MS-Wordで自社の特許が侵害されたと訴えていたI4i社が、連邦地裁(テキサス州東部地区)でMicrosoftに勝訴した。
U.S. Court Bars Microsoft Word Sales
【New York Times: August 12, 2009】 * REUTERSが情報を提供
Microsoft Ordered to Pay $290M in Patent Ruling
【New York Times: August 12, 2009】 * APが情報を提供
さしあたって、アメリカでのMS-Wordの販売が差し止められる。Microsoftは上訴する構えだが、CNETによるI4i のChairman であるLoudon Owen氏へのインタビューでは、I4iとしては、これだけ世界中で利用されているMS-Wordの販売を停止させたいわけではなく、しかるべき特許使用料を払ってもらえれば構わない、ということのようだ。
I4i says not out to destroy Microsoft Word
【CNET News: August 12, 2009】
もちろん、まだ連邦地裁レベルの判決なので、法務としては上訴してさらに法廷で争う、ということになるだろうし、そちらでMicrosoftが勝訴する可能性だってある。その証拠に、このニュースは、速報を旨とするWired Service二社であるAPとReutersの記事がNYTでも掲載されたぐらいで、newspapers各社はとりたてて取り上げていない。この段階で関心を示しているのは、上のCNETのようにテクノロジー関係のニュースサイトぐらい。
とはいえ、このニュースを最初に目にしたときは、結構凄い話だな、と思ったのは確か。
そう思ったのにはいくつかワケがある。
MS-Wordのように、もはや企業においても個人においても、基本中の基本のソフトウェアになっているものが突然販売停止=供給停止、という事態が、理由は何であれ起こりうるのだ、ということへの単純な驚き(たとえば、今この文章もMS-Wordの上でまず書かれている)。
いってみれば、地震などの災害が起こって電気、ガス、水道などのライフラインが途絶えてしまって、日頃の生活がいかにそうした基本財によって成り立っていたかを再認識させられるか、というのに近い感じ。いわば、MS-Wordは情報財・コミュニケーション財の基本中の基本としてライフラインのような存在なのだ、と感じされたこと。
そして、MS-Word=ライフライン、という図式でいけば、確かにパテント訴訟というのは、どこかしらテロ的行為に似ていて、一瞬にしてその会社の存立基盤に一撃を加えることができるのだな、と感じたこと。そして、それくらい、ソフトウェアが巨大なパーツの複合集積体になっていることを再認識したこと。
(念のため記しておくが、上のように書いたからといって、I4iがMicrosoftに対してテロを働いている、といいたいのではない。あくまでも、盤石と思っていた土台が崩れ落ちる感覚が似ている、といっているだけのこと)。
最近のIT業界は、cloud computingに代表されるように、Web-centric時代を迎えて、いかにそこで収益を上げるのか、そこに適したビジネスモデルとは何か、という話題にもっぱら集中している。このWeb-centricという新パラダイムへの移行において、たとえば、Googleは検索広告、MicrosoftはOS、AppleはSmartphone、という具合に、主なプレーヤーは、それぞれ盤石と思われるホームグランドをもっていて、そこから互いのターフに乗り出す、という構図が語られる。最近の、MicrosoftのBingとGoogleのChrome OSがいい例。
その時、それぞれのホームグランドが荒らされる可能性などほとんど想像していないわけで、そして、それぞれのホームグランドは安泰だという感覚は、そうした話題の書き手であり読み手である私たち自身が、一人のユーザー、消費者、として、その盤石さぶりを日々実感させられているからだ。
だから、よもやMS-Officeの要であるMS-Wordに土がつくなどとは思わないし、そんなことを想像しもしない。けれども、今回のI4iの訴訟はまさにそのホームグランドを直撃したわけだ(ある日突然水の代金を払えと言われる「水戦争」のようなものか)。そして、都市インフラが極めて複雑な構造や運営主体の集積で成り立っているのと同じように、ソフトウェアも、それが何であれ、複雑な構造体であることを実感させられたことになる。
そうした複雑な構造体に対してパテントで小さいながらも決定的な一撃を与えることができる、というわけだ。
このように考えると、Web-centricの時代の、一つの強力な実践思想であるOpen Source Movementというのも、一定の意義をもつように感じさせられる。原理的(理想的)には、そこでは、特許による訴訟リスク、というのが大きく縮減するからだ。
先に言っておくと、私は、とはいえ、propertyがしっかり設定されていないと経済活動なんて持続しないでしょ、と素朴に思うビジネスマンの立場に近いので、Open Source Movementには、一定の距離をもって接してきたのだが、それでも、上のように、訴訟リスクの軽減、という点では、ある種の実効性を持っているのだなと感じた次第。
特にMS-Wordのような基本中の基本のソフトウェアについては、それが供給されなくなる事態というリスクは、全てのユーザーにかぶってくることだから。
(もっとも、冷めたビジネスマインドでいけば、最悪ライセンスフィーを払えば片がつく、ということになるのだけど。もちろん、その金額が天文学的かつ懲罰的な金額でない、というのが大前提だが)。
そういう意味で、メリットだけでなく、上のようなリスクについても適宜語ることで、たとえば、Open Source Movement系のOfficeも今後利用される機会を増やすことは可能なのかもしれない。もっとも、そのためには、Global Warmingのように、人々の認識の参照枠を変えていく地道な活動が必要になるのだろうけど。
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いずれにしても、いまだ連邦地裁の判決のレベルに過ぎないので、こんなことは考えても詮無いことなのだが、しかし、この報道を聞いたときの素朴な驚きを引き延ばしておくことは、意味があるのではないかと感じた次第。なにしろ、とにかく、へぇ、とびっくりしたのは事実だったので。
それと、アメリカの場合、よく言われるように「訴訟社会」という特徴があって、日々の活動の様々な部分に裁判所の判決が差し込まれる可能性がある。ビジネスもその一つで、上のように、ビジネス活動を一時停止させるということもしばしば起こる。
アメリカの企業のannual reportを見ると、法務上のリスクを記すところがあって、係争中の裁判の動向やそれによって必要となる費用(裁判費用+賠償金など)の程度や、その最終収益への影響、などが記載されている。
“Legal Strategy”と呼ばれるように、法務をどう扱うかも、アメリカの場合、重要な経営案件になる。そうしたことを実感するにも、今回の訴訟と判決は、いいケースになると思う。
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ちなみに、I4iはカナダの企業であり、Microsoftはアメリカといっても本社はワシントン州シアトルにあるにもかかわらず、裁判がテキサスで行われたのはなぜか。
I4iの説明によると、まず、特許法は連邦法であるためまず連邦裁判所で審理される。Microsoftは全米で営業活動を行っているので、訴訟はどこでも起こせる。連邦裁判所のうち、テキサス州東部地区裁判所(United States District Court for the Eastern District of Texas)は近年、ハイテク関係の特許法に関わる訴訟を数多く扱っていて、判事もそのスタッフも特許法関連の法律・判例ともに経験値が上がっている。訴訟を起こす側も過去の判例が多いと裁判の対策が練りやすい。そのため、I4iはテキサスでの訴訟に踏み切った、という。
このように、特許法のような知的財産法や独禁法など連邦法でかつ経済法の分野は、裁判を行う側も相応の知識や経験が必要なため、習熟度の高い裁判所が必然的に浮上してくる。そして、上に書いたように、裁判で勝利を狙うには、過去の判例の数が多い方が対策を練りやすい。その結果、裁判所にも得意分野ができることになる。