来る4月にGoogleのCEOから降板するEric SchmidtがTelegraphのインタビューに応え、彼の考えるComputingの未来について語っている。
Google's Eric Schmidt predicts the future of computing - and he plans to be involved
【Telegraph: February 5, 2011】
もっとも荒唐無稽な未来が示されているわけではなく、今までSchmidtが語り続けてきた、cloud × pervasive の未来が強調されている。(pervasiveはユビキタスとほぼ同義だが、英米では昔からpervasiveという言葉を好んで使っているように見える。多分、ユビキタスというのがどこか宗教ががった、神がかった言葉であることを加味してのことだと思っている)。
面白いのは、「今生まれた子供で寿命が90年の子を想定してみよう。その子が100歳になるのは2101年(=22世紀)だ」というように状況を設定して未来のことを語ろうとしているところで、そうやって、Schmidtは今日でも議論されている長期に亘る問題の、「今日的重要性」に触れる。そして50年後であれば、cloud × pervasive が実現している、と捉えている。その50年後を一つの参照点にしながら、今日の開発案件の収束を想定していく。
この他に、Schmidtの応答で興味深いのは
「searchとlocationとsocialは収束していくことが次の大きな物語(big narrative)だ」
「searchはsocialになる」
というところだ。
加えて、Facebookが競合かという問に対して、FacebookもGoogleも別ルートであっても成長することで、互いに結果的にはポジティブな結果が得られる(から競合ではない)、と答えている。
つまり、ウェブというエコシステム全体がどういうパスでどう拡大していくのか、ということがSchmidtの関心事であり、かつ、そのようになる方向性については、極めてオプティミスティックである、ということなのだろう。
このような大きく、かつ、長期に亘る枠組みを示したあとで、この一週間ほどのGoogleの動き、たとえば、美術館を内覧できるArt Projectや、エジプトのspeak2tweetの話が挟み込まれると、これらの動きですら「未来を予見させる」ものに思えてくるから不思議だ。だから、ここでSchmidtが行っているのは、単なるインタビューへのロジカルな応答ではなく、レトリックを駆使した「未来の想像」自体の喚起なのだと思う。
Eric Schmidtの、このようなnarrativeには学べるところは多い。