“Good Enough”がWorld Marketの合い言葉に

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September 07, 2009 21:25 jst
author
junichi ikeda

これからの時代の商品開発のポイントは、「高性能」「高付加価値」の追求よりも、“Good Enough(これで十分と思える程度の「ほどよい」もの)”の追求にこそある、と説くWIREDの記事。

The Good Enough Revolution: When Cheap and Simple Is Just Fine
【WIRED: August 24, 2009】 * WIRED MAGAZINE: 17.09 掲載

具体的に、“Good Enough”を構成する要素としては、以下の三つの特徴が強調されている:

Low price  低価格
Flexibility  柔軟性
Convenience  有用性

そして、「商品としてはGood Enoughでいいじゃないか」という現象を、“MP3 effect”と呼んでいる。いうまでもなく音楽ファイルフォーマットのMP3のことで、当初はCDクオリティの音質よりも劣るものとして音楽の専門家やAVメーカーからは等閑視されていたものの、「データの軽さ」からPCダウンロードに適したものとして世界中を席巻してしまった。その、「データの軽さ」「利便性」が利用者の行動を変えたことを、“MP3 effect”としている。

また、記事中で紹介されているように、当初からMP3で音楽を経験した世代にとっては、MP3の音質でとりあえずのところ「十分」用は足せてしまう。このように、「商品に求める質の水準の変化」のことも、“MP3 effect”の意味としてカウントされている。

さらに、記事中では、今ではinnovationを語るときのイロハのイになっている、Christian Christensenの“disruptive technology(破壊的技術)”も参照していて、“Good Enough”路線はinnovationの学説からしても妥当であることを示している。

つまり、既存の業界トップの企業の開発目標が「既存テクノロジーの延長線上にある質の向上」に固執しているところでは、“Good Enough”と呼べる商品を供給することで、市場の重心をずらして、新たなマーケットを開発できるという。

裏返すと、既存のマーケットリーダーたちが、自分たちが慣れ親しんだ「品質」の尺度と、その「品質の向上」を商品開発の目標に設定している限り、ある日思いもよらない「外部」の新参企業に、市場の一部を奪われ、そこを梃子にして、市場の土台そのものが変えられてしまうことすらある、ということ。

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おおむね、こういうことが上の記事で記されている。

もっとも、ここまでなら、単にChristensenの学説の焼き直しでしかないわけで、上の記事の新しさがあるとすれば、それは“Good Enough”という言葉をつくることで、新参企業が目指すべき目標を明確化したところだろう。

WIREDが主に読者対象としている英語圏においては、企業活動のグローバル化によって、新規参入する「外部企業」の存在にリアリティがあることも、“Good Enough”の実現を加速させる。インドや中国で相対的に安い労働力の下で作られた商品が英語圏の市場に流れてくるということだけでなく、アメリカをはじめとする英語圏の国内企業の多くは多国籍化を果たしているため、先進国企業の系列企業が隣接市場に「第三者」の顔をして参入することもできるからだ。

もちろん、現在、成熟消費市場である先進国のいずれもが景気後退の憂き目にあっているわけだから、日本の経験からいえることは、デフレ圧力が高まる基調があるということ。そういう経済環境の下では、「安さ」と「品質」のバランスがとれた商品の供給は消費者に歓迎されるので、そういう商品開発競争を行っているうちに、実は「この水準で十分だった」と多くの人が納得するような商品が登場してしまう可能性は高い。

つまり、Christensen的な「破壊的技術」というinnovationの要請だけでなく、世界中(少なくとも英語圏)の消費者が「低価格」を求めている、という経済状況も、“Good Enough”を商品開発の本流に押し上げる可能性を高めている。

上の記事は、WIREDに掲載されているので、“Good Enough”の対象は主にハイテク商品に向けられているが、既にデフレを経験している日本人の感覚からすれば、“Good Enough”現象がひとりハイテク商品に限らないことは、経験的に納得できること。

そう思うと、“Good Enough”の流れも、初期においては、廉価版によって市場のシェアを確保しながら、隣接市場の商品の機能や特性を加味していく中で、なかばキメラ的な商品が媒介項として登場し、そこを踏み台にして、新たに異なる商品イメージを形成していく。そのようなステップを経ていくように思える。

記事中では、“Good Enough”の例として、Skypeやnetbook、Huluなどが紹介されていて、これらが、大なり小なり、ウェブと関係しているのも“Good Enough”が想定する商品イメージを捉える上では意味があるのだろう。

いや、というよりも、むしろ、ウェブの上で実演されている“Good Enough”的な価値、つまり、(中間マージンの排除による)低価格の実現、とか、機能の柔軟性=scalability、とか、常時バージョンアップしては利便性の向上を図っているところ、などが、むしろ、これからの「商品やサービスの有り様」として、世界中の人びとが共有するイメージを醸成しているように思えてくる。

今までmass marketと呼んでいたものが基本的にはそれぞれの国の国内市場のことを指していて、そのイメージはしばしばテレビに代表されるマスメディアによって形成されていたとすれば、これから先の時代、いつの間にか、G7でもG8でもなくG20が当たり前になった時代では、大なり小なり、市場はWorld marketとして想像されることになるわけで、その時、共通イメージをWorld consumersに供給するのは、テレビではなくInternetになるのだろう。G20とは、先進国と開発国という区分ではなく、全体として一つの経済系を形成するようになるからで、そのときWorld mediaとして世界中に浸透することが可能なのがInternetだからだ。G20 の時代にそのように形成されるWorld marketだからこそ、旧先進国と旧開発国の従来の市場のギャップを埋める商品が必要で、だからこそMP3 effectが市場全体を転覆させる効果をもつのだろうし、だからこそ“Good Enough”がこれからの商品開発のメイン・ストリームになりえるのだろう。

このように考えると、最近取り上げてきた、NokiaiPhoneChrome OS、のいずれもが、G20が前提の、“Good Enough”という大きな流れに対応した結果としての動きと捉えることができると思う。