Chris Andersonの新著“FREE: The Future of A Radical Price”で紹介された(“FREE” 13章)、中国の音楽ビジネスのような動きが、アメリカとイギリスでも起こり始めたことを伝える記事。
Artists Find Backers as Labels Wane
【New York Times: July 22, 2009】
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最初に、“FREE”が紹介していた中国の音楽ビジネスのことを簡単に記しておく。
広い意味での「海賊版(piracy)」、つまり、無料でダウンロード可能な形でアップされている音楽ファイル、が当たり前になっている中国のような世界では――“FREE”によると、中国の音楽消費の95%は「海賊版」によるという――音楽ビジネスは、従来のようなCDアルバムを販売することで収益を上げることはできない。楽曲単位の購入もあまり期待できない。だから、収益の中心は、ライブコンサートによるチケット収入とマーチャンダイジング(いわゆる「グッズ」)からの収入となる。
ただ、これだけでは収益源としては心許ないので、コンサートそのものを大企業の「協賛(sponsorship)」にして協賛料を得ている。
アルバムの売り上げが収益の中心ではなくなると、レーベルの存在はコスト的に重荷になる。そのため、レーベルを外して、アーティストの活動を直接マネージする、タレント・エージェンシー的企業が増えてきている。ハリウッドの実力エージェンシーであるCAA(Creative Artists Agency)やICM(International Creative Management)が直接中国に乗り出し、独自のレーベルを作ろうとする動きまで出てきているようだ。
いずれにしても、音楽ビジネスの要となる部分がドラスティックに変わり始めている、ということ。
もちろん、「海賊版」に対しては外国政府からの非難はやまず、摘発のための取り締まりが適宜行われている。しかし、実態を変えるには至っていない。そもそもcommunismを標榜している国なのだから、いくら開放政策によってcapitalismのロジックが流入してきたとしても、(国による所有権制度ではなく)人々の間の「所有権」に対する観念は曖昧なままだと取る方が現実的だろう。
(日本でも、川島武宜『日本人の法意識』の頃から、欧米的な意味での所有権概念が一般的かどうかは怪しいという議論は続いているわけだから)。
そういう意味では、むしろ、Andersonのいう“FREE”のロジックが実践される実験場として中国がある、ととらえてもいいのかもしれない。
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そして、今見たような音楽ビジネスの変容が、アメリカ、イギリスでも見られようになったというのが最初に掲げた記事が伝えていること。
いわゆる四大レーベル(Sony Music、Warner Music、EMI、Universal Music)をバイパスして、アーティストとファンを直接結びつけていく、タレント・エージェンシーのような動き(記事中にあるPolyphonicという会社)が見られるようになっているのは、Andersonが伝える中国の様子と似ている。
アメリカ(とイギリス)特有の事情としては:
●レーベル所属のアーティストに対して、レーベルが、売れ行きの悪いものから契約を切ろうとする動きがあること。
●レーベルに所属せずインターネットなどを通じてインディペンデントに活動したアーティストが、いざレーベルと契約しようとすると、原盤権のレーベル所有など、レーベルとの間の契約条項で折り合いがつかないこと。
●けれども、活動の規模が大きくなるにつれて、マネジメントの必要性を、こうしたインディペンデントのアーティストも感じていること。
つまり、レーベルから契約を切られそうなアーティストも、レーベルとは異なるマネジメント構造(コスト構造)の下でなら収益を上げることはできるかもしれない。また、インディペンデントのアーティストも、楽曲の制作や演奏以外の部分の、マネジメントの部分については、第三者にアウトソースした方が、効率的かもしれない。
要するに、従来からあるアメリカ(とイギリス)の音楽ビジネスの商慣習とは異なるマネジメントが求められる事情があり、それに応える形で、Polyphonicのような会社が生まれてきている。
もっとも、こうしたビジネス慣習の変化の要請が生じるおおもとには、中国同様、インターネットの登場による音楽流通の変化(海賊版を含む)があるわけだが。
忘れないうちに書いておくと、こうした変化には、もちろんレーベル側も気付いており、記事でも最後の方で紹介されているとおり、EMIがmusic service division(音楽サービス事業部)を設立して、所属アーティスト以外の音楽活動支援に乗り出している。
こうした音楽ビジネスの変化は、欧米の音楽ビジネスの拠点である、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、で同時に起きている。
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Andersonが中国で見いだしたFRRE型の音楽ビジネスは、アメリカとイギリス、つまり、アングロ・アメリカンの世界でも見つかった。それに対して、欧州では少しばかり異なる(そして過激な?)動きも出てきている。
Pirates on parade
【Financial Times: July 21, 2009】
File-sharingサイトに対して違法と判断し、そのサイト経営者たちを収監したスウェーデンで、“the media-sharing movement”、つまり、音楽に限らずビデオ作品をも含むメディアファイルのネット上での共有実現を目的する、“Pirate Party(海賊党?)”が組織され、先日行われた欧州議会選挙で当選者を出すに至った。
FTの記事自体は、この“Pirate Party”の動きを導入にして、欧州における海賊版の扱いやCopyright Lawの変化の可能性について概観する構成になっているが、最後のところで、“the media-sharing movement”のような動きは今後も続くという見通しで終えている。
一つには、たとえば、file-sharingに対して取り締まり手段を強化しても、技術革新によって新たなsharing手段は出てくると予見されること。いたちごっこが続くということ。
また、EUとしては、取り締まり強化策として期待された、違法行為常習者に対するアクセス手段の強制停止を、基本的人権を侵害する行為として容認しない方向に向かっていること(フランスについては、このエントリーで伝えた)。そのため、違法行為への法的対応も、(最初のスウェーデンの件で「収監」とあったような、)刑事ではなく民事として扱う方向に向かっていること。民事である限りは、取り締まり方法やその執行力には限界が生じる。
そして、民事による訴訟の連続は、“Pirate Party”のような、一種の政治活動を立ち上げる「大義(=cause)」を与えてしまう。単なる経済的利害得失の問題ではなく、ある種のイデオロギーの問題にまで高められてしまうことになる。
欧州は、アメリカに比べれば、socialismの伝統が政治思想としても実際の統治行為としても残っている(オバマ政権の採る政策がしばしばsocialismとして非難されるのは、socialismとしいう言葉を通じて「活力のない老いた欧州」を連想させるのを狙っていることもあるほど)。それに、“Green Party(緑の党)”が、環境保全や地球温暖化を世界的な政治争点にまで高めた、という実績もある。なにより、一般の利用者(=有権者)からの反感を買いかねないくらいFile-sharingが一般化した(と想像される)ことは、選挙の洗礼に常に晒される議員にしてみれば扱いが難しい。
そうすると、欧州でも、音楽や映画の事業者とユーザーの間の調停策として、Andersonのいう“FREE”のような視点から解決策が見いだされていくことになるのかもしれない。
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最後に。
上で取り上げた二つの記事がほぼ同じタイミングで書かれた背後には、Andersonの“FREE”が出版されたことが大なり小なり影響を与えているのではないかと思う。書き手としての記者たちに共通の問題意識を与えたという意味で。