Facebook上のアプリケーション(=Facebook-app)の開発を行おうとする企業が、開発費用の獲得のために、ベンチャーキャピタル(VC)にpitch(=プレゼン)をする様を報告した記事。
Facebook-Focused Startups Pitch to VCs
【Wall Street Journal: September 2, 2009】
ピッチを行う相手は、fbFund(FacebookのもつVC)と、Facebook自体に出資しているAxel Partners と Founding Found。
開発に必要なAPIがオープンにされていると、一種の「オーディション・システム」として、サービス開発が行われることのいい事例になっている。
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この記事を読んで思い出したのは、ソニーが初代プレステでゲーム業界に参入するときに行った、ゲーム開発会社の誘因策。立ち上げ期のSCEには、ソニー本体出身者とSME出身者がいて、SME出身者の方は、ゲーム開発者を一種のミュージシャンのように考えていた。オーディションのようなことをして、プレステ用のゲーム開発をする人材・会社にライセンスを供与し、しばらくの間は資金的にも援助しながら、とにかくプレステ用のゲームが開発される環境を整えることに力を入れていた。
当時は、任天堂とセガがゲーム機提供会社として存在し、SCEは典型的な後発参入だった。有名なゲーム開発会社もいくつか存在していたが、それらは任天堂やセガとの取引関係が既にあったし、それぞれのゲーム機は、スタンドアロンの独自システムの上で稼働していたため、それぞれにコードを書かなければならなかった(いわゆる「移植コストの問題」)。任天堂はファミコンで既にトップメーカーの地位を築いていたし、セガはアーケードゲームも運営しそこでの経験を家庭用ゲーム機開発に生かすことで独自の開発力を有していた。
(ちなみに、ゲーム機のスペック向上に伴い、個々のゲーム機=プラットフォームの上での開発費用が増大の一途をたどったことが、ゲーム開発会社どうしの合併を促すことになった)。
このような状況で後発参入するには、とにかくプレステ用のゲーム開発者の確保が不可欠であり、その次に、任天堂やセガとは異なるアングルからのゲーム開発を行う必要があった。そのために、大手ゲーム開発会社をくどく一方で、ゲーム開発者を、あたかもミュージシャンのように、発掘し育成することに力を入れていた。
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上の記事で紹介されている、Facebook-appの開発事業者のピッチの状況はまさにこれに近い。サービス開発のためにVCのスキームを使いながら、オーディションを行っているわけだ。
これは、ウェブ上のアプリケーション開発がもっぱらソフトウェア開発であり、その開発の成功には、ユーザーの利用意向を上手く掬い上げることが不可欠で、そのための知恵は社内外を問わず自称一番良きユーザーである人びとから生まれてくる可能性が高い、という現状認識に基づいているのだと思う(さらにいえば、社外の方が、より自由な発想からスタートできるという強みもある)。
公開APIに基づきアプリケーション開発するのは、普及した楽器を使って楽曲を作ることに似ている。fbFund、Axel Partners、Founding Found、らは、いわば音楽プロデューサーのような立場に立って、彼らのアイデアや開発力のプレゼンを受けることになる。そして、お眼鏡にかかった会社に、その開発費用を投資として与えることになる。
こうした仕組みを回すためには、「音楽で一発あててやる!」と思っているミュージャン同様、アプリケーション開発で「一発当ててやる!」と思っているソフト開発者が、自発的にどんどん売り込みにやってくるような仕掛け=環境が必要になる。そのためにも、APIはオープンにしておいて、そうした人びとの自発性に期待をかけた方が効率がいいことになる。
だから、シリコンバレー総体で、ソフトウェア開発において、スターダム・システムがあることが大前提になる。そう思うと、ソフトウェア開発が、音楽や映画などのエンタメと同様、「アーティスティック」な作業になるし、そこで成功した人たちが、一種のアーティストのような、セレブ的な要素を持つようになるのも頷けるというもの。
これは、IBMやNokiaのような会社とは随分異なる開発体制になる。
同じ開発といっても、Facebook-appで想定されているのは、事実上、サービス開発もしくは商品開発にあたる。本来は、自社内で行うこともできるが、社外の人びとの間で、熱意ややる気や成功欲というモチベーションと、一定以上の経済的成功というインセンティブによって、社外の人びとの動機付けがきっちりできるのであれば、社外の人びとを活用する方が望ましい場面も出てくる。
一方、もう少し長期にわたるR&Dの開発については、たとえば、新たなAPIを定義するような、つまり、ウェブの利用方法のステージを変えてしまうような技術開発については、R&DのR=Researchとして、自社内で研究するか、大学などと組んで、研究ネットワークの中で研究を進めること普通になる。IBMやNokiaのような会社は、こうした研究開発の機能も自社内で回せる規模を維持している。
(もちろん、前のエントリーで記したように、こうした中長期的な、ウェブの利用のステージを変えるような技術開発についても、VCによる起業スキームはある。その場合、exitはIPOだけでなく、VCのネットワークの中での買収という手も使われる)。
だから、APIを公開する=オープンにする、ということは、上のサービス開発スキーム(開発生態系)を維持していくために不可欠のものになるし、このスキームの恩恵を受けたものであればあるほど、ウェブ上の利用については、オープンをよしとすべし、ということになる。
こういうサイクルの定着が、シリコンバレー周辺、ベイエリア周辺に、「起業文化」ともよぶべきものを醸成していくことになるのだろう。なぜなら、オーディション・システムのようなものが常時回っていくためには、前提条件として、起業にまつわる情報流通の「速度」や「密度」が必要だからで、そうした特質がそういう志向性を持った人びとをベイエリア周辺に引き寄せることになるからだ。
そういう点では、Facebook自身、最初は創立者のMark Zuckerbergが通うHarvardでスタートしたが、Facebookを会社として回そうと思った時点で、Zuckerbergは創立の仲間とともにシリコンバレーに移っている。彼ら自身がまさにそうした「起業文化」に魅せられたわけだ。そして、今度は、自分たちが、その「起業文化」を実践し深める側に移ったことになる。
(このあたりは、前のエントリーで、Skypeの創始者らが、欧州への導入を図っている、シリコンバレー流の起業文化の実例にもなる)。
そして、こうした環境での成功実績が、OpennessやFreedomを大事にする心性を産み出し続けることになるのだろう。あたかもバトンをわたすかのように、一度受けたVC的支援を、次にエントリーしてくる人びとに、自らが与えていく、という贈与的な振る舞いが続いていく、というのは、だから、ある種の生き方のモデルのようにも見えてくる。それもまた、起業文化、と呼ばれるものの一つなのだと思う。