Pierre Omidyarが着手する「新たなデジタルジャーナリズムの確立」という冒険

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October 25, 2013 13:47 jst
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junichi ikeda

eBayの創業者であるPierre Omidyar(ピエール・オミディアール)が手がけるという、デジタルジャーナリズム・プロジェクトが、ウェブ業界、新聞業界の双方から注目を集めている。

Snowden Journalist’s New Venture to Be Bankrolled by eBay Founder
【New York Times: October 23, 2013】

Omidyarは、ゼロから立ち上げるジャーナリズムプロジェクトに、2億5000万ドル(約250億円)を投じるという。基本的には、独立系のジャーナリストを集め、investigative journalism(調査報道)を含む、general interests(一般の関心事項)を伝えるための組織を立ち上げる。

このOmidyarのプロジェクトには、イギリスのリベラル紙であるThe Guardianを辞めてGlenn Greenwaldが加わることも公表されている。Greenwaldは、アメリカのサイバー情報機関であるNSAによる個人情報の閲覧をリークしたEdward Snowdenへの仲介やインタビューで知られたジャーナリストだ。

2億5000万ドルという金額は、Jeff BozosがWashington Postの株を買い取った金額と同額だ。だから、恐ろしく単純化していえば、Washington Postをもう一つゼロから作ろうというのが、今回のプロジェクトの目標と見られる。このように考えられるのは、実はOmidyarも、Washington Postの株の取得を打診された富豪の一人だったからだ。結局、Washington PostはBezosの手に渡ることになったが、この一件を通じてOmidyarは質の高い、一般向けのジャーナリズムを立ち上げてみたいと考えたようだ。もっともOmydiarからすれば、ジャーナリズムのプロジェクトを立ち上げるのは今回が初めてではなく、既にHawaiiでHonolulu Civil Beatというサイトをつくっていた。もとから関心があったものと思ってよいのだろう。

では、なぜ新たなデジタルジャーナリズムの立ち上げに執心しているかというと、人びとを単なる「新聞の読者」から「社会と関わりを持った市民(engaged citizen)」へと誘いたいと考えてのことだという。Odimyar自身は、フィラソロピストとして社会的な事業に対して投資や寄付という形で関わってきた。

The Omidyar way of giving
【The Economist: October 26, 2013】

もともとOmidyarは、社会的事業の具体化に対して、for-profit(営利事業)かnon-profit(非営利事業)かの区別をあまり考えていない。それは、彼が築いたファンデーションであるOmidyar Networkが、投資も寄付も行う組織であり、いわば、ファウンデーションとベンチャー・キャピタルの中間のような活動を行っていることからも見て取れる。ベンチャー・キャピタル同様、投資・寄付を行った事業体への経営の人材配備も行っている。

つまり、Omidyarにとって重要なのは、営利か非営利か、の区別よりも、政府か非政府(non-government)というところにあるといえる。そして、その観点から見た時、ジャーナリズムは彼が取り扱いたいと考える活動として捉えられるわけだ。

彼からすれば、ジャーナリズムは人びとを社会的活動へと誘う機会を日常的に与える存在であると考えているのだろう。実際、社会的活動への誘導ないし動員は、ソーシャル・ネットワークが定着したウェブ社会では、十分に転回可能なのだろう。実際、Facebook出身のChris HughesがThe New Republicの株を取得して、ソーシャルウェブ時代の雑誌ジャーナリズムの方向を定めるべく試行錯誤している先例もある。Engagementはソーシャルウェブ成功のためのポイントの一つでもある。したがって、Omidyarのプロジェクトもそのようなソーシャルウェブ時代のジャーナリズムの模索の一つといえる。そのような組織にGreenwaldのような調査報道志向のジャーナリストを組み込むわけだ。

ところで、調査報道といってしまうとジャーナリズムの一つと言うくらいにさらっと受け止めてしまうかもしれないが、しかし、その実体は、ある意味で、諜報活動に近い。ある個人や組織が、表立って語っていることと異なる事実を秘匿している場合、そしてその秘匿事項が社会的に大きな影響を及ぼすものである場合、その秘匿情報の公開を求めて情報の追究が行われる。その意味で、諜報活動に近い、ということだ。この点でJulian Assangeが関わったWikiLeaksの動きが最も先鋭的なものだろう。そこでは、ハッキングを通じてコンフィデンシャルな情報の取得ならびに公開が試みられていた。

Glenn Greenwald and the Future of Leaks
【Newsweek: October 23, 2013】

となると、ソーシャル・ネットワークが常態化したウェブ時代において、新規に(質の高い)ジャーナリズムを立ち上げるということは、大なり小なり、諜報活動的な要素や、あるいは、動員活動的要素を帯びてしまうことになるのかもしれない。もっとも、世界の新聞の歴史を紐解けば、多くの新聞は政治的主張を帯びたものとして始まっている。それが、今日のように、公平性や公正性がジャーナリズムの倫理として掲げられるようになったのは、新聞の販売合戦に勝ち残った新聞社が自身の影響力の大きさを自覚したり、外部から指摘されたりしてからのことだ。そうであれば、Omidyarのプロジェクトが、ゼロベースでスタートする以上、そのような性格を当初帯びるのは当然のことなのかもしれない。Huffington Postも、もともとはAriana Huffingtonという個人のリベラルな志向を反映しながら成長していった。

おそらくは、そのような性格に敏感だからこそ、Omidyarは、general-interestを扱うとわざわざ断ったのかもしれない。もちろん、より多くの人びとからアクセスされ支持されるようなサイトを目指すことを考えてのことではあるのだろうが。

いずれにしても、Omidyarのプロジェクトは、まだ構想段階のものだ。今後、どのようにプロジェクトが具体化されるのか、どのような人材(ジャーナリストだけでなくチーフエディターやマネージャーも含めて)が抜擢されるのか、など、徐々に公開されるであろうプロジェクトの概要に注意しておきたい。

Omidyarは、ひとつの視点として、書き手(ジャーナリスト)と読み手(シチズン)の間の距離を近づけたい、と述べている。ウェブの特徴である、いわゆる「中抜き(disintermediation)」の具体化の動きだが、そのような可能性がどのように現実化されるのかは、気になるところだ。