2014年4月24日に、アメリカ連邦最高裁で「ABC対Aereo」のヒアリングが行われた。この訴訟は、判決の内容いかんでは、今後のアメリカの地上波放送ビジネスとクラウドコンピューティング・ビジネスの行方を決めるかもしれないため、メディア業界ならびにIT業界を中心に大きな注目を集めている。
Justices Skeptical of Aereo’s Business
【New York Times: April 22, 2014】
Supreme Court Conflicted on Legality of Aereo Online Video Service
【New York Times: April 22, 2014】
争点は、Aereoの提供しているサービスが、地上波放送局から見て「再送信」料を請求するのが妥当なサービスであるかどうか、というところにある。
Aereoが提供しているサービスとは、簡単に言うと、地上波放送をリモートコントロールできるDVRの提供のことであり、したがって、ここでの争点は、この地上波向けリモートコントロールDVRが従来のケーブルテレビに相当するかどうか、ということにある。
これだけであれば、この訴訟はきわめてテクニカルな判断を巡るものにすぎないように見えるのだが、しかし、それだけならば、おそらく連邦最高裁で取り上げられることはなかっただろう。つまり、気にかけるべきは、まず、この訴訟が最高裁で取り上げられている、という端的な事実にある。
三審制というと、自動的に上告ができるように聞こえるが、アメリカの場合、最高裁で取り上げられる裁判は、それに見合った社会的意義があるもの、つまり、法的解釈の決着をつけないことには全米で社会的混乱を招きかねないものが選択される。本件が最高裁で取り上げられる理由も、Aereoの事業に対する裁判所の判断が合法/違法の二つに分かれてしまったため、その齟齬を調整する必要が出てきたことが第一に挙げられる。さらに、冒頭で記したように、その判断を放置したままでは、地上波放送ビジネスならびにクラウドコンピューティング・ビジネスの今後のあり方に多大な影響を与えるだろうと見られているからでもある。
Aereoの本拠地であるニューヨークでは、地裁、第二巡回裁ともに、ABCからのAereoの営業差止め請求を、理由が不十分ということで認めなかった。このニューヨークでの判決に後押しされて、Aereoは営業区域をニューヨーク以外の都市(の放送エリア)でも拡大していったのだが、その過程で、ユタにおいて違法の判断をされてしまった。つまり、同一サービスに対して合法/違法の判断が地域によって分かれてしまった。このことが最高裁が本件を取り扱う直接のきっかけとなった。
Aereoがニューヨークで裁判に勝つことができた背景には、第二巡回裁が下した判決に則るように調整された、巧妙な事業設計があった。その判決とは、2008年に行われたCablevision判決のことだが、今回の最高裁での審議においても、この判例の扱いが一つの鍵であるとされている。
この判決名にあるCablevision社は、ニューヨークを拠点にしたケーブルオペレーターだ。ケーブルオペレーターとは、ケーブルを敷設し、セットトップボックスを貸与することで、契約者に対してケーブルテレビ視聴を可能にする事業者のことをいう。Cablevision判決では、同社が提供した、家庭からみて遠隔地にあるRS-DVR(Remote Storage DVR)がコピーライト法を破っていないかどうか、つまり利用にあたり新たにライセンスを取得する必要があるのかどうか、を巡るものだった。結論から言えば、RS-DVRは、家庭内に置かれたDVRと同様のものとみなされ、したがって、RS-DVRの利用についても、家庭内、つまり私秘的な空間における、私的な録画ならびに再生に相当するとみなされ、事前に許諾を得る必要はないと判断された(ちなみに、大前提である私的録画/再生を法的に認めたのが、VCRの登場時に下された、有名な1984年のSony Betamax訴訟判決だった)。
