Twitterの登場によって、NFLのプレシーズンのキャンプの様子の伝えられ方が様変わりしていることを伝える記事。とはいえ、スポーツ選手とファンの交流機会が広がった、という一言で済ますには、アメリカのスポーツビジネスの現状は牧歌的ではないことも同時に伝えている。
With Twitter's Arrival, NFL Loses Control of Image Game
【Washington Post: August 2, 2009】
アメリカの四大スポーツである、ベースボール、バスケット、アメリカンフットボール(アメフト)、アイスホッケー、のうち、アメフトは、プロリーグの主催者であるNFLの監督(俗にいう「縛り」)が他よりも強いといわれる。放送権の売買などもNFLが交渉の窓口になり、個別チームでは交渉しないと言われている。もっとも、試合数が他の三つのプロスポーツに比べれば格段に少ないので、チームが個別に交渉するよりも、まとまって交渉した方が有利だ、という判断もあるのだろうが。
マーチャンダイジングも、NFLが企業と契約を結ぶことになる。従来は、ビール会社と金融サービス会社を主なスポンサーにしておけば済んだのだが、現在の経済状況はそれをゆるさず、たとえば、次のように、P&Gと契約を結んだりする。
NFL Teams With Procter & Gamble In a Play for New Kinds of Sponsors
【Wall Street Journal: August 5, 2009】
“Official Locker Room Product of the NFL”という枠で、P&Gの各種トイレタリー商品が推奨されることになる。Locker Roomまで売るのか?という声も上がりそうだが、この場合は、それほどまでNFLがチームや選手を管理したがるのだ、というふうにとらえておこう。
そして、こういう点こそが、最初の記事にあるように、選手とそのファンがTwitterで交流することにNFLがあまいいい顔をしないところになる。
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アメリカの場合、スター選手とファンの間には、リーグ、チーム、エージェント、が介在する。介在者は程度の差はあれ、スター選手の露出をコントロールしたがる。
もちろん、エージェントは、選手の代理人であるからあくまでも選手の利益にかなうように行動する。その手段は、チームと選手の「雇用契約」になる。契約の中には、選手の露出機会にも条件がつけられる。そして、一旦雇用契約を結んだら、選手もチームもその遵守が求められる。
スポーツビジネスは広い意味でエンタテイメントビジネスに組み込まれる。そして、エンタメビジネスでは、著作権など法務が重要な役割を担う。たとえば、コロンビア・ロースクールの場合であれば、NYという立地もあって、一定数の卒業生がエンタメ・ロイヤーを目指す。そのとき、最終年である3年生の時、選択科目として、各種エンタメビジネスのゼミやクラスを取ることになり、たとえば、そのための教材も大学の生協やコピーショップに用意されるのだが、そのとき、スポーツビジネスのゼミのものは、労働法や雇用契約に関する判例集や教材がほとんどだった。
他のエンタメ分野、たとえば、映画、テレビ、音楽、などでも、もちろん雇用契約は重要なのだが、それらは、たとえば、ユニオン(俳優連盟とか脚本家連盟など)とハリウッドスタジオの間でひな形となる契約が既に作られていて、そこをあまり掘り下げることはない。つまり、団体交渉が成立している。
それに対して、スポーツ選手の場合は、一人のプロとしてチームやリーグと対峙することになる。そこで、労働法や雇用契約まで遡ることになるし、それが、エージェント≒ロイヤーの、主たる職務になる。
他のエンタメに比べて、スポーツ選手の場合は、活躍できる時期に制限があり(体力的限界)、同時に、怪我による意図せざる脱落、というリスクを抱えている。その分、自らのカラダだけが資本、ということになる。
こうした点が、ファンの熱狂を生むことにつながる。記事中にあるfollowerというのは「追っかけ」ということだが、憧れの対象、ロールモデル、として、熱狂的な追っかけが生まれる。そうしたファンとの「強烈な繋がり」をもたらすものとして注目を集めているのがTwitterだ。
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最初の記事で興味深いと思ったところは、Twitterを通じたコミュニケーションによって、NFLの選手たちが「人間的になる(humanize)」と強調しているところ。
これは推測でしかないが、アメフトは、他のプロスポーツと比べて、パッと見たくらいでは選手の個性が把握しにくいスポーツのように思う。たとえば、
●ヘルメットとプロテクターを身につけているので、遠くから見た場合、選手を背番号で判断するぐらいしかできない(もちろん熱狂的なファンは別)。
●ディフェンスとオフェンスで選手が大量に入れ替わる。その分、集団戦の印象が強い。
●ディフェンス側のチームがタックルなどによってオフェンス側の進行を阻止する、のがゲームの基本的流れなので、クォーターバックやレシーバーなどの花形ポジション以外は、どうしても「チームの戦略」によって動いているように見える。
要するに、選手の個別の顔を確認しにくい一方で、みかけは、兵士のように同じ格好をしていて、動きもチーム戦略が優先して、個人のヒラメキやアーティスティックな動きで事態が打開されるようには見えにくい。こうした理由で、観戦スポーツとしてはとても人気があるけど(Super Bowlの人気は全米随一)、個々の選手の「顔」は見えにくい、ということなのだと思う。
最初の記事の書き手は、こうした状況を脱して、選手の個性を発露させるための最適のツールとしてTwitterを捉えているようにみえる。
ここのところアメリカでは強調されている、イランにおけるTwitterの果たした役割、があるからか(アメリカにとってイランは中東外交を進める上での要なので日本よりも高頻度でメディアで取り上げられる)、Twitterによって、アメフトの選手が、個性を剥奪されて兵士として扱われている世界から「解放」される、Twitterによって「個性を取り戻す」というように、記事の書き手が受け取っているようにすら思えてくる。
もっとも、(これはアメフトに限らないが)、アメリカの場合、学力はあっても経済的な問題から大学に行けそうになかった若者が、スポーツ特待生という枠で大学スポーツでの活躍を(事実上の)条件として大学進学を行うことがしばしばある。そのため、インテリのスポーツ選手も多いし、中には、政治家や実業家として成功する人もいる。
そういう人にとっては、スポーツでの成功は、人生の大きな成功をもたらした第一歩。その事実は、同じような境遇にある次の世代の子供たちからすると、憧れの対象になる。つまり、スポーツで大学の学費を払い、その分大学で学んで、社会的階層をステップアップしていく、というイメージ。プロスポーツ選手としての成功が、家族だけでなく親戚を含めた経済的な支えになることも多い。そういう点でも、強い憧れの対象になる。
(よくあるもう一つのルートは、軍に志願してしかるべき従軍期間を経た後、軍の奨学金と推薦で有名校の大学や大学院に進むパタン。スポーツにしても、軍にしても、カラダ一つで、というところは変わらない。そして、従軍経験のある社会的成功者もまた尊敬されやすい)。
逆に、選手からしてみれば、ファンの多さは、直接的な「観客動員」にもつながるし、そうした実績は、契約更新の強い交渉材料になる。
つまり、選手にしても、ファンにしても、両者の間で強い繋がりを持とうとするモチベーションで溢れていて、それを支援するツールとして、Twitterは好都合だったわけだ。
けれども、スポーツビジネスの現場は、彼らの直接的な繋がりを好むものではない。今は、Twitterが出たばかりだから、ある意味でお目こぼし的な扱いだが、今後のチームと選手の契約に条項として登場し、一定の制約を受けるのかもしれない。
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間接的な例になるが、たとえば、選手に最も近い存在の一つである、スポーツメディアのESPNは、社員に対して、TwitterをはじめとするSocial Mediaの扱いについてガイドラインを示し、一定の制約を与えている。
ESPN Limits Social Networking
【Wall Street Journal: August 5, 2009】
この手の制約の難しいのは、勤務時間とプライベート時間の区分けの基準や方法が最後は曖昧になるところ。だから、一方的に雇用側(この場合はESPN)が社員らにSocial Mediaの利用そのものに制約を与えざるを得ないわけだが。
いずれにしても、(試合という興行を除いた)スポーツビジネスの本質が「メディア露出のコントロール」にあることをよく表している。そして、他のエンタメビジネスが最終的には「完成型」をメディア露出させるため、その完成型コンテント(映画や音楽のマスター)を管理すればいいのと違って、スポーツの場合は、イベントそのものがコンテントの生成場所(一種の「工場」)であるため、そのイベントの重要な構成要素である一人一人の選手に対する主催者側の管理は、放っておけば強くなる一方だ、ということ(だからこそ、エージェントの存在意義がある)。この点は、俳優やミュージシャンとは異なるところだと思う。
こういう意味で、Twitterによるダイレクトな繋がりが、プロスポーツ選手に与える意義は大きいのだと思う。