Google Book Searchによるアメリカ出版業界集中化の懸念

latest update
August 14, 2009 23:00 jst
author
junichi ikeda

Google Book Searchに関する公的議論の現状について、FTがまとめている。

Books: A plan to scan
【Financial Times: August 12, 2009】

前のエントリーでも触れたが、状況として説明されているのは、

●GoogleとAuthors/Publishersとの訴訟とその和解
●和解内容の裁判所による審査
●司法省反トラスト局の介入(和解内容の精査と裁判所への意見提出)

というあたりのこと。

ただ、この記事で面白かったのは、Google Book Searchに対する二つの懸念のうち、二番目に挙げられている、アメリカ出版業界が「集中化=centralize」してしまうことへの懸念のところ。

(なお、一番目は、いわゆる“orphan books”に関わる懸念。Orphan booksというのは、public domainにはまだ入っていないものの、著作権の所属が不明になってしまっている本のこと。この数が膨大なため、ひとたびこのリストをGoogleが占有する事態が生じれば、Digital Bookに関するデータベースの規模の大きさから、出版社が一方的にGoogleをパートナーに選ぶことが続出し、その帰結として、Googleが出版業界に対して大きな影響力を持つのではないか、というもの)。

Google Book Searchが想定しているスキームとして、Book Rights Registryという一元的な書籍の著作権登録主体が登場し、これによって、書籍流通が集中的に管理されてしまうのではないか、という懸念でもある。

上の記事では、NYUのロースクールの教授の発言を引用しながら、書籍業界は、今までdecentralization(非・集中化)の下でうまくやってきた、といっており、そういう統制のなさ=自由さが、書籍文化・出版文化の多様性や柔軟性を担保してきた、という。そういう特徴がBook Rights Registryという体制によって脅かされるのではないか、という懸念。

記事中でも、音楽や映画と異なるのだが、ということわりがあるように、音楽や映画では、業界関係者の利益を集約させる機構・団体(日本のJASRACのような存在)があるのだが、書籍の場合は、そういう存在が今までなかった。そういう状況が、Book Rights Registryの登場で変わってしまう、ということを警戒しているように見える。

確かに、アメリカの出版事情は、日本と異なるところが多い。

日本のように再販指定・委託販売指定のような独禁法上の特例がないので、普通の商品と同じように、書籍についても、バーゲンセールが行われる。Amazonでもディスカウントが可能になる。

出版流通が集中化されていないせいか、書籍のサイズもばらばら。似たような大きさでも微妙にサイズが異なるので本棚を整理するのが苦労するくらい。

もっとも、そのため、逆に、本の装丁やデザイン、時に物的形状に至るまで、特異な本を出版することができる。アメリカの場合、クリスマスなどに本を贈る習慣があるので、見た目もちょっと変わった本が喜ばれる機会がある。結果的に、存在自体がユニークな本を見かけることも多い。

こうした「書籍・出版の自由さ」が、Book Searchの登場によって均質化されてしまうのではないか、というのが、出版関係者を不安にさせている原因のようだ。

Digital Booksにするときの表現として、本を「dematerializeする(≒非・物質化する)」という表現をよく見かけるが、このことの含意は、多分、アメリカの方が日本よりも深いのだろう。

日本のように、本の形状の規格化が進み(これは主に流通の要請)、最近では、携帯性重視から新書・文庫が増えてきており(これは主に読者側の要請)、「dematerialize」といっても、それは印字されているテキストデータを取り出すことに過ぎず、本の形状が規格化されている状況では、「テキストデータ自体がほぼその本の価値に等しい」、という感覚が出てきてもおかしくない。

だが、上で指摘したように、アメリカの方が日本よりはまだ「物理的な存在」としての本の形態にバラツキがあるため、「書籍のdematerialize」の衝撃は日本よりも大きいのかもしれない。「物理的な存在としての本」の個性を殺してしまう、と取ってしまうのかもしれない。

こういう点は、いわば、社会における書籍の存在感が、日本とアメリカでは微妙に異なることを指し示しているように思えて、興味深いところだと思う。

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アメリカの場合、政府の構造が、州政府と連邦政府の二重構造であるためだろうが、産業界の取り決めに関して、政府が自らの意思で調整に乗り出す、ということは簡単ではない。

とはいえ、業界全体の利害の調整、というのは必ずあって、これは民間の複数の主体が絡んでくるという点では、つまり、「みんなの利益=公の利益」という点では、publicな要素をもつことになる。こういうときは、産業界の方から、州議会なり、連邦議会なりに働きかけて、立法措置を執ってもらう、という流れになることが多い。働きかけの発端は政府からではなく民間から、というのが、アメリカの場合デフォルトだと考えていいように思う。

Book Rights Registryのような存在は、映画や音楽の業界にはある。そして、映画や音楽の業界は、議会に対する働きかけ=ロビイングも盛んだ。裏返すと、Book Rights Registryのような存在の浮上にあわてるということは、書籍・出版業界は議会に働きかけることは少なかったのかもしれない。映画や音楽と異なり、図書館制度によって、公共的資金(≒税収や寄付)によって、無料で書籍が市民に解放されるシステムがあることも、映画や音楽とは異なる振る舞い方を身につけさせたのかもしれない。

上の記事からはこんなことも想像させられた。機会があれば、もう少しきちんと調べてみたいと思う。