RS-DVRが家庭内DVRと同等のものとみなされる上で重要な点が二つある。一つは、再生や録画などの動作を行う主体はあくまでもユーザー本人であること。もう一つは、これはいささかギミック的ではあるのだが、Cablevisionが用意したRS-DVRのためのハードディスクは、厳密にユーザーの個人ごとに割り当てられており、たとえばユーザーが録画ボタンを押すと、各人に割り当てられたハードディスクに書き込まれるようにしていたことだ。つまり、あくまでも一個人が電気屋で購入し家庭に設置した私物としてのDVRが、コードを介して遠隔地に集積されて置かれている、という解釈が可能となるように、全体のシステムを設計したことだ。したがって、たとえば、同じ番組に対して1万人が録画ボタンをおしたならば、1万台のハードディスクに1万件の録画が行われる。もちろん、これは共同集合施設に設置されたハードディスクの利用方法としてはまったく経済的なものではないが、しかし、この愚直なまでに「個々の視聴者が各人の自由意志で録画再生などの機器操作を行う」形式を貫くことで、RS-DVRは個人の利用機器を遠隔設置したものとみなされ、Sony Betamax訴訟が保証した「私的利用」の原則が適用されることになった。
そして、Aereoについても、この「各個人が本人の自由意志でもって遠隔地にある機器を操作する」という形式を貫くことで、つまり、Cablevision判決のポイントにしっかりと沿うことで、第二巡回裁から合法の判断を得ていた。
今回のAereo訴訟の報道で必ず言及されるのが、「ダイム(←アメリカのコイン)サイズのミニアンテナが1万個利用されている・・・」という部分だ。つまり、DVRだけでなく、地上波放送波を受信するアンテナまでもが、各ユーザーに割り当てられることで、あくまでも「アンテナ付きDVR」を個人が遠隔操作している、という形式を保持している。そうすることで、Cablevision判決におけるRS-DVRと同様の扱いを得ることが(少なくとも第二巡回裁があるニューヨークでは)できた。
もちろん、こうした事業モデルは小賢しい、ズルい、という印象を与えがちだ。実際、今回行われたヒアリングでも、ジョン・ロバーツ首席判事の口からも「法を回避するために巧妙に設計されたギミックでしかないようにみえる、もっともそれが法律家の仕事なのだから、そのことの是非自体は問わないけれど・・・」といったコメントがこぼれている。
要するに、法の抜け穴(loophole)をうまく突いてお咎め無しとなっていると、最高裁の9人の判事たちも感じているということだ。逆に言うと、そのこと自体は、本件を最高裁で扱う際の出発点、大前提でしかない、ということでもある。そして、最高裁で取り上げる以上は、その「お咎め無し」の部分について、表面的な法的解釈の成否だけを問うのではなく、そもそも争点となったルールの背後にある法理や、その法理の解釈を支える社会状況についての、よりメタな解釈にもとづいて、判決が検討されることになる。
(正確に言えば、法の条文上のテキスト的解釈に固執する立場の判事もいれば、その解釈を社会的文脈との整合性を踏まえた上で行うべきであるという立場の判事もいる。このように、法のあり方そのものについて異なる立場の判事たちが9人寄り集まって判断を行うのが連邦最高裁の仕事になる)。
そして、今回のヒアリングでもしきりに問われていたのが、周辺業界への影響だった。判事たちからの質問としても、「Aereoはケーブルテレビなのかどうか」、「AereoのサービスはDropBox
やGoogle Driveのようなクラウドサービスと同じなのか、違うのか」といったものが、何度もなされていた。いうまでもなく、地上波放送産業への影響ならびにクラウド・コンピューティングへの影響という、より大きなコンテキストと踏まえてなされた質問だ。
まず、地上波放送への影響、という点だが、現在、ケーブルオペレーター(ならびに衛星放送事業者)から地上波放送事業者に支払われている再送信料は年間30-40億ドル(3000-4000億円)だという数字が報告されており、仮にAereoが勝訴した場合、今まで再送信料としてケーブル業界から放送業界に移転していたマネーが、長期的には消失してしまい、地上波放送事業の継続に甚大な影響を及ぼしてしまう、というように主張されている。
今回の訴訟では、原告であるABCの背後には、他の三大ネットワーク(NBC、CBS、Fox)が連なるだけでなく、NFL(アメフト)やMLB(ベースボール)のようなプロスポーツ団体やハリウッドが控えている。その一方で、興味深いことに、Aereoを支持する側には、クラウド・コンピューティングへの影響を懸念するEFF(エレクトロニック・フロンティア財団)のような、常にインターネットのアーキテクチャの保全を主張する団体だけでなく、ケーブルオペレーターやローカル局もついている。再送信料を支払う側であるケーブルオペレーターからすれば、Aereoが勝訴した場合、同様のネットワーク構造(=アーキテクチャ)を採用することで、Aereo同様、再送信の支払いが免除されることを狙っている。ローカル局の支持という時のローカル局とは、主には四大ネットワーク傘下にはない独立局で、こちらはAereoを介することで、彼らのカヴァレージが上がることを期待している。
ここで興味深いのは、ABC(と他の三大ネットワーク)が、仮にAereoが勝訴するなら、ネットワークの番組を地上波放送で流すことをやめるという、一種の威嚇とも言える発言をしていることだ。一つ補っておくと、アメリカの四大ネットワークは、番組を購入し主にはプライムタイムの編成を行い各地のローカルステーションに配信するところまでが仕事だ。つまり、番組編成の卸売業のような存在で、具体的に視聴者に番組を放送波を通じて届ける役割はネットワークではなくステーションの仕事となる(その放送波を再送信するのがケーブルオペレーターの役割だ)。このアメリカ的なネットワークとステーションの役割分担を踏まえて、先ほどの発言を解釈すると、要するに、Aereoが勝訴したら、ネットワークは地上波のステーションを見限って、地上波放送ではなく、直接インターネットなりなんなりで全米向けに番組を配信することも辞さない、といっているに等しいことになる。
実際、ステーションへの配信という縛りのない、ケーブル向けのネットワーク事業者は、たとえばHBOがAmazonと組むといった具合に、ケーブルオペレーター以外の配信方法を模索し始めている。そして、HBOだろうがABCだろうが、彼らが配信する番組の多くは実際にはハリウッド製のドラマである。となると、番組の売上収入が最大化できる配信方法を模索する方向に流れてもおかしくないし、その際、卸売業たるネットワークが最も腐心するのは、彼らのブランド力になる。そのブランド力がまだ効いているうちに、HBOがケーブルからインターネットへの移行を模索しているように、ABCらネットワークも地上波からインターネットへ移行を試みることがあってもおかしくはない。そうすることで、ケーブルオペレーターをバイパスすることもできる。
となると、最高裁の判断いかんでは、本件は、過去30年余り続いてきた、ハリウッド、ネットワーク、ステーション、ケーブル、といった放送ビジネスに関わる事業者の間での共生関係に大きな亀裂を生じさせる契機になるのかもしれない。「パンドラの箱」を開けてしまうのかもしれない。
次に、クラウド・コンピューティングへの影響だが、これは、Aereoが敗訴した場合、クラウド・コンピューティング全般に対してネガティブな効果が働くのではないか、というものだ。スマフォやタブレットの登場以降、複数のネットワーク端末を個人が利用することが当然視されるようになり、その流れに沿ってDropBoxやGoogle Driveのようなクラウド型のストレージサービスが登場し、社会に定着してきた。Aereoの場合も、スマフォやタブレットからの録画や再生もサービスの一部として想定されている。むしろ、テレビだけでなく、マルチデバイスを通じた映像コンテントの視聴、ということを考えれば、RS-DVRやAereoが個人向けの有用な機器/施設の提供である、という事実が際立ってくると思われる。そうしたマルチデバイス環境におけるクラウド・コンピューティングの可能性を損ねてはいけない、という主張だ。
ここで問われているのは、インターネットとケーブルテレビ網という、二つのネットワークが基づくアーキテクチャの違いであり、その背後になる社会的経済的思想の違いである。端的にいって、RS-DVRやAereoが体現しているのは、インターネットが持つ、ボトムアップ志向で、個人利用に基づく遠隔操作性、という特性だ。それはまた、個人が自由に行える範囲を拡げることは基本的に「善い」ことであり「正しい」ことだ、というアメリカ的な個人の自由を尊ぶ慣習/発想とも親和性が高い。そして、その「個人の自由領域の拡大」を良しとする習慣があるからこそ、Aereoのようなサービスを減速させることは、イノベーションの停滞にもつながる、という言説が一定の説得力や信憑性をもってアメリカ社会に流通することになる。(裏返すと、イノベーションの可能性を損ねる、というような、不確定の未来の可能性を担保にした言説は、一種の空手形のようなものであるため、アメリカ以外の国では、そうそう簡単には信じてもらえない可能性もある、ということだ。)
今回のヒアリングでもう一つ面白いと思ったところは、判事からの問として、どうして1万ものアンテナを使うのか、それはCablevision判決における「個人利用」の原則に沿っていることを誇示するためのギミックでしかないのか?と尋ねられたことに対して、Aereoの代理人が、ミニアンテナの利用は「スケーラブルだから」(アーキテクチャ的にも)きちんと意義がある、というような応答をしていたところだ。つまり、一人一人のユーザーを積み上げていくことでやがて大きな事業に変えていこうとする意図を持つ、という発想そのものが、きわめてウェブ的なものといえる(もちろん、そのような印象を与えるための方便にすぎないという見方も可能だが)。
Aereoはニューヨークのブルックリンで始まったビジネスであり、GoogleやApple、Amazonなどのいわゆるシリコンバレーの企業ではない。したがって、そのようなスタータップの登場自体が、インターネットやウェブが登場したことによる、イノベーションの喚起効果のなせる技であった、と捉えることもできるだろう。実際、「ABC対Aereo」の対決は「ダビデとゴリアテ」と形容されることも多い。伝統のある巨大企業であるABC(=ゴリアテ)に対して、インド系CEOが始めたスタータップであるAereo(=ダビデ)が挑む、という構図は、それだけで様々な動きを想像させる。
訴訟の話からは離れるが、そのインド系CEOのバックにいるのが、IACのバリー・ディラーであるという事実も興味深いところだ。サンフランシスコ出身のユダヤ系であるディラーは、実はFoxネットワークを立ち上げた中心人物の一人であり、インターネットの登場以後はIACを組織して多くのウェブ企業を育ててきた。メディア技術の変化がメディアビジネスを変容させることに敏感であり、実際にその嗅覚に従って複数のメディアビジネスを渡り歩いたアメリカメディア業界の重鎮の一人だ。この事実も、Aereoに一つの象徴的意味を担わせることにつながっている。
このように、ABC対Aereoのケースは、2014 年現在のアメリカにおけるテレビとインターネットが交差する衝突点を知る上で示唆的だ。
加えて、現在はメディア環境も社会環境も大きく変わって来ている時期に当たる。
ケーブルオペレーターの最大手であるComcastは、NBCユニバーサルの親会社にして、現在、Time Warner Cableの買収にも着手しており、新興のメディアコングロマリットとして勢力を拡中だ。その上、新たなnet neutrality ruleの下でブロードバンドプロバイダーとしてもウェブ企業に対して影響力を行使できる存在に変貌しようとしている。そのようなケーブルオペレーターの巨人が登場しようとするタイミングで、Aereoのようなニッチ企業が単除することの意味もあるだろう。
あるいは、Cablevision判決に見られる「個人の自由裁量の拡大」を良しとする傾向は、リバタリアン的な社会志向の最たるものであり、場合によると、Tea Partyの登場以後、共和党の一大勢力になろうとしているリバタリアン的心性とも呼応して、むしろ、インターネット的な自由を支持するものとして、民主党よりも共和党、つまり、リベラルよりもコンサバティブの方が相性がいい、というような動きも生じるのかもしれない。とりあえず、今回のヒアリングに召喚されたホワイトハウスの法律顧問が、ホワイトハウスの意見として放送事業者側を支持する発言をしているところに、民主党が放送事業者を支持するなら、共和党はスモールスタータップでチャレンジャーでもあるAereoを支持する、ということにもなるのかもしれない。
実際、冒頭で紹介したNYTとWSJの内容も、微妙にこうした傾向を表しているように思えるところがある。
ともあれ、ABC対Aereoの訴訟はまだヒアリングが始まったばかりだ。報道では、初夏には最高裁の判決が下される予定だという。本訴訟は、久しぶりに、アメリカのメディア/インターネット業界を揺るがすものとして注目に値するものだと思う。結果がどうあれ、重要なメルクマールとなることだろう。最高裁の9人の賢人がどのようなロジックに基づきどのような判断を下すのか、注目したい。