Cornell Univ. のコンピュータサイエンスのグループが、インターネット上で生じる「ニュース・サイクル」のメカニズムについて研