iCloudはcloudなのだろうか

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June 08, 2011 10:10 jst
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junichi ikeda

Appleのスティーブ・ジョブズが、AppleのクラウドサービスであるiCloudを発表し、「ポストPC時代」の到来を言祝いだ。

Apple Unveils ‘Cloud’ Music and Storage Service
【New York Times: June 6, 2011】

Apple Opens Locker for Songs
【Wall Street Journal: June 6, 2011】

具体的には実際の商品を手にとってみないことにはなんともいえないところはあるのだが、しかし、ジョブズらのプレゼンテーション(Apple.comで見られる)を見た印象は、Appleはとことん「利用者経験」に照準した会社だということだった。

日頃はWindows PCを使っている立場から気になったのは主に以下の二点:

● iCloudを設定することで、(Windows PC上の)iTunesを経由しなくても、Appleのサービスを享受できる。

● iCloudを経由することで、従来のPCに相当するデバイスのインターフェースデザインを、たとえば、iPhoneやiPadのような、タッチパネル式のスワイプ型へと変更することが容易になる。

前者は、要するに「母艦」としてのPCを必要としないということ。Macを使っていないPCユーザーからすると、iPhoneとの相性を考えるとPCとは別にMacも持っておいたほうがいいのでは、と思わせるところがあるのだが、同時にタブレットとしてのiPadにも関心がある。となるとMacが中途半端な買い物になるように思えていたわけだが、iCloudによる母艦外しはそのようなWindows ユーザーの懸念を払拭してくれそうだ。

このように母艦としてのMac、という見方を捨てさせて、その上でMacをiCloud端末の一つとして再定義する、というのが二番目のユーザーインターフェースの「i シリーズ」での一本化、ということに繋がる。

これはある意味で、Appleが導入に手をつけた「GUI+マウス」というユーザーインターフェースが、Windows で流用されることで一般化したのを、改めてひっくり返すような動きともいえる。タッチパネルベースで実現した「操作性」を、改めてキーボード付きの個人向けデバイスに当てはめることで、端末としての「ポストPC」を実現する動きと見ることができる。

つまり、技術の進展によって新たに可能となった「インターフェース」技術をに最大限に活用することで、日々利用する「道具」としてコンピューティングのあり方を変容させようとする動き、ということだ。

これは、確かにハードからソフトまで一体化して設計しないことには実行が難しいという点で、とてもAppleらしい動きだ。同じことが果たしてWindows PCで行えるのかどうか。むしろ、Windows PCのメーカーが、iCloud以後の状況をどう見るのかはとても気になるところだ。

(さらにいえば、AppleがiTunesをはじめとしてメディア体験に照準していることを踏まえると、Windowsだけでなく家電におけるリモコンのあり方もそろそろ本気で見直さないといけないのではないだろうか)。

このように、iCloudは確かに個人におけるコンピュータの利用経験を大きく変えるメルクマールとなる出来事のように思える。ただ、その一方で気になるのは、果たしてこれはcloudなのか、という点だ。

Cloudという言葉には、それが空に浮かぶ「雲」を意味することから、漠然とインターネットのオープンで分散的なイメージが伴うように思う。それと比べると、このiCloudはCloudというよりは、Apple用の「ネットワーク」、メディア業界でよく言われる”Walled Garden(壁で囲われた庭)”の様に見えるところがある。この「オープンでない」ところはiPhoneでアプリが登場した頃からいわれていたことだ。ただ、今までは、アプリ・デベロッパーの囲い込みを意味していたのが、iCloud以後はむしろユーザーの囲い込みを意味するように思えるところだ。

もちろん、Cloudをいう概念を実践しようとすると、大なり小なり「囲い込み」的な動きに見えてしまうのかもしれない。だから、この点は、iCloudの動きを受けて、エリック・シュミット言うところの”Gang of Four"の、Appleを除いた残りの三者、つまり、Google、Amazon、Facebookの三者がどのような「クラウド」を具体化してくれるかによるのだと思う。

ただ、iCloudの第一印象は、これがウェブベースのサービスというよりは、イメージとしては、PCかスマフォかを問わずデバイスフリーでアクセスできるようにしたある会社の企業内ネットワーク、を見ているような「クローズドネス」を感じさせるところがある。

そして、おそらくは、そのような方向への動きが加速するように思うからこそ、Appleの囲い込み――というか、iPhoneに端を発したモバイル/タブレットにおける囲い込み的傾向に抵抗する動きも生じてくる。

その意味で、iCloudの発表当日に、iPhoneをバイパスするために、HTML5を活用し(ブラウザ上でアクセス可能な)アプリライクなウェブサイトを発表したFinancial Timesの動きは注目に価するだろう。

Financial Times Introduces Web App in Effort to Bypass Apple
【New York Times: June 7, 2011】

Appleの仲介によって利用者=購読者のデータへのアクセスに制限がつくだけでなく、購読者に対してマルチプラットフォームでのデジタル版FTへのアクセスの価格付けをできないという点で購読者の利便性も損ねてしまう、ということからのようだ。

(ニュースサイトについては、ウェブサイトでの購読契約とモバイル/タブレットでの購読契約が別立ての料金プランであることが多い。しかし、利用者からすると、デバイスごとに分かれる契約のあり方が奇異に映るときもある)。

この他、FTはAppleがますます独立系のアップ開発企業に制約をもたらすようになる、という見方も伝えている。

App developers caught in iCloud storm
【Financial Times: June 6, 2011】

FTがイギリスのニュース会社であることも、Appleに対する温度差の違いなのかもしれない。FTのような具体的な動きがどの程度出てくるかは気になるところだ。


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ともあれ、Appleの動きがここまで強大になるとは、10年前は思いもよらなかった。ジョブズのカリスマ性というか執念に改めて驚かされる。

これは『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』(講談社現代新書)で詳しく書いたことだが、スティーブ・ジョブズはカウンターカルチャーの洗礼を受けた人物で、もともと何事に対しても「対抗/抵抗」することに意味を見出すタイプの人物だった。その心的傾向に加えて、事実としてAppleから一度追い出されたり、あるいは、自分たちが導入したGUIなどのインターフェースをWindowsでコピーされたり(これは一時期裁判でも争われた)と、ビジネスの現場でも「反骨」こそが大事だと実感する機会が多くあったのだろう。

そして、その対抗心や反骨心を、コンピューティングにおけるユーザー経験を向上させるところに注力してきたからこそ、多くの信奉者を生み出し、実際に商品も売れていった。その結果が、2011年時点での圧倒的存在感に繋がっている。

そのような存在感、ある意味で業界のナンバーワン企業、リーディングカンパニーとしての地位を確保したからこそ感じるのだが、その反骨精神をどの時点でナンバーワンであることと折り合いをつけるのかが気になってしまう。折り合いをつける気は全くないという結論の可能性も含めてだ。

ジョブズの反骨精神がユーザー経験における継続的革新の実現に繋がることで、Appleは今の地位にまで上り詰めた。だからこそ、この企業がこの先どうなるのか、はとても気になる。

ジョブズの継承者は一体何を継承するのだろうか。