オバマ大統領のホワイトハウス首席補佐官を務めていたRahm Emanuelがシカゴ市長選で圧勝した。
Emanuel Triumphs in Chicago Mayoral Race
【New York Times: February 22, 2011】
Rahm Emanuel elected Chicago mayor, avoids April runoff with majority of vote
【Washington Post: February 22, 2011】
Emanuel Wins Big in Chicago
【Wall Street Journal: February 23, 2011】
シカゴの投票数の55%を確保し、他の6候補を押さえての圧勝。対抗馬と目されていたGery J. Chico候補(現職シカゴ市長のRichard M. Daleyの元Chief of Staff=首席補佐官)は24%にとどまり、再投票を経ずにEmanuelのシカゴ市長選出が決定した。
シカゴ市長の交代は22年ぶり。現職のDaleyは父もシカゴ市長を務めていたので、父子で合わせて、過去55年間のうち42年間はDaley父子がシカゴの市政を牛耳ってきたことになる。
ということで、Emanuelの選出は、シカゴ市にとっては大きな変化となる。Daley家はアイルランド系であるのに足して、Emanuelはユダヤ系というのも、新しい変化だ。
シカゴは、19世紀末には摩天楼が登場し、アイルランド系やポーランド系のカソリックが多かったこともあり、早い段階で労働者側の組合運動が起こったところで、それがシカゴ市やイリノイ州の政治の軸を作ってきた。
シカゴは現在人口数で、ニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ全米第三位の年だが、近年、人口は減り続けており、遠からずヒューストン(テキサス州)に抜かれそうな情勢にある。一般的には都市としてのピークを過ぎたと認識されている。だから、今回のEmanuelの勝利は、都市としての衰退がDaley家の市政に起因するところがあるという空気があり、そこで新風を入れたいということもあったのだと思う。
Emanuelはオバマの首席補佐官を勤める前は、イリノイ州選出の下院議員で、2006年の下院の中間選挙を指揮し、デモクラットが過半数を獲得した立役者だ。その流れは、確実に、2008年に大統領選でデモクラットのオバマ候補の勝利にも繋がっている。
そうしたホワイトハウスとの繋がりも、今後のシカゴを浮揚させるためには必要だとみなされたといっていいと思う。
いずれにしても、Emanuelはシカゴ市長になったことの影響は今後ジワジワと出てくるように思う。
さらにいえば、これでEmanuelはオバマ後のデモクラットの大統領候補の一人に名を連ねることになった。もちろん、本人が希望しない限り、実際にそのような動きは起こらないが、シカゴ市長は、ニューヨーク市長が他の州知事と並んで、大統領候補とみなされるポジションだからだ。
つまり、連邦議会下院議員よりも、州知事や大都市市長を務めたほうが、政治的にアピール力があるということになる。単純な比較は余り意味が無いことだが、日本で国会議員と県知事や市長とどちらかが格が上か、といえば、多くの人は国会議員だと答えるだろう。そのような視点で、アメリカの政治の動きを見てはいけない、ということを、Emanuelの例はよく示していると思う。
州知事や大都市市長が大統領候補のリストに載るのは、巨大な行政組織を切り盛りした経験(特に予算の扱い)と、それに伴う各界とのネットワークの幅広さにある。この点で、Emanuelが今後、どう化けるのか、というのも気になるところ。
2012年の大統領選に向けて、現在、GOPは候補者選びに余念が無い。そのようなスケジュール感覚で言うと、仮にオバマが再選された場合でも、デモクラットは、2016年の大統領選に向けて、2014年には準備を始めなければならなくなる。シカゴ市長となるEmanuelの場合、今から約3年半はある。概ね大統領の一期分の期間だ。そう考えると、あながち、Emanuelが次の候補のひとりになるという線もない話ではない。なにしろ、彼は既にワシントンDCやデモクラットの重鎮とはネットワークを築いているからだ。
いずれにしても、この先が楽しみだ。
ところで、最後にもう一つ。
上述したようなことを考えると、やはり、アメリカの場合は、選挙日程が予め(機械的に、と言えるほど)定められていることの意味は大きいと感じる。いつまでにどのようなことを用意すればいいか、見通しを立てやすいからだ。その見通しの立てやすさは、主体たるEmanuelだけでなく、彼の周りのスタッフ、さらには、彼を神輿として担ごうとする人たちにとってもそうだ。
選挙戦は長丁場になるため、真剣にそれに加わろうとするものは、あるタイミングで、たとえば今務めている会社を辞めて、キャンペーンに加わることになる。その功労に応じて、連邦政府入りすることも夢ではないからだ。いわゆる猟官制であり、これには弊害があることは十分わかっているが、しかし、厳格な選挙戦スケジュールと猟官制の存在が、企業にいる人が政治的な行動にか関わろうとするためのきっかけとインセンティブになっていることは否定できないと思う。
何事にもタイミングと見通しが必要で、そのような枠組みが選挙の形でアメリカには備わっている。アメリカでは選挙と政治は不可分のものだといわれるのは、こうしたところにもある。