昨日のNikeについでARの話となるが、Googleがメガネ型(ゴーグル型?)のインターフェースを年内に発表するという動きがあるようだ。
Behind the Google Goggles, Virtual Reality
【New York Times: February 22, 2012】
Glassという表現なので、文字通りにはメガネ型になるのだと思う。とはいえ、複数形(glasses)ではないので、むしろ単眼型のゴーグルタイプになるのかもしれない。よくSF映画にあるメガネの画面に情報が映り、そこで情報処理をするタイプのモノのようだ。ドラゴンボールのスカウターといえばイメージが湧く人もいるかもしれない。あるいは、ゴーグル型インターフェースというとVirtual Realityであり、90年代初頭にジャロン・ラニアーが、トレードマークであるドレッドヘアにヘッドマウントディスプレイを装着した姿を思い出す人もいるかもしれない。実際、上の記事でもVirtual Realityという言葉がタイトルに使われている。当時のイメージで言えば、ゴーグルをつけるとその画面に異なる世界の映像が投影されてその中を動くことができる、というものだった。冷戦終結からさして時間が経っていないため、アメリカでは軍事利用の可能性についてよく伝えられていたように思う。逆に日本の場合は、不動産会社が新築マンションの内装のイメージを伝えるのに利用できる、というようなことが言われていたように記憶している。
ともあれ、この話がちょっと面白いかもと思ったのは、ここのところ、タブレットにしてもソーシャルにしてもすっかりフォロワーのポジションになりさがってしまったGoogleがITの領域で新しい局面を作ろうとしているように見えるからだ。そして、その際に彼らが手を着けたのが90年代に人口に膾炙したVRであり、視覚占有型のインターフェースであるところだ。それが、ポストジョブズの時代に向けた、後続世代の参照点になっていることだ。
拙著『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』でも触れたように、タブレットやソーシャルという2000年代後半のウェブの動きは、基本的に60年代から70年代にかけて構想されていたものがようやく民生品として身を結んだものだった。裏返すと、PCやウェブの立ち上がり期の夢は一通り実現されてしまってそれに代わる目標が必要になる。それが『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』の基本的な問題意識だった。
そのような問題意識に対して、タブレットやソーシャルで後塵を拝したGoogleが選んだのが90年代のVRだったということになる。これは、あまりにわかりやすい方向性で少しばかり笑ってしまうところもあるのだが(←いい意味で)、とはいえ、スマフォやタブレットの普及ですっかりユビキタス・コンピューティングの方向がリアルになってしまった現在では、ロジカルな次のステップは、いわゆる「ウェラブル(=着る)・コンピューティング」になるのは必然だろう。だから、Googleが再びイノベーションのフロントランナーに躍り出ようとするなら、この領域に向かうのは(少なくとも技術的観点からは)当たり前になる。
もっとも、ウェアラブルの方向は他社も考えていて、たとえば、Appleはリストウォッチ型の「装着」コンピュータの開発を考えているようだ。このあたりもギークの王国であるGoogleとスタイリッシュな美を尊ぶAppleの差が如実に現れているようで面白い。
とまれ、Googleのメガネ型の方向で具体的に興味深いのは、やはり直接視覚への情報提供を考えているところだ。つまり視覚情報をどう扱うかということだ。ここでこの話がVRよりもAR、しかも昨日のエントリで記したように「拡張ではなく知覚を強化する」原義に近い方向のARとより親和性が高いように思える。
ちょっとここで寄り道になるが、Lytvoというカメラがある。
Lytro camera: 5 things to know before you buy
【CNET News: October 26, 2011】
この会社のカメラは、写真を撮る前にフォーカスを合わせる必要がなく、シャッターを押すことでまるごと光学情報を記録するもののようだ。その光学情報を事後的に人間の視座に合わせてフォーカスを合わせて、私たちが普段見ている写真にする。
考えてみれば、照準を合わせるという操作はあくまでも人間の都合に合わせた動きに過ぎず、カメラは反射する光の情報を全て受け取る(時に、映画は無意識をも写しとる、と言われていた事に近い。人間が知覚する以上の「現実」がそこにはあることになる)。そのようなカメラの特性を直接的に利用しようとする。そして、その平面的な光学情報に基づきたとえばあるアルゴリズムを通じてアングルを変えた際の様子を補いながら映像とすることもできるだろう。想像するに、ひょっとしたらGoogleのメガネ型インターフェースにはそのような要素も入ってくるのではないか。となると、文字通り、人間の視覚を強化する方向にも向かうのかもしれない。
とはいえ、当面はタブレットの対抗商品として位置づけることだろうから、既存のアプリの受容媒体や、あるいは操作インターフェースの一部として使うことが想定されるのだろう。もちろん、タブレットの先行(失敗)事例としてAppleのNewtonのような商品があったことを考えると、Googleの動きは時期尚早なのかもしれない。仮に商品として革新的なものができあがったとしても、市場が追い付いてこないのかもしれない。となると、多分にこのGoogle Glassの開発方向は、Google内のR&Dの士気を高めるもののようにも思える。そのために、昨年、エリック・シュミットからCEOを継いだ、創業者であるラリー・ペイジのギークな感性が選び出したものなのかもしれない。
このあたりのことは実際の製品が公開されないことにわからない。
ただ一ついえることは、ウェブ関係の多くの企業が、ジョブズの後の時代に向けて具体的に動き出そうとしていることだ。それは、先日発表されたFacebookのIPOや、AmazonのKindle Fireの動きにも感じられたことだ。GoogleのVRへの接近もそのようなものの一つとして考えたいと思う。
しかし、そう考えれば考えるほど、当のジョブズの残したAppleがタブレットの次に何をするのか。リストウォッチ型のウェアラブルがそうしたポストジョブズの動きの一つなのかどうかが気になるところだ。