アメリカのnewspaperの苦闘: NYTとLATの場合

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January 24, 2011 16:28 jst
author
junichi ikeda

WSJがNYTのペイウォールについて報告している。ペイウォールとは、NYTが導入を検討しているウェブサイトの段階的アクセス権の設定のこと。要するに有料化なのだが、完全にクローズドにはしない方法を考案している。

New York Times Readies Pay Wall
【Wall Street Journal: January 24, 2011】

本紙の購読とセットで月額20ドル。オンラインのみの場合はその半額以下というから10ドルを切る値段ということになる。今の円・ドルレートだと、800円ちょっとで妥当な金額。日本だと新書を一冊買うのと変わらない。年間契約だと当然これよりも安くなることだろう。

幾つか記事中の事実をまとめておくと:

○NYTのサイト自体には、月に3000万人のユニークユーザーが訪れていて、それで、年間1億ドル≒800億円強の広告収入を得ている。

○3000万人のうち15%=450万人がヘビーユーザー。

○サイト訪問者のうち半分はside doorである、検索やSNSからやってきている。

NYTはかつてTimes Directという、OP-EDなどの特定ユーザーが付きやすい記事に限り有料にして大失敗をしたことがある。今回は、そういうことのないよう、Financial Times と同じく、月間アクセス数を管理して上限を越えてアクセスしたい場合は契約を促すようにする。

ちなみに、私自身は、FTとThe Economistについては、結局、こうしたアクセス回数制限の結果、両方とも最終的には契約した。多分、上の値段ならNYTについても契約するのではないかと思っている。

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ところで、面白いのは、WSJがNYTのオンラインへの取り組みを報道している傍らで、NYTはNYTで、Los Angels Timesの苦境を報告していることだ。苦境というよりは、LATはもはや崖っぷちにある、というのが次の記事の全体的なトーンだ。

Despite Distinctions, Los Angeles Times Loses Standing at Home
【New York Times: January 23, 2011】

LATは、2000年から発行部数は半減し今では60万。

興味深いのは、LATの退潮を、LAという都会の退潮と重ねているところだ。これは、実際、興味深い。LAが文化が商売の中心的地位を失いつつあるために、LATも伝えるべき内容を持ち得なくなっている、というようにも見える。

記事中では、昔LATの愛読者であった人達(主に高齢者)から見ても、今はLATに読むべきものがなく、Financial Times やWall Street Journalを読むばかり、ということだ。これは、同時に、newspaperとして求められている「書きもの」が変質してきていることを物語っているように思われる。

その変化は、主に、LATがChicago Tribuneを持つTribune社に買収されてからのことだ、ということも強調されている。Tribune社に買収されてから、編集スタッフも半減し、一面を始めとしてやたらと広告面が目立つようになり、以前と比べて「安っぽい」ものになったと伝えている。

結局、読み物をどう作っていくかが大事で、そのためにはスタッフの確保や拠点とする都市の文化や実業に深くコミットすることでその都市にとって不可欠の存在になることが大事だ、ということを強調している。

穿った見方をすれば、WSJが報道するようなNYTの内情の変化(経営的にどうするか、人減らしをするのか、紙面をどう構成するのか、想定読者をどこに置くか、など)の中で、LATをたたき台にしながら、NYTの今後について広くNYTの経営陣とNYTの読者に訴えているようにも見える。

これは、アメリカの場合、記者職と経営職が分かれているからこそ起こる、現場からの「抵抗」のようにも見える。いわば、記者が読者にとっての「見えない」利益を代弁して経営者に訴え、同時に、読者の共感を得ようとしているように思える。

こういうところは、とてもアメリカ的なところだと思う。

LATの記事にあるとおり、都市と新聞が手を携えて成長していく、というのは一種の物語≒神話としてある。いわば、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を都市レベルで実践しているようなものだ。これは、勝手な憶測だが、あれほどまでにデカくて広いLAであれば、メディアが都市的紐帯を築くのに貢献した、というのも、一定のリアリティを持っているように思える。

ともあれ、紹介した二つの記事を照合させながら読むといろいろと見えてくるものはある。

こういうところは、アメリカのジャーナリズムの面白いところだ。