先日のエントリーで触れた、SECのSNS締め出しの動きについて、もう少し広い観点からNYTが報告している。
Leagues See Bloggers in the Bleachers as a Threat
【New York Times: August 20, 2009】
NYTのレポートによれば、SEC(Southeastern Conference)のお達しは、スタンドに集まるファンが対象というわけではなく、テレビ中継その他の映像を編集して、独自の映像コンテントを作り、それをアップして、アクセス料や広告で収入を得ている人たちを対象にしているという。
とはいえ、その区別を試合会場で行うのは至難の業なので、一律禁止、ということになっているようだ。
そして、この点について、First Amendment lawyers、つまり、アメリカ憲法修正第一条「表現の自由」の擁護に勤しむ法律家(弁護士や大学教員)らが、First Amendmentを損なうという理由で反対表明をし始めている。メディア企業にブロガーも加えて反対運動を行うようだ。
ということで、随分と大事になりつつある。
記事にあるとおり、スポーツ観戦番組が全てESPN的な作りになっていいのか、とか、大学スポーツまでNFL的な報道のされ方になっていいのか、と、放送番組の多様性確保の方に訴える人も出てきている。
スポーツ観戦とSNS的なものとの間の軋轢は、大学スポーツだけでなく、当然プロスポーツでもあるし、高校のスポーツ大会でも起こっていて、どうやらSECのルール選定は、別々に起こっていた問題を束ねてしまう起爆剤になってしまったようだ。
つまり、ケーブルの登場によって、プロスポーツばかりでなくアマチュアスポーツまで放送番組として取り上げられるようになり、それによって、放送権というお金の流れの中に、アマチュアスポーツも片足を踏み入れてしまった。しかし、BlogやTwitterなど、人びとの発信能力を増加させるインターネット関連の技術が普及することによって、独占的な放送権が脅かされるようになり、アマチュアスポーツ団体もその放送権の維持の方に動いた(今回のSECのケース)。そして、この段階で、スポーツ観戦者たる普通の人びとは、アマチュアスポーツまでもがプロ的なビジネスの対象になっていることに改めて気付いてしまった。
問題は、アマチュアのはずだったのにプロのようになっているではないか、ということ。
アマチュアスポーツの主催者(たとえばSEC)と、観戦者たる当該地域の人々の間の、この意識のずれが、事態をややこしくしているのだと思う。
つまり、アマチュアスポーツに対して、観戦者たちはこれをみんなのもの(=public)なものと思っているのに対して、主催者はあくまでも主催者のもの(=private)なものと思っている。
privateかpublicかという境界判定の問題が浮上してきたわけだ。
First Amendmentの問題ともあわせて、このことはしばらく追いかけていきたい。