昨日のエントリーで、Cass Sunsteinのいうlibertarian paternalismに関連して、現在、オバマの立ち位置の再定義が求められているということを書いた。
その一つの例として、オバマのスタッフがクリントン時代の高官で占められていることを大きな理由に、オバマにクリントン時代の政策思想であるneoliberalismからの離脱を求めると主張しているのが、次のOpinion。
Can Obama be deprogrammed?
【Salon.com: August 4, 2009】
neoliberalismからの離脱という主張のところはさておき、このOpinionの中で、オバマに先行した、デモクラットの二大政策思想として、New Deal liberalismとneoliberalismが紹介されていて、これは簡潔ながら参考になる。
New Deal liberalism 1930年代 - 60年代
FDR(ルーズベルト)からLBJ(ジョンソン)まで
60年代中盤以降、基本的にはGOPによって、アンチ・デモクラットの様々な運動や言説を束ねることで実現した「保守革命」を尻目に見ながら浮上してきたのがneoliberalism。
neoliberalism 1980年代 – 90年代
CarterからClintonまで
オバマがデモクラットの大統領である以上は、折に触れ参考にされてしまうし、デモクラットの支持母体や議員も、デモクラットである以上は、この二つの思想の磁場から逃れることは難しい。
以下、要点を整理してみる。
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まずは、New Deal liberalismから。
New Deal liberalism 1930年代 - 60年代
高賃金低福祉社会を志向
巨大企業・巨大労組・巨大政府、によるチェック&バランス
親労組の労働政策: 高い最低賃金、移民抑制
銀行業を製造業に従属させる金融規制 (産業金融への集中)
その結果、大量の中産階級を産み出し、大量消費社会を50年代に実現。
国内の需要が堅調なのに加えて、第二次大戦によってアメリカ以外の先進興業国が総疲弊状態になり、アメリカが唯一の世界の工場になり、輸出も順調。経済的な好循環を生み出す。
また、第二次大戦、冷戦により、公共セクターとしての巨大な軍が定着。太平洋岸の戦略的重要性から、アメリカ南西部の軍事基地化・研究拠点化が進み、後のサンベルトとしての南西部の発展を連邦政府の軍の予算が支えることになる。同時に、公共投資としての研究開発も進められる(StanfordやCalTech、MITが研究開発型大学院大学になる端緒がこの時期)。
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しかし、こうしたNew Deal体制は、60年代で終わりを告げる。
ベトナム戦争への過度な介入によってアメリカが財政的に逼迫する一方、欧州や日本が戦後復興を果たして国際経済のステージに復帰したため、アメリカのみが世界経済の果実を得る時期が終わったことが大きい。
加えて、LBJによる、Great Societyとしての福祉国家政策、公民権運動への応答、移民法の改正によって、「巨大企業・巨大労組・巨大政府」のスクラムによる「高賃金政策」が徐々に維持できなくなる。最終的には、アメリカが金本位制を放棄し、変動相場制に移行することで、金融業の自発的な生き残り策を見いだすために、規制のたがをゆるめて行かざるを得なくなる。
そうして、70年代から80年代にかけて、Anti-New Deal liberalismの様々な動きをConservatismという依り代によって一つに束ねることによって、政策思想的にも武装されたGOPが台頭してくることになる。市場の調整力をより信じるChicago Schoolが頭角を現すのもこの時期(同時に、「法と経済学」も始まる)。
そのGOPの台頭の裏で、デモクラットがNew Dealの頃とは異なる「世界の現実」の下で形成されていったのが、neoliberalismになる。
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neoliberalism 1980年代 – 90年代
GOP(保守)とも共有する自由市場経済へのコミットメントと
市場の失敗を埋めるための、福祉再分配策(政府によるsafety net)の混合体制。
市場経済志向としては、インフラ事業の民営化、民間企業による競争が奨励される。電力ではエンロン・スキャンダルやカリフォルニアの大停電など後に問題を起こすが、通信分野では、冷戦終了によってたまたま民間開放されたインターネットの登場によって、開発思想の異なる技術間(電話網→マルチメディア通信用インターネット網)の革新が始まる。
総じて、政府の役割は市場が稼働するための条件を整備する方に移る。
neoliberalismはClinton大統領の時に本格化したといわれる。それは、neoliberalism的なグループとして、the Democratic Leadership CouncilをBill ClintonとAl Goreが主催していたことから。
ただし、福祉再分配策の方は、「強いドル」政策のために財政均衡に舵を切ったため、財政出動を抑制することになり手をつけられなかった。
強いドルを推進したのは、財務省長官を務めたRobert Rubin。また、94年に連邦議会でGOPが多数派になる事態が生じて、Clintonとしては議会とどこかで妥協しなければならなかった。その結果、もっぱら自由市場経済にコミットする政策が目立つようになった。NAFTAもその一つ。
当時は、冷戦終結による、国際的なレジームの空白期でもあり、そういう不安定な国際環境の中でアメリカの国際的な地位を維持するためには、強いドルの維持が必要だった。これが、製造業の凋落(空洞化)と、金融業の伸長と、リターンの大きいハイテク・ベンチャー=innovationが称揚される体制が用意されることになる。
(これを記事中では、Rubinomicsと呼んでいる。Robert Rubinにちなんだ表現。彼から、Goldman Sachsと財務省、ニューヨーク連銀、Fedのつながりが強くなり、ついには、Goldman Sachs陰謀説まで出てくるほど、NYとDCが接近する)。
そして、そうした製造業の空洞化圧力を所与のものとしてなお経済活動を盛んにするためには、製造業を中心とした経済から知識経済(knowledge economy)への転換が必要とされ、そのために、「高等教育」を受けた労働者の再生産が重要だということになり、「教育政策」が強調されるようになる。クリントン政権の労働省長官を務めたRobert Reichが「シンボリック・アナリスト」といったのが、そうした「知識志向の経済」の中の労働者であった。
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このknowledge economyへの移行、というのは、先進諸国ではいまでも信じられている。アメリカ人も日本人も基本的にこのパラダイムの下で現在も経済活動を行っている。
オバマが、環境(エネルギー)、ヘルスケア、教育、に焦点を当てた政策を行う、といっているのは、だから、ある意味で、Clinton時代の積み残しの政策に手をつけ、neoliberalismにけりをつけようとしているように見える。
そして、オバマのこうした傾向に再考を求めているのが、上のOpinionの筆者であるMichael Lindの主張。New Dealの頃の、「雇用」「高賃金」「製造業」に重点を置く政策発想を考え直してもいいのではないか、ということ。
とはいえ、New Dealの頃は、上でも触れたように、第二次大戦後という国際状況があればこそ成立していたもので、その状況と今日の状況はやはり異なるのだと思う。今日の状況を生み出したことまで遡ってその責任を追及することも大事だろうが、しかし、政治家は、常に、目の前の(政策)課題に着手しなければならないので、「今日の状況」はまず受け入れないわけにはいかない。
その意味で「市場」や「国際経済」という要素を無視することはできないのが現実。
であれば、Cass Sunsteinのいう、Libertarian paternalismは、center-leftとか、center-rightとか言う形で、常に左右に引きずられる形でしか表現されないcenterに対して、確固たるcenter、確固たるbipartisanshipを築くことが目的になっているのかもしれない。New Deal liberalism、neoliberalismの次にくる、三番目のliberalismとして、libertarian paternalismを位置づける。もっとも、そう名づけた途端に、bipartisanshipの実現は困難になってしまうのだが。
けれども、そうした、libertarian paternalismのような土台(=プラットフォーム)にデモクラットもGOPもともに乗った上で、改めて、デモクラットとGOPの政策争点を探っていく、というのが、オバマの時代のアメリカ政治の基底にある課題のように思える。