先日のエントリーで「解放」などと書いたけれど、南部の現実は厳しい。
For SEC, tech-savvy fans might be biggest threats to media exclusivity
【TampaBay.com: August 16, 2009】
記事中にあるように、SEC(Southeastern Conference)主催の大学スポーツの観戦では、会場に集まった観衆は、会場内でTwitterを使ってはいけない。ケータイのデジカメを使ってもいけない。ましてや、会場内の写真をFacebookやFlickrにアップしてもいけない。もちろん、ビデオを撮ってもいけないし、それをYouTubeにアップするのも御法度。
つまり、試合会場から閉め出されるのは、Twitterだけでなく、実質的にSNSの全て。
従来は、公式のレポーターに対してこうした行動抑制はあったのだが、それが、全面的に観衆、ファンにまで及ぶようになったわけで、どうやらアマチュアスポーツでここまで明確に観衆の行動規制を明示したのはSECがアメリカでも初めてらしい。
今、アマチュアスポーツで、と書いたように、SECは、アメリカ南部の大学リーグ。具体的には、ケンタッキー、テネシー、アーカンソー、アラバマ、サウスカロライナ、ジョージア、ミシシッピ、ルイジアナ、フロリダ、の、主に州立大学からなるリーグ。種目は複数あって、アメフトやバスケット、ベースボール、が中心。
今回、ここまでの規制を行うことにした背景には、SECがCBSならびにESPNとの間で15年間の独占的放送権の契約を交わしたことがある。
アメリカの場合、ESPN(スポーツ専門ケーブルチャンネル。ディズニー傘下)が登場したことで、全米のスポーツというスポーツが放送対象になり、その中で大学スポーツも人気を獲得していった。
その元締めにあたるのがNCAA(National Collegiate Athletic Association)で、NCAAの統括の下、複数の競技が、全米各地のリーグやカンファレンスによって開催され、最終的には、NCAAの下で全米ナンバーワンを決めることになる。プロリーグのある、アメフト、バスケット、ベースボールは、いうまでもなく、大学リーグでの優秀選手は明日のプロリーグを背負う選手ということで全米の注目を集める。
メディアビジネスの視点から見れば、大学スポーツは有力な「地域コンテント」の一つで、関係は深い。アメリカでは、結構な数の大企業の本社が全米に散っているので、地元の大企業の後援、という形で、ある意味、非常にわかりやすいCSRの一つになったりする。
アメリカの場合、スポーツジャーナリズムの層も厚いので、単に勝敗をレポートするだけでなく、試合の様子の記述から、選手、ファン、地元企業・コミュニティ、の全てがジャーナルの対象になる。そうして書かれたものは、その地域の人々の間で読まれることで、地域の「記憶」になっていく。
一時期日本でもよく読まれていたが、たとえば、Bob Greenのコラム(彼はシカゴが拠点だが、コラムはシンジケーションによって全米に配信されていた)を読めば、Greenがしばしばベースボールキャップをかぶってシカゴ・カブズの試合を見に行き、その帰りにダイナーでハンバーガーを頬張りながらバドワイザーを飲む、なんて場面によく出くわしたように記憶している。そういえば、シカゴ・ブルズのMichael Jordanを追いかけたルポルタージュもあった(“Hang Time”)。
こんな感じで、スポーツの描写を通じて人生のエピソード(しばしば教訓)が語られていく、という語りの形式がアメリカにはある。語りの対象の最高峰はもちろんプロリーグだが、その前段階のアマチュアリーグも、たとえばプロを目指したがダメだった、というほろ苦いエピソードも含めて、大切な語りの対象であり、記憶の宝庫。
そういう語りの場、記憶の場となりうる機会を、いくらハイテク機器が進化して、独占放送の機会が損なわれる懸念があるからといって奪っていいのか、という声は当然でてくる。
そうしたブログをいちいち取り上げることはしないが、要するに会場には行かずに家でテレビで見ろってことだな、と悪態をつくブロガーも出てくる。プロリーグならまだしも、アマチュアリーグである大学スポーツでここまで規制する必要はないんじゃないか、という声もある。
そして、SECはtechnophobia(技術恐怖症)過ぎるのではないか、という指摘もある。
こういうとき、もはや先行事例として取り上げられる音楽ビジネスでは、ネットの登場によって、CDが売れなくなり、今ではコンサートを重要な収益機会と捉えている。そして、そのコンサートへの動員を促す手段の一つとして、Twitterに限らずSNS的なものを活用する方に向いている。インディペデントに近いほどその傾向は強い。だから、SECもそのように振る舞う方がむしろ得策なのではないか、という主張も出てくる。
しばらくの間は様子を見るしかないのであろうが、かように、TwitterのようなSNSツールの影響は大きい。記事中にもあるように、audience(観衆)の概念や意味を変えてしまう。そして、これはスポーツに限らないが、従来からのマスメディア機構に所属するレポーター、ジャーナリスト、と、彼らがプロと言われる関係上「アマチュア」とされるブロガーとの間にある扱いの差も、問題の一つとして浮上してくる。
SECの本部はアラバマにある。そして、先日のエントリーで例に出したForest Gumpの舞台もアラバマだった。あくまでも個人的なものだが、妙な符合に不思議なものを感じてしまう。南部に対する切り口は、しばしば音楽(ブルースやロック)と文学(トム・ソーヤーなど)が挙げられてきたが、スポーツという軸も、実感を持って、切り口の一つに加えようと思う。