昨日のエントリーで取り上げた、Atlantic Monthlyのブログで参照していた、Blog Journalismに関する論考。黎明期(といっても数年前だが)から最近までのBlog Journalismの変遷を概観し、それぞれのBlogの意義を分析している。
The News About the Internet
【The New York Review of Books: August 13, 2009】
基本的な構成は、イントロの部分で紹介された、「Blog Journalismといったところで、それは既存のJournalism機関が提供する記事に、ただ寄生しているだけではないか?」という問いに、著者のMichael Massingが応答するもの。
「Blog Journalism=Parasite(寄生虫)」という説は、主にNewspaper関係者から出されている非難で、それなりにもっともな意見として、新聞関係者の中では共有されているようだ。
寄生虫とまでいって非難するのは、たいていのBloggerは、単にnews sitesにアップされている記事の内容を反復するか、あるいは、適当にコメントする程度のことしかしない。自分たちで実際に足を使って取材をするわけでもなく、複数の記事を適当にあさるだけのこと。
その一方で、寄生虫の宿主に当たる、既存のnewspapersは、収益性の大幅な低下(主に広告収入の低下)から、記者をレイオフせずにはいられない状態にあり、その結果、取材機能が低下し、それによってオリジナルの調査や裏取りによる記事が減ってしまい、それが購読者数を減らし・・・、という具合に、ダウンスパイラルに陥ってしまっている。
実際、取材記者数の低下によって、あるソースから持ち込まれた情報を精査する余裕もないまま掲載するため、たとえば、政治記事においては、おそろしく党派色の強い記事が誘導されてしまう、という弊害も生じている。
(たとえば、先日、なんとか上院の承認を得た、最高裁判事のSotomayor氏の報道を例にして、今、どれほどJournalismが既に壊れてしまっているのかを伝えているのが次の論考。
The Story Behind the Story
【Atlantic Monthly: October, 2009】
既にこの論考では、現在を“Post-Journalism(ジャーナリズム以後)”と名づけている)。
こうしたJournalismの惨状を目の当たりにすれば、Bloggerたちに恨み節の一つも言ってみたいというのが、既存メディアの見方なのだろうが、しかし、Massing氏はBlog Journalismの歩みを振り返りながら、むしろ、これからのJournalismの可能性を彼らが示しているように捉えているようだ。
(そして、その見込みが、少しばかり楽観的すぎるというのが、昨日のエントリーで紹介したAtlanticのブログの意見だったわけだが)。
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手短に、Massing氏によるBlog Journalism小史をまとめてみると:
●Snip-it-comment approachの登場
要するに既存news sitesの記事を、切り刻んで(snip)、気の利いたコメントをつけるアプローチ。Blogの提供する機能から自然と登場したもの。
注目すべきは、Mickey KausやAndrew SullivanといったBloggers。最初は個人でBlogを立ち上げたが、KausがSlateでkausfiles.comを、SullivanがAtlanticでThe Daily Dishを、という具合に、二人とも今ではメディアサイトの下でブログを書いている。
Snip-it-comment approachは最もparasiteのそしりを受けやすいのであるが、たとえば、Sullivanの場合は、参照先の数が半端でないため、commentary自体が一種の批評記事としてきちんと一つの様式になっている、という。
●Talking Points Memo(TPM)による独自取材の実施
Manhattanに事務所を構えながらサイトを運営しているTPMの場合(West 20th StreetというからいわゆるSilicon Alleyと呼ばれるNYのウェブ企業の集積地区にあるわけだ)、創立者のJosh MarshallがThe American ProspectのWashington事務所のeditorであったこともあり、取材をして記事を書く、という流儀をBlogの世界に持ち込んでいる。
TPMにはMarshallの他にもスタッフがいて組織的にサイトを運営しているので、Blogというアプリケーションを活用して、Online Journalismのあり方を変える方に賭けてみた、ということのようだ。
Marshallが心がけたのは、従来の政治記事がほとんどDCの内部関係者や政治の専門家の意見に依拠していたのに対して、もっと普通の人びとの、市井の声に基づいた記事を書くことだった。つまり、Blog(というよりはより根本的にはウェブ)が可能にした、政治的見解の表明における「多声性」の実現に賭けてみたということ。
TPMが面白いのは、実際には、Online Journalismに適した人材育成の場にもなっていること。ProPublicaという、online investigative unit(オンラインの調査報道ユニット)に人材を供給している。
ProPublicaは個人が資金提供をしている調査機関で、CBSの60 minutesやNYTとも共同で調査を進めていた歴史があったのが、ウェブの登場で自ら調査内容をpublishすることを選択し、そのため、TPMの人材のように、個人で取材活動もできて同時にウェブも扱える人材が重宝したようだ。
ところで、一般に、investigative reporting(調査報道)というのは、いわゆる社会悪の摘発(横領や収賄など)を目的に長い時間をかけて取材・調査を行った結果を公表するもので、そうなると、ジャーナリズムといっても、ほとんど探偵業務や警察業務に近くなってくる。
そうした活動拠点を、個人が個人資産で設立し、大手メディアとも協力しながら調査報道を進める、というあたりは、ある意味、自警団や義賊的な振る舞いであり、とてもアメリカ的、というか、アメリカの大都市的、というか、NY的な動きだと思う(感覚的には、Batmanのような存在)。
また、ProPublicaの存在は、ウェブの世界では、Journalism的なものと調査機関的なものとの区別が曖昧になることも示している。記事中では、デモクラット系のシンクタンクであるCenter for American ProgressのブログであるThink Progressも紹介されている。NYTやWashington Postでもそうしたブログが付設されている。
●従来は意見表明のための全米メディアにアクセスすることができなかった人びとが、Blogを使って意見表明することができるようになった。
記事中では、Michigan州Ann Arbor(ミシガン大学のある全米有数の学園都市)在住のMarcy Wheeler氏が、そうした地方初の発信の例として取り上げられている。
(ちなみに、いわゆるジャーナリズム批判、メディア批判の学説や言説は、アメリカの場合、中西部の大学でよくなされる。それは、アメリカのメディアが事実上、NYとDCとLAに牛耳られていることに対する反発から発していると考えていいと思う)。
別の例としては、イスラエル・ロビーのことが取り上げられている。
いずれにしても、従来はなかったことにされていた「声」がBlogの登場によって、明らかにされるようになったわけだ。
このあたりは、Blog Journalismというよりも、むしろ、Blogosphere(ブログによる言説圏)という言葉をそのまま使っておいた方がいい感じ。
そう思うと、Blog Journalismの世界では、どんな言説、どんな書き物がnewsとして捉えられるかは、読者次第なのだな、と改めて実感する。
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以上が、Massing氏がまとめたBlog Journalism小史の大筋。
記事では、この後、現在のBlog Journalismに対する批評、分析が加えられていて、たとえば、匿名性の問題や、名誉毀損、風評被害のことなどが取り上げられている。また、風評被害の裏として仮名による内部告発のようなことも触れられている。
このあたりも、Blogosphereといった方がいいような、まだ言説として制度化されていない、その意味では生(き)のままの「書かれたもの」が、受け手の受け取り方によって、いかようにでも既存の書きもののカテゴリー(記事、調査結果、感想、内部告発、等々)に分類されうる余地を残していることになる。
だから、今後注目していくべきは、こうしたBlogosphereの書きものとしての特徴(あるいは、書かれ方の様式)に、経済・経営的な要因がどのように関わることで、新しいJournalism(これももはや印刷物の香りがするので適切な言葉ではないのかもしれない)に変貌していくのか、というところだろう。
上で見ただけでも、経済的には、従来の新聞的な収入形態の他に、篤志家による資金援助や、利用者によるcontributionの提供というのもあり得る。なお、contributionというのは、いわゆる寄付金のことだが、アメリカでは、一回一回の利用に対する対価というのでなく、活動そのものに対する支援金、のような意味あい。
(たとえば、メトロポリタン美術館であれば、会員になって自分の思う金額のcontributionを支払えば、年間のフリーパスが得られた。対価の決定権が支払う側に移ることになるのが、news sitesのような公共的な活動にあっているようにも思う)。
組織的にも、従来の新聞社に加えて、調査機関、シンクタンク、出版社、研究所、など、基本的に知的な生産活動を行っていて、それらを対外的に公表する=publishすることも重要な機能と考えている企業・団体は、Online Journalism的な存在に限りなく接近することになると思う。
そして、こういうBlogosphereの可能性をいろいろと想像させてくれるところで、今回紹介した、Massing氏の論考は示唆に富んでいる。
なんにせよ、いくら経営的にジリ貧だからといっても、既存の新聞社の動向に過度にひきずられるのではなく、BlogosphereやOnline Publishing/Journalismの可能性についてあれこれ考えてみる方が生産的なことだと思っている。