高層建築の中に農園をつくり、環境問題、農業問題、都市問題、不動産開発問題、・・・、を同時に解決してみてはどうかという、コロンビア大学のDickson D. Despommier教授のOpinion。
A Farm on Every Floor
【New York Times: August 24, 2009】
この構想自体は、日本の雑誌でも何回か取り上げられたことがあるので、既に知っている人も多いかもしれない。
ちなみに、次元は全く異なるけれども、目指す精神は同じ、ということで、次の、Brooklynの屋上庭園も紹介しておく。
This Is a Roof
【New York: June 21, 2009】
こちらは思い切り地道だが、こういう地道なことを愚直にやれるところがNew Yorkerらしいところ。もとい、Brooklynerの気骨のあるところ。
*
Despommier教授の構想は、一見、荒唐無稽なところはあるものの、よくよく考えると、以前、日本でもバブル期に、ハイパービルディング構想の一環で、首都圏3000万の人口を収容可能な高層建築である、東京バベルタワー構想というものがあった。今考えるとバカバカしくて思わず笑ってしまうような構想なのだが、当時は結構真剣に考えられていた(そこまでいくと一種の人工島とかスペースコロニーの建設に近い発想なのだけれど、当時はアクアポリスやポートピアが実際に建設されていた時代なのであながち冗談ではなかった)。
この東京バベルタワーのことを踏まえれば、Vertical Farming など序の口ではある。
冷静に考えれば、いつの間にか私たちの周りには、ショッピング・モール的な建物で溢れていて、一昔前であれば一つの商店街に属するような規模の数の店舗が全て収容可能な巨大建築物はもはや当たり前になっている。そのことを考えれば、Vertical Farmingのような存在も、導入初期においては多少の戸惑いはあるだろうが、慣れてしまえばそれまで、ということになると思う。
要は、人工的、人為的な自然として、Vertical Farmingのような存在を、人間の側でどこまで受け入れることができるか、というだけの話。
実際、アリゾナやニューメキシコのような砂漠州は、自然環境のままでは人が住むのは容易でない場所だったのだが、New Deal期の巨大電源開発、空調設備技術の向上、などによって、巨大建築によるコロニーのような都市の建設が可能になって、今では、全米有数の急成長都市圏となっている。アリゾナのフェニックスなどは、不動産開発ラッシュが行きすぎて、今回のサブプライム危機で計り知れない打撃を受けてしまったという笑えない話があるくらい。
(ちょっと異なる話だが、アメリカ中西部に北欧系やドイツ系の移民が多いのは、内陸部の冬の厳しい寒さに対応できる居住文化の伝統を持っていたのが彼らだったから、というのを聞いたとき、なるほど、と思ったことに近い。近隣の自然環境をいかに利用するかというのも、文化の一つ、ということ)。
だから、Vertical Famingによって、田園の機能を都市部に折りたたむ、という発想もそれほど突飛なものには思えない。特に、Despommier教授がさしあたって適用を想定しているマンハッタンは、もともとHudson Riverの中州の上にできた、見えない城郭都市のようなところで、そこの建物は、高層建築ブームの初期にできたものでかなり古いものを騙し騙し修繕しては使ってきたものも多い。そういうわけで、大手企業の本社ビルを中心に建て替えが徐々に進んでいる。ベルリンやロンドンを筆頭に欧州の都市が2000年前後に大々的に、現代建築の技術を取り入れて都市開発をやり直したので、もはやアメリカの古い巨大都市は、ただただ本当に古いものに成り下がってしまった。だから、何らかの再開発が必要だという意識は強い。
ということで、このように、建築物から都市を再構成し直そうという気運がある段階ならば、Despommier教授の発想を取り入れる余地が十分あるように思う。
20世紀の都市イメージを牽引したのはアメリカで、そのアメリカの都市イメージを先導したのがLA。motorizationによる都市導線の変化が都市編成のメカニズムを変容させ、それがたとえば、edge cityのように、西洋都市に見られた都心と郊外という概念を覆した(日本の首都圏も同じような感じ)。
けれども、2000年代に入って人口に膾炙するようになったsustainabilityの発想は、motorizationに対して少なくとも一定の上限を設けようという動きだ。つまり、20世紀が自動車との共生を可能とする都市計画・都市政策が必要だったとすれば、21世紀は「自動車ではない何か」との共生を模索することで都市計画のフロンティアが見つかるのかもしれない。
ということで、以上のようなことを、Vertical Farmingの話から自然と想像してしまったりする。少なくとも想像力を刺激する何かを伴っているのだろう。
これに加えて、Brooklynersの地に足が生えた動きが、構想の実現にリアリティを与えてくれるところがNYの面白いところだ。