Amazonが非英語圏の書籍の英訳事業AmazonCrossingに取り組む。
Amazon Branches Out with Publishing Arm
【Wall Street Journal: May 19, 2010】
さしあたっては文学を中心に始める模様。基本的にはKindleでの販売が目的のようだが既存のリアルの書店にもリアルな本として流通させるという。
要するに、Amazonが英語圏の顧客に販売できる書籍の量を増やす試みの一環ということだ。記事中にもあるように、主にはコストの問題からアメリカでは非英語圏の書籍の翻訳はあまりなされていなかったという。外国文学を翻訳してもそもそもの話題づくりの部分から始めないといけないため、敬遠されてきたようだ。Amazonはそうした慣習を変えようとする。
興味深いのは、非英語圏の作家として一定の地位を築いている人として、ウンベルト・エーコに加え、村上春樹が指摘されているところ。なにげない事例として名前が出てくるあたりが、村上春樹が本当に英語圏読者の中に作家名として刻まれているということの表れと考えていいだろう(少なくともこのWSJの記者はそう思っている)。
村上春樹の名前が出たのでいささか飛躍した発想をしてみれば、将来的には、日本の作家がこのAmazonCrossingという会社を通じてAmazonのチャネルに乗ることによって世界で読まれる時代が出てくるのかもしれない。あるいは、日→英、の翻訳者の育成がリアルに望まれる時代が来るのかもしれない。
そうした状況下では、日本の書き手は書き手の作法として、諸外国の都市の様子をリアルに知ることが必要になるのかもしれないし、それとは逆に(村上春樹が試みてきたように)抽象的で普遍的で寓話的なシチュエーションを設定することで、英語圏の人も入り込みやすい物語の創作が望まれるのかもしれない。
仮にそういう状況が生まれるならば、翻って日本文学のフォーマットや、日本文学を立ち上げるリアリズムのあり方も徐々に変わっていくのかもしれない。
いずれにしても確実なのは、AmazonやGoogleのような会社の試みによって「書きもの」の流通範囲だけは原理的に「世界中」に広がってしまうかもしれない事態が生まれていることになる。
しばしば日本は世界随一の翻訳文化の国といわれる。その場合の翻訳とは、もっぱら外国語→日本語のものであった。20世紀初頭において、そうして日本語化された外国文献が中国や台湾などの東アジアの国々の人々に参照されたこともあったようだが、もっぱら日本語に翻訳されたものは日本にとどまってそこから外国に流れることはあまりないとされる。しかし、そういう状態に対してAmazonCrossingのような試みは、将来の日本人の何割かには英語を通じた読書の仕方を進めるのかもしれない。
どうやら、2010年代のIT化は、今回の書籍のように個別領域で手間のかかるものにまで手を付けることで進められていくようだ。その結果徐々に生じる文化の相互浸透(といっても英語側が有利なのは自明だが)がどうなるのかについては、いろいろと思案できそうだ。