長らく闘病問題が取り沙汰されていたSteve JobsがとうとうAppleのCEOを辞任することを表明した。
Steve Jobs Resigns as Apple CEO
【Wall Street Journal: August 24, 2011】
Jobs Stepping Down as Chief Executive of Apple
【New York Times: August 24, 2011】
後任のCEOには現在COOを務めるTim Cookが就任する。もっともJobsは経営の前面からは退くものの引き続きボードメンバーとして残りChairmanの役割を担う。つまり、Appleが株主をはじめとする社会とどう関わっていくか、その部分の意思決定には引き続き関わる。
先日の世界同時株安の際に一瞬でもAppleはExxon Mobilを抜きNYSEで時価総額が最高の企業となった。つまり、Appleはもはや世界中の経済に大なり小なり影響を与えうるビッグ・プレイヤーになったわけだ。従って、ボードメンバーにとどまるJobsの役割はCEOを退いても引き続き大きい。
今後は彼が築き再興させたAppleの企業文化をどう継承可能な形にしていくか、が重要だろう。しばしばJobsはカリスマ経営者として讃えられる。彼の個性がしばしばAppleの製品に反映されていると解釈されてきた。そのいわば魂の部分をどうやって代替/継承するかという問だ。
というのも、かつてのWintelの影に隠れる嗜好性の高いファンダムからなるAppleであれば、そのようなカリスマ問題がもファンとしてのユーザーコミュニティが支えると答えることができる(実際、今回の辞任レターの宛先には、Apple Communityも記されていた)。しかし、今や、必ずしもApple ファンだけがApple製品を利用しているわけではない。かつてのWin-telのように、使いたいアプリがあるからやむなく、というネットワーク外部性の効果からユーザーになっている人たちもいるからだ。そのような後発ユーザーにとっては、Jobs=カリスマ、という構図はわかりやすかった。そのような緩いAppleユーザーにとってJobsはいわばAppleブランドのアイコンとしてあった。つまり、Jobsの退陣は、Appleの今後のブランドコミュニケーションにこそ影響を与える。
従って、CEO退陣後もJobsが折に触れて筆頭PRマンとして公の場に出ればいい、ということでもあるが、しかし、それができるのであるならばおそらくCEOを辞めたりしないだろう。むしろ、彼無しの企業コミュニケーションをどう展開するかこそが本当の経営課題だと言える。
あまり比べようがないかもしれないが、Bill GatesがMicrosoftのCEOから退いて以後の展開とも被るのかもしれない。毀誉褒貶はあれど、Gatesはコンピュータ産業のビジョナリ、業界のスポークスマンとして機能していたのは確かだ。その彼が退陣してからのMicrosoftは、知っての通り、GoogleやAppleの追撃を受けたわけで、変化の早いこの業界では、船の進路を決めるキャプテン=CEOの役割はやはり大きい。
もちろん、船の進路を容易に変えられるような機敏な動きがしにくくなるほどMicrosoftの存在が大きくなったということもある。これは単にMicrosoftが巨大企業になったというだけでなく、Windowsが社会の隅々にまで行き届き、その分、社会の慣性も引き受けることになってしまったこともある。
この点、Appleはまだ体裁上はチャレンジャーの地位を保っている。タブレットによってPCを打ちのめす途上にある。だから、その征服劇をしばらくは続けていけば船の進路は当座の間は保たれる。だから、問題はその次が浮上する段になった時、引き続きAppleが自主的に革新(innovate)できるかどうかが鍵になる。
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それにしても、今回のJobsの辞任は、春先にあったGoogleのEric SchmidtのCEO辞任とあわせて、拙著『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』の冒頭で提起した「JobsとSchmidtのバトン継承」という問題が現実化したことになる。
タブレットもクラウドもIT産業の二大潮流として軌道に乗っている。とりわけ、タブレットについてはPCと代替が具体的に進み、PC産業の再構築を促すまでに至っている。タブレットと同系機器としていいであろうスマートフォンについても、先日のGoogleによるMotorola Mobilityの買収に至り、主には、通信産業とIT産業との間でのパテントの再配分という形で、通信業界とIT業界の企業体としての垣根を崩しつつある。もちろん、崩れる方向にドライブがかかるのは、背後にクラウドというネットワーク中心型の情報システム構築のパラダイムシフトがあるからだ。
こうした潮流を作るのに貢献したJobsとSchmidtが第一線を退くことで、この先をどうするのか、という問いが現実化した。とりわけ、Jobsは自らの個人史を前面に出し、彼の会社や製品の差別化を図ってきた。映画のように、Apple(とPixar)の商品には、Directed by STEVE JOBS というクレジットが常に記されてきたわけだ。
『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』の中で今日のシリコンバレーの経営は、実務家とビジョナリ(主には創業者)の双頭体制が望まれているということを書いた。実はその時紙幅の都合で書けなかったのだが、Jobsという人物はシリコンバレー初期の起業家だっただけに、この双頭制とうまくいかなった。Jobs自身がスカウトしたJohn Scullyらによって、JobsがAppleの経営から退かされたのは有名な話だ(しばしば「追放」という感傷的な言葉で形容される)。おそらくはこの経験があってJobsは双頭制に移行することが出来なかった。なによりも、Apple追放後、NeXTやPixarと起業や企業買収を行い自ら経営者としてのリベンジを図ってしまったことも大きいのかもしれない。NeXTという存在がなければAppleに戻るきっかけはなかったかもしれないし、Pixarという存在がなければハリウッドとシリコンバレーという水と油のような関係の二つの業界を繋ぐ特異な存在にはなれなかったかもしれない。忘れてはならないことだがPixarの売却によってJobsはWalt Disneyの株主でありボードメンバーでもある。iPadという商品が、PCというよりもテレビとゲーム機の融合進化形態としてマルチメディアガジェットとして一般に受け止められつつある現実を見れば、Disneyとの接点は大きい(もちろん、iPodを通じての音楽業界との様々な折衝経験もiPadには生きているだろうが)。
このあたりのJobs個人史とApple社史との関係については、発売が前倒しになったJobsの伝記(自伝?)を通じて改めて考えてみたい。
ともあれ、これで一つまたIT業界は節目を迎えることになる。Googleは創業者のPageがCEOを引き継いだ。Motorola買収にもそのあたりの判断は見て取れるのだろう。JobsやSchmidt、それに先行したGates等によって、80年代に産声を上げたコンピュータ産業は名実ともにアメリカの産業のトップに躍り出た。その王国を引き継ぐ第二世代の経営者たちはこの巨大な船をどこに向けて進ませるのだろう。『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』で書いたように、このことはとても気になって仕方がない。