリカ人もキャッチアップできるように、義務教育において理数系の教育を強化することが政策課題になっているくらいだ。最近ではアジア系の判事や市長が活躍する場面も増え、実業界だけでなく、法曹界、政界でも成功を収める人も多々見られるようになった。いずれにしても、クリエイティブ・クラスと言われる領域でのアジア系の活躍は目立っている。
このように、現代におけるインターネットは、アメリカ社会の構成を背後から変える力を有している。その意味で現代のフロンティアと位置づけられる。
インターネットが「現代のフロンティア」として、広く一般に開かれた「成功の機会」を提供し続けることは、今でもアメリカに外国から多くの移民が訪れる理由の一つであり、実際に、そのような新移民の中から成功者が現れることで、彼らは新たなアメリカ人としてアメリカ社会に居場所を築くことができる。とりわけ、マイノリティであるアジア系移民が、その知的能力だけで、ある日突然、大成功を収めることができる「機会の場」としてある。もっと露骨にいえば「社会的にのし上がることができるかもしれない場」だ。
ターナーが描いた19世紀の西部フロンティアには、後発の移民がヨーロッパ大陸から続々とやってきた。中西部から西海岸にかけた地域に入植し、街を作り、その中から成功を収めた人びともいた。彼らは、ドイツやポーランドなどの中央ヨーロッパや、ノルウェーやスウェーデンなどの北ヨーロッパからやってきた移民たちだった。今日、彼ら非アングロサクソン系の人びとも、自らの経済的基盤を確保した上でアメリカ社会を支える一人として各界で活躍している。ちなみに、今日、白人の中で最も多いのはドイツ系だ。
そのような新アメリカ人を創造する(=受容し登録する)場として機能した「広大な西部フロンティア」に、現代において相当するのがインターネットだ、というのが、Wu教授の主旨だ。要するに、アメリカンドリームを体現させるために不可欠の場としてインターネットを位置づけようとする。
したがって、そのような「入植の機会」を損ねることに繋がるような、Net Neutralityの否定は、単なる技術的な論点、あるいは、メディア産業の利益分配といった特定産業の経営的論点からだけで考えてはならないということになる。
かなりの大風呂敷を広げた語り口かもしれないが、上記のように、現代のアメリカンドリームを体現する場としてインターネットを位置づけることで、議論の裾野を広げていくことができる。単なる技術や商売の問題を超えたものとして位置づけることで、たとえば、連邦議会での議論を喚起することにもなるのかもしれない。Wu教授は、常々、一般社会における法の重要性は、細かい法律の条文ではなく、総体としてどのようなものとしてイメージされているか、というところにあると主張しているが、フロンティア精神とNet Neutralityを結びつける発想も、法の受け手の側に立ったものといえる。
このような考え方は、Net Neutralityという言葉を生み出した当初から想定していたものなのではないかと思われる。そのために参考になるのが、彼のバックグランドに触れたNYTの記事だ。これを読むと、彼の個人史が大なり小なりNet Neutralityの概念形成に影響を与えているように思える。
Defending the Open Internet
【New York Times: May 10, 2014】
この記事に記されたWu教授の個人史を簡単にまとめてみると、免疫学者であった両親の下に生まれ、子供の頃にアップルIIを購入してもらい、早い段階からプログラミングに親しんでいた(要するにギークだった)。大学は、カナダの名門マギル大学に通い、そこで、両親の影響から生化学を専攻したものの、「ファミリービジネス」の影から抜け出したいという動機から、畑違いのハーバード・ロースクールに進学した。そこで『Code』で有名なローレンス・レッシグ教授と出会い、当時立ち上がりつつあったサイバー・ローの領域に関心をもつようになる。
首尾よくロースクールの課程を終え、J.D(法学博士)を取得した後は、第七巡回裁判所(the 7th Circuit)の名物判事であるリチャード・ポズナー判事のクラークを務めた。ポズナー判事は、シカゴ大学ロースクールの教授でもあり「法と経済学」という分野の創始者の一人で、アメリカ法学における「シカゴスクール」の重鎮の一人だ(最高裁判事にも指名されたが、彼の法的考え方がラディカルであったため、連邦議会上院での承認を得られなかったという逸話の持ち主)。「クラーク」の役割は、判事が判決を出す際に必要な様々な書類作業を担当することで、場合によると、判決のドラフトを書くこともあるという。しかし、ポズナー判事は専ら自ら考え書いてしまうため、クラークの役割として求められたのは、彼のディベート相手になることだったという。
ポズナー判事のクラークを終えた頃は、ドットコムバブル時代真っ盛りであったため、法と技術の両方に明るかったWu氏は、ウェブ業界に身を転じた。その世界でNet Neutralityに繋がる経験をする。彼が属していた企業はルーターを扱う企業であり、ルーターを細工することでインターネットのトラフィックを制御することが可能だった。マーケティング担当だったWu氏は、(多分、彼が台湾とイギリスのハーフだったということもあって)中国にそのルーターを売り込みに行ったところ、そのルーターがセンサーシップ(検閲)にも使われかねないことを具体的に知ってしまった。どうやらそのことがNet Neutralityの重要性に気づいたきっかけのようだ。
このように、カナダとアメリカ、アングロサクソン系と中華系、技術と法学、合理志向と伝統志向、などの境目にありながら、チャンスをサクセスに変える社会の駆動力に考えをめぐらしていたのかもしれない。そこから生じたのが、今回のように、Net Neutralityを、フロンティア精神まで引き合いに出して、今日的なアメリカンドリームの要件の一つとして位置づけようとする考え方だったのかもしれない。
この考え方は「オープン・インターネットの維持」を主張し、「インターネットのオープン性」の意義を訴える際の根本的理由の一つでもある。ただ、興味深いのは、ヨーロッパにおける「インターネットのオープン性」がもっぱら「コミュニケーションのための権利」として「市民の権利」の一つとして抽象的に定義しようとしているのに対して(これは今日の欧州が複数の国の連合体であるEUを単位にして発想せざるを得ないからかもしれないが)、アメリカの「オープン性」とは、ある成功をつかむために誰もがそこに参入できる機会を持つという、経済的自由に根差したもののように思えるところだ。もっと下世話な表現を使えば、社会的にのし上がりたいという、粗野で野心的な欲望に応えるものとしてある。法学的な空間で抽象的に議論される対象ではなく、もっと猥雑な、生き抜くために必要なものだ。
もちろん、アングロサクソン社会における自由の概念が、アダム・スミスから発した「経済(商業)活動の自由」から発していることや、そもそも経済的活動が首尾よく進むことで社会的安定も得られる、その意味で人間は経済的存在であり、人間社会は経済社会である、という発想にも連なっているように思える。生きて成功するために必要な自由、というニュアンスだ。
そのような意味で、Wu教授が提示した視点はおもしろい。彼の議論が与える波及効果を含めて、今後の議論を興味深く眺めたい。そこに、アメリカ的なインターネットの未来があるようにも思えるからだ。同時に、アメリカにおけるNet Neutralityの議論は、実は特殊アメリカ的なものであることもこの先、露呈していくのかもしれない。移民であれ若者であれ、社会への新参者がのし上がるための場を必ずどこかに用意しておく、その意味で「オープンな国」であることを望むかどうか。その仕組みを維持することで新参者を惹きつける魅力を持ち続けられるかどうか。最初のエッセイでWu教授が記した、Net Neutralityを巡る議論とは、どんな国に住みたいと思うか、その国のイメージを巡る議論なのである、という主張の狙いはこういうところにあったのだと思う。