ここのところ、Fed(FRB: Federal Reserve Board) ChairmanであるBen Bernankeのメディア露出の機会が増えている。先週は、PBSの歴史ある報道番組であるNewsHourという1時間番組に登場し、収録場所であるカンザスの市民から、Fedの動きについて質疑応答まで行っている。
Bernanke Feared a Second Great Depression
【Wall Street Journal: July 27, 2009】
PBSは次のように伝えている。
Bernanke Reflects on Fed's Actions in Forum
【PBS NewsHour: July 27, 2009】
だが、Fedはそうまでして人々の理解を事前に得る必要があるのか。はたしてFedには“Popularity (親しみを伴う有名性)”が必要なのか。
なぜなら、Fedは、アメリカの中央銀行にあたり、連邦政府(=大統領府+連邦議会+司法システム)から独立した存在であり、その運営は、大統領が指名し議会が承認した人物で行われるだけで、選挙の洗礼をうける必要がないのだから。
そうした疑問に対して、Michael Mandelが以下の論考で応えている。
Behind Bernanke's Charm Offensive
【BusinessWeek: July 30, 2009】
Mandelの指摘する、Fedにpopularityが必要な理由は二つ。
一つは、今回の金融危機において、Fedが政府(財務省と)と協力して金融システム救済に乗り出したこと。
Fedの独立性は、本来、政府の意向とは関係ない(=独立した)判断で行うことにあった。その判断とは、インフレ防止を行い、社会の金融活動を一定の範囲で安定化させることで、その手段はFedの金利の操作にほぼ限定されていた。しかし、今回の金融危機では、BernakeのFedはその範囲を逸脱した。財務省証券の受け取りによる市中マネーの増大や、監督対象であった「伝統的銀行」を越える金融サービス事業者にも対象を広めようとした。その帰結として、連邦議会を中心に、Fedの「独立性」を再定義する必要があると感じる政府関係者が増えた。Fedの権能についても議論される可能性が出てきた。
こうしたFedの役割見直しの可能性に対して、できれば立法措置に至らずに、現在与えられている裁量の範囲で各種対処をしていきたい、というのが今のFedとBernankeの考えで、そのために、人々の理解を求める方向で動いている。
これがMandelの指摘する理由の一つ。
もう一つは、Fedに与えられた責務の一つであるインフレ抑制を遂行するために、どこかのタイミングで金利を上げる必要があると見込んでおり、そのための理解を早期に醸成しておきたい、ということ。
記事中にもあるとおり、Fedの「人気(というか支持率というか)」は、Gallop(アメリカの有名な世論調査会社)の調査で、CIAやIRS(日本の国税庁に相当)よりも低い結果がでている。だから、なによりもまずFedの行為に関心を持ってもらった上で、その上で好意的に解釈してくれるよう、啓蒙活動につながるよう、説明責任を自発的に行っていくのが望ましい、という判断をしたということ。
これがMandelの理由の二つ目。
さらに、もしも、Bernakeが学者時代から抱き続けている“Inflation-targeting”を実践するようであるならば、目標とするインフレ率で経済活動を調整するために、Fedは機敏な対応をしなければならない。その実践のためには、日常的に、アメリカ市民にFedの行為を説明していかなければならない。そうした振る舞いのためにも、Fedのpopularityは必要になる。
もっともi、nflation-targetingを実践することで、結果的にFedの“transparency”が醸成され、従来通りの「独立性」の維持につながる、という見方もあるようだ。
この他に、BernankeのFed Chairmanとしての続投、というのも、Bernankeのvisibilityが増している理由の一つかもしれない。Bernankeは2006年に、GOPのブッシュ大統領の指名によりFed Chairmanに就任したが、その任期は2010年に切れる。オバマ大統領による再指名がない限り続投はない。以前からホワイトハウスのNEC(National Economic Council)のDirectorであるLawrence Summersが、Bernankeの後任のFed Chairman候補として噂されているが、こうした動きを抑えて再指名されるためには、Bernanke自身の活動が、何らかの形で、アメリカ市民や市場関係者から支持を得られている、という事実が必要になる。そのためのpopularityの獲得なのかもしれない。
Fedというのはアメリカ政治の中では位置づけが難しい存在で、三権(大統領府、連邦議会、連邦司法システム)と違って憲法に規定されているわけではない。現在のFedは、1913年に創設されている。中央銀行の存在は近代国家の要件の一つ、のような通年からすれば、中央銀行不在のまま建国後100年有余を過ごせた事実の方が、逆に中央銀行の意義を問い直すことになるし、Fedは一つの銀行ではなく連邦銀行の合議体のような存在なので、これは、中央銀行の形態に対しても問いを投げかけることになる。
中央銀行の存在がクローズアップされたり、政府からの独立性が支持されるようになったのもが、絶対王制の頃の欧州で王様が恣意的にマネーを発行して社会を混乱させたことへの反省から生まれたと記憶しているので、そういう意味では、今回の金融危機でアメリカが銀行システムの救済のために、Fedと財務省が協力して事態の収束に向けて動いた、ということ自体、中央銀行を含む金融システムのありかたに再考を迫っているのかもしれない。
だとすると、Fed自身、その存立基盤が揺らいでいることを自覚していて、それゆえ、Fedの社会的役割をアメリカ市民に訴える必要があると感じているのかもしれない。
そうすると、Fedによる対外的コミュニケーションはこれからも増えていくのだろうし、逆に、そうしたFedのコミュニケーションを追うことで、Fedの意図を感得できる機会が増えていくのかもしれない。
象牙の塔のような印象のあったFedの様子が変わる契機をBernankeのFedは産み出しているということだと思う。