もちろん、人類学は門外漢なので、レヴィ・ストロースの業績に沿って追悼するような資格はないのだが、しかし、この人が亡くなったことで、20世紀がまた過去のものになったことを痛感する。
French Anthropologist Claude Levi-Strauss Dies at 100
【New York Times: November 3, 2009】
本家の報道ということで、Le Mondeの記事も記しておく。
L'ethnologue Claude Lévi-Strauss est mort
【Le Monde: November 3, 2009】
*
レヴィ・ストロースについては、最近であれば、たとえば、福嶋亮大が、レヴィ・ストロースに着想を得て、「神話素」に基づく現代の(ニコ動、ゲーム、アニメ、ラノベ、文学など、ジャンル横断的な)コンテント分析(+コンテント制作環境分析)を行っていたり、安冨歩が複雑系思考の基盤である創発について「ブリコラージュ」の議論を活用してみたり、と、レヴィ・ストロース「再読(REVISIT)」が行われていて、むしろ20代から30代の人の方がなじみがあるのかもしれない。もちろん、中沢新一による再紹介もある。たしか、東浩紀も、以前対談で「野生の思考」が切り開いた、アンチ・サルトルの、反・実存主義的という意味での、構造主義の可能性を再考すべき、と言っていたように思う。
いずれにしても、2000年代に入って、少なくとも日本では、レヴィ・ストロースを読み直そう、という動きが(といってもアカデミックな動きなど一般社会から見れば「さざ波」でしかないわけだが)、情報化された社会の解釈の新機軸を見いだすことも含めて、起こっていたように思う。つまり、アメリカ的な(シリコンバレー精神的な、でもいいけど)、もっぱら「個人のエンパワーメント」指向に照準した情報化社会の言説に対して、もっとメカニカルに、もっと無機質に、もっとシステム的に、解釈する方法論の方が、なんでも「全自動指向」のある日本社会では有効だ、というような雰囲気があったように思う。
そういう「現代的な影響」性を含めて、レヴィ・ストロースの死去は、今後、徐々に効いてくるように思う。アメリカでいえば、オバマ政権が誕生する前に、リチャード・ローティが亡くなってしまったように。回顧され、再読がなされ、常に戻るべき参照項として逆に生き生きとしたテキストになってしまうという意味で。
*
レヴィ・ストロースについて専門的に語れる資格は私には全くないのだけど、しかし、振り返ってみると、要所要所で示唆を受けてしまっていたように思う。何となく常に気になっていた人、という感じ。
というわけで、少しばかり自分語り的記述を。
初めてレヴィ・ストロースの名前を聞いたのは高校二年の時。現代国語の教師が京大のインド哲学出身で(かつ、自ら住職を務める人つまりお坊さん)、現国といいながら、実質的には、哲学と文学評論を紹介する授業だった。その中で、レヴィ・ストロースの名前を聞いた。というか、彼の授業を思い返すとなぜかレヴィ・ストロースの名前が一緒に想起される(もう一つは、メルロ・ポンティ)。ダダイズムとか、シュールレアリスムとかもその頃、言葉としては初めて聞いた。
ということで、それまで、数学はできるが国語はできない、という意味で典型的な理系人間だったのが、理科的なもの、を斜に構えてみる癖がその頃できてしまったように思う。高校までの数学や物理の授業が(今思うと)もっぱら微分積分的な計算技術の修練に照準して、その意味で公式の機械的応用に過ぎないものが大半で、つまりは無味乾燥的なものだった。それに対して、レヴィ・ストロースが「親族構造」で示したような、構造を代数的に見る方法は、あるいは、もっぱら他者間の関係に照準した代数的なものは、微積に比べれば随分異質なものという印象があった。と同時にどこか綺麗だな、というイメージで捉えていた。
今思うと、(件の現国の教師も含めて)80年代初頭の「ニューアカ」的雰囲気の中に浸かっていただけなのかもしれないが、当時高校生の自分がそんなことを知るよしもない。紆余曲折あって、数理工学を後日学ぶことになるのだが、現実世界とその背後にある数理を想像する(幻視する)指向は、何となく、レヴィ・ストロースにあてられたものだったのかもしれない。
確かに、安冨歩的に『野生の思考』を読むと、情報科学・工学の基盤であるバイナリーコード思考(二値論理)が出現するさまを「具象の科学」や「ブリコラージュ」のところで行っているように見えてきて、たとえば、ベイトソンあたりと接続できそうな印象を持った覚えがある(実際は、レヴィ・ストロースがベイトソンを読み込んだ結果なのだろうけど)。
*
もう一つ、レヴィ・ストロースのことで思い出さされるのは、NYに行って、ミッドタウンでNew School Universityに行き着いたときのこと。ここがNew School for Social Researchの現代の姿であると気づいたときはかなり驚いた。亡命ユダヤ人学者の一種の避難場所になっていた機関だったわけで、レヴィ・ストロースも一時期滞在していて、ここでヤコブソンに出会ったという。その出会いが『構造人類学』や『野生の思考』を用意した、という経緯を知ると、その史実が「この場所」で行われていた、と想像できたときはなんだかしびれてしまった。
人類学は自分にとっては縁遠いものだと思っていたのだが、コロンビア大学が都市型のコンパクトな大学であったからかもしれないが、学内に人類学(anthropology)の講座の展示を見かけることはよくあった。また、比較的近隣のUpper West SideにNational History Musium(自然誌博物館)があったからかもしれないが、博物学との接点はNYの中でわりと見かけることができて、結果的に人類学的なものを身近に感じるようになったと思う。
レヴィ・ストロースには、アメリカ大陸の先住民族の神話体系を分析・解説した『神話論理』という大著があるが、そうした内容も、あの自然史博物館的なものが身近にある状況を経た後では、ある種のリアリティをもって想像できるようになっていたと思う。
ということで、NYに行ったおかげで、(世界随一の現代的な巨大都市であるにもかかわらず不思議なものだが)博物学や自然誌や人類学、に関心が持てるようになった。Ben Stiller主演の映画“Night at the museum”が描いた世界が身近になったという感じ。
そうして、日本に帰ってきたら、レヴィ・ストロース再読の空気があった次第。
福嶋亮大や安冨歩のアプローチは、複雑系的なものを、レヴィ・ストロースを介することで、人文的なものと接続し、現代の情報化社会の様相を、それ以前の学者や評論家、編集者とは異なる記述の仕方、説明の仕方を見いだしているようで、興味深いと思っている。
こうした個人的体験を含めて、レヴィ・ストロースの死去にはやはり驚かないではいられない。
謹んでご冥福を祈りたい。
もっとも、百歳まで生きた大往生だったわけだから、むしろその偉業を祝福すべきなのかもしれないのだが。