カリフォルニア大干ばつへのNASAの対応: 地球保全と宇宙開発の接近

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February 28, 2014 12:31 jst
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junichi ikeda

119年ぶりに深刻な水不足に瀕しているカリフォルニア州に対して、NASAが様々な手段で協力する動きが出てきた。カリフォルニアで消費される水の8割は農業用に使われているため、野菜や果物などの農産物の収穫を中心に、甚大な影響をアメリカ社会に与えると見られているからだ。

The Severity of California's Terrible Drought, in One Image
【The Atlantic: February 26, 2014】

NASA to use space images to help monitor California drought
【Reuters: February 25, 2014】

つい先日、ミシガン湖周辺の中西部には大寒波が押し寄せ、大雪に見舞われたことを考えると、何とも皮肉な出来事だ。しかし、カリフォルニアはアメリカで生産される野菜や果物の半分を占める州であり、したがって、その影響は州にとどまらず全米にも波及することになる。

アメリカにおける農業というと、まずは中西部の広大な農場が想起されると思うが、その農場の多くが小麦やとうもろこし、あるいは大豆などのものであることからわかるように、多くは穀物の栽培に当てられている。対して、カリフォルニアは、グレープフルーツなどの柑橘類に代表される果物や、トマトやキュウリなどの野菜類が農業の主体を占めるという。アメリカの食卓に彩りを与える作物ばかりだということだ。

このようにカリフォルニアに留まらない大事件に対して、NASAが助力を行うという。具体的には、カリフォルニアを始めとした南西部の主要な水源の一つであるロッキー山脈の雪解けについて雪の残存量や日射量から予測をしたり、他の湖や河川などの水量にかかる状況をモニターしていくという。

とはいえ、上記の水不足の報道を見て興味深いと思ったのは、そうした支援策の具体的内容というよりも、NASAという、本来宇宙開発に向けた技術開発を担ってきた組織が、水不足や干ばつといった自然環境の(人間社会から見た)異常事態に関与するようになった状況の方だ。つまり、宇宙開発と地球(環境)保全が同一線上にある対象として捉えられるようになったという「視点」の転換と、それにともなって、NASAのような科学技術力のある組織のリソースの振り分けまでもが変わりつつあるように思えるところだ。

たとえば、ハリケーンやツイスターなどの自然災害があると、アメリカであれば州や連邦の軍隊が救助隊として現地に派遣される。つまり、そこでは戦闘と災害救助というミッションが、不確定な状況において迅速な対応が組織的に求められる対象として同一カテゴリーのものとして認識される。同時に、手持ちのリソース(技術、人、設備等)がどちらにも適用可能であることもわかる。

そのような社会的リソースの転用が、宇宙開発と地球保全との間でも可能になりつつある、というのが、今回のNASAの動きにも見られるように思う。もちろん、宇宙開発と地球保全との関係は、通常業務と突発業務、という形で、メイン/サブの関係にはあるけれど、しかし、突発業務の頻度が上がれば、力点の置かれ方も徐々に移っていくことだろう。実際、アメリカでは、ここのところ、ハリケーン・カトリーナ、ハリケーン・サンディ、ミシガン湖周辺大寒波、それに今回のカリフォルニア干ばつと、様々な自然災害が相次いでいる。そして、寒波から干ばつまで多様な自然災害が起こるという事実は、アメリカの国土の広さや国内における地理的特徴の多様さを物語っている。そのような地理的多様性に対処するためにNASAも駆り出されるまでになったとい解釈することもできるだろう。

興味深いのは、先述のように、宇宙開発向けに開発された技術が地球環境保全にも転用できるという方向性だ。これは情報化の進展によって予防的行為が重視され、たとえば警察と軍隊の間で機能的境界が曖昧になってきていることとに類似している。「サイバー・セキュリティ」という言葉になぞらえれば、「エコロジカル・セキュリティ」という言葉ででも形容される事態が生まれてきているといってもよいのだろう。

そのような状況の変化に応じて、NASAのような既存組織におリソースの使途も変動し、結果的には、そのようなリソースを提供する主体の社会的役割も変わりうる。その意味で、干ばつのような地球上の災害に対処することで、NASAの組織も進化するように思われる。ここでいう「進化」とは文字通り、周囲の環境の変動にあわせて、自身を変容させる動きのことで、むしろ、環境への最適化といってもいいだろう。

ところで、若干余談になるが、evolutionという言葉に対する「進化」という日本語訳には、暗黙のうちに「(良い方向に)前進する変化」というニュアンスが伴っている。しかし、実際には、外部環境とのインタラクションを通じた変化で、実質的には「最適化」の一種ととらえる方が適切だ。良し悪しは度外視して、単に、新たな展開(volve)が発現する(e-)というのが英語から受ける印象だ。

とまれ、上で述べた「進化」もこうした「最適化」のニュアンスのものだ。環境とのバランスが「よい」という以外のニュアンスはない。ましてや、「より良くなった」というニュアンスも一義的にはない。今回のNASAの関与に見られる事態は、本来、地球の外部を目指して開発されていた技術が、地球という惑星をめぐる事態に対処する必要から転用されただけにすぎない。しかし、そのような対処の結果、宇宙-惑星-地球、という軸で技術開発対象として同一線上に並ぶことになりそうだ。

この辺りの動きについては、その概念上の示唆も含めて気にかけておきたい。そこにはパースペクティブのあり方を大きく変える何かが埋め込められているように思われる。簡単にいえば、宇宙開発と気象観測の間の垣根がとれて、両者から有効なリソースが提供されるのではないかというものだ。そして、その際に利用されるのが、地球規模で観測されるデータを活用する、文字通りの「ビッグデータ」関連技術、ということになるのだろう。おそらくは地球をモニターする観測行為も多様化し、場合によると事業化の試みも生じるのかもしれない。つまりは、地球も常時観測される「地球監視」の時代が始まるということだ。今回のNASAの動きも、そうような地球をも視野に入れた管理や監視の動きの徴候の一つと捉えることができるだろう。宇宙を目指して開発された技術、その派生物として生まれながら今では社会インフラの根幹を占めるようになったITが変容する対象として地球が浮上してきた。そんなことも考えさせれる。