前のエントリーで、2000年代に入ってもいまだに1960年代に提唱された「普及の理論(diffusion theory)」をマーケティングの出発点にするのはさすがに不適切ではないか、というような主旨のことを書いたが、どうやらそうした疑問を裏書きしてくれる調査をForrester Research が行ってくれたようだ。
The Race to Be an Early Adopter of Technologies Goes Mainstream, a Survey Finds
【New York Times: September 2, 2009】
過去数十年にわたって、最先端の技術を使った機器を購入するのは“tech enthusiast(技術の熱狂的愛好者)”とか“gadget geeks (端末オタク)”に限られていて、彼らがearly adopters(最初期の機器利用の採用者)”として位置づけられていた。それゆえ、情報機器は(文化の主流ではないという意味で)サブカルチャーに属していた。
裏返すと、普通の人は“older, established products and services(年季のある確立された商品やサービス。要するに老舗のブランド品的なもの)”を利用していて、それらがメインカルチャーとして社会的に認知されていた。
つまり、Early Adoptersとしてのgeeksと普通の消費者の間に「溝(キャズム)」があると認識されていた(それが故の「サブ」と「メイン」のカルチャーの分断)。
こうした状況が、Forrester Researchの調査によれば、もはや無効になっている。というのも、一般家庭においても、最新技術機器がかつてのgeekのように、購入され続けているから。
ということで、もはや“We’re all gadget geeks now.(私たちはみなgadget geeksだ)”というそうだ。
テレビ、パソコン、ゲーム機、スマートフォン、等々、様々な情報機器が、以前のように特定の消費者グループに購入されるのではなく、さまざまな消費者(個人、家庭)によって広く購入されるようになり、もはや特定のグループ化が不可能になっているという。
というわけで、もはや情報機器市場は、early adoptersを特定することが無意味な市場になっている、ということ。これは、前のエントリーで、Twitterの普及過程が従来の若者から、というルートをたどらなかったという事実とも呼応する。
記事にもあるとおり、もはやアメリカは“digital nation (デジタルによって共通意識・同族意識をもってしまった)”であり、digitalは空気のように商品の大前提になっている。それは、作る側も、売る側も、買う側も、同じように感じていること。
(といっても、そうした「共通意識」「同族意識」そのものは、パソコンやインターネットが先行して普及して、「社会的事実」として誰もが認識できるようになったが故に感じることができるようになったものなのだが)。
*
以上が、Forrester Researchが捉えたアメリカの様子。
といっても、この20年間で家電量販店が流通の基幹店舗になり、秋葉原が地域全体で再開発されたことを経験した日本人からすれば、なにをいまさら、という感じだろうが。
だが、そう思えるのだとすればなおのこと、日本ではEarly Adoptersの存在を前提とする「普及の理論」をマーケティングの出発点に置くのは、思考のとっかかりぐらいにはなるだろうが、現実に即したものではないととるべきではないだろうか。