Internet Kill Switchを巡って

latest update
February 14, 2011 10:27 jst
author
junichi ikeda

今週のThe Economistが、Internet Kill Switchについて短いが要点を押さえた記事を掲載している。

Reaching for the kill switch
【The Economist: February 10, 2011】

エジプトでインターネットがシャットダウンされた経験から、この話題は注目をあびるようになった。

上の記事にもあるように、1月末の、エジプトのシャットダウンが起こる直前に、アメリカでは、有事において、インターネットをシャットダウンさせる権限をアメリカ大統領に与える法案が連邦議会上院で検討されていた。

有事とはいわゆるサイバーアタックを想定している。アメリカ国内の社会経済的に枢要な施設のシステムが国外からハッキングされた場合、インターネットを一時的にシャットダウンさせることができる、というのが法案の主旨で、これは昨年から折りにふれ話題に出ていたサイバー・セキュリティ、つまり、インターネット上の保安のための措置の一つとして考案されていた。

この法案については、アメリカの主要紙(NYT、WSJ、等)ではほとんど取り上げていない。WiredやCNETがとりあげていたぐらいだ。

Internet ‘Kill Switch’ Legislation Back in Play
【Wired: January 28, 2011】

Internet 'kill switch' bill will return
【CNET: January 24, 2011】

Experts weigh in on 'kill switch' legislation
【Washington Post: February 4, 2011】

The Economistの記事にもあるが、同様のシャットダウンの措置の権限については放送(テレビ、ラジオ)では導入されているため、インターネットも同様に、というぐらいの認識が主要紙の想定していたことなのかもしれない。

しかし、実際にエジプトでインターネットがシャットダウンされるところを目撃した後では、Internet Kill Switchの含意が様々に想像されてしまい、簡単には進めにくくなった、というのが実情のようだ。

もちろん、それはInternet Kill Switchが悪用された場合の怖さが想像されるようになってしまったからで、その点で、興味深いのは、エジプトの直後に、ドイツ、オーストリア、オーストラリアの各国政府が、そのような権限を求めることはしない、と声明を出しているところだ。そのような反応を即座に行う政府も存在するという点で、この話題が、非常に扱いの難しい問題であると言うことがわかってくる。

いくつかの価値がせめぎあう場面ということなのだろう。

エジプト直後には「インターネットの自由」が強調されるようになった。もちろん、これは生得の権利というものではないだろうから(なぜならインターネットが存在しなければそのような自由も想定され得ないから)、そのような権利をどう正当化していくのか、という話がある。たとえば、「表現の自由」から構成していくという方向もあるだろう。

他方、コミュニケーションの分野では「通信主権」ということもあって、むしろ、ある国がもつ主権の一つとして構成される。もちろん、民主政の下では主権者は国民ということになるので、字義通りに捉えれば、人々の集合的な権限ということになるのだが、実際は、主権の所在を巡る問題にはなりがちだ。

あるいは、通信主権といっても、インターネットの場合、その分散構造から、どこからどこまでを「ある領域の」インターネットというかは言葉で言われるほど容易ではない。また、インターネットはネットワークとして「しぶとい」構造を持つので、起こりうるシャットダウンに対してユーザーの方が備えることも可能となる。

たとえば、エジプトの一件以来、インターネットユーザーによる自己防衛的なネットワーク構築として、Mesh Networkに関心が集まっている。

Hackers' Egypt Rescue: Get Protesters Back Online
【Newsweek: February 1, 2011】

各人のPCにルーター機能を盛りこみ、その機能を持つPC同士ではインターネットのように通信しあうことができる。さらには、そのなかの一台が何らかの手段でインターネットに接続できれば、基本的にはそのPCとMesh Networkで通信するPCがみなインターネットを活用することが出来るというものだ。さらに、インターネットとの通信の仕方はもはや有線に限らない。無線でもいいとなるとその手段はさらに増える。

この点は、The Economistの記事でも言及していて、仮にInternet Kill Switch法案がアメリカで成立したとしても、「実際に」インターネットを所期の通りシャットダウンすることは容易ではない、ということのようだ(そのため、法案は、もっぱら法を定めることにより、問題の所在を認識し、それに対して抑止力を行使する意志がある、ということに重きを置いているようにも思える)。

いずれにせよ、インターネットを巡る様々な「価値観」が衝突する場に、Internet Kill Switchの話題があるようだ。

エジプに続きアルジェリアでもシャットダウンか?という話題がウェブの中を駆け巡るようになっている、最近の状況では、件のInternet Kill Switch法案を検討するタイミングとしてはあまり適切ではないだろう。したがって、アメリカ国外の情勢がある程度落ち着いたところで、再度、この話題が登場するのかもしれない。

その時、アメリカの動きが興味深いのは、おそらくは賛否両論がきちんと提出されることだ。裏返すと、ドイツやオーストリアやオーストラリアのように、即時にある価値選択(この場合は、Internet Kill Switchのような法案は提出しない→インターネットは自由であるを堅持する)をしないところだ。

これら三国の、あまりに早過ぎる反応は、穿った見方をすれば、この議論そのものを早期に封じるものであるように思えなくもないからだ。ドイツとオーストリアはテレビとナチの関係を想定してのものかもしれないし、オーストラリアについては、例のJulian AssangeとWikiLieaksの話題を気にしてのことなのかもしれない。

だから、多分、大事なのは、Pro/Con(賛成・反対)を提示して、ある手続きをもってどちらかを選択したという事実をきちんと記録していくことなのだろう。その点で、アメリカが、通常は頻繁に見られるように、Internet Kill Switchについても、Pro/Conを検討していくことに期待したいと思う。さすがに、エジプトの一件の後では、こっそり法案を通すということも不可能だと思いたいからでもあるのだが。