技術革新の矛先が変わったようだ。
In praise of techno-austerity
【The Economist: June 10, 2010】
Power from thin air
【The Economist: June 10, 2010】
上のEconomistの記事にもあるように、技術開発の成果を単線的に埋め込んでいくだけの、スペックアップだけが目標とされる、従来の商品開発の発想はこれからの時代では通用しない。
また、マーケットインの発想と言いながら、当該商品の最大のヘビーユーザーでその商品の「ファン」であるような開発者が提案するような「マーケティング」発想もここでは通用しない。
ファンとは自己愛を当該商品に投影し自らの有り様をその商品に合わせるような人であり、そこにはファンと商品との間で鏡像的な関係を築くばかりである。もっぱらPOSデータから得られる情報を元に商品開発を行うことが当たり前になった現代日本では、断片的に得られたデータを「最も商品に適合的に」統合することのできる、商品のことがよくわかった人物が重宝される。それには、その商品の利用を通じて成長した社員が最も有益だ。ここにおいて、マーケットインの発想は、当該商品のファン=社員の商品愛が投影された商品となる。つまり、商品で育った人々が商品の愛好者としてその商品の「世代交代」を行うことになる。この点は日本だけに限らない。先進国共通に見られる傾向だ。
だが、こうした「マーケットインの開発」は、Economistが伝えるfrugal innovationの時代には機能しない。端的に、そこには、その商品を知らない、あるいは、その商品を(経済的に)保持できない、しかし、その商品が提供する機能や役割を求める人たち、つまり「他者」に対する想像力が必要となるからだ。その意味で単なるマーケティングとは別次元の発想が求められるようになる。
G20のサミットを目前にして考えさせるテーマだ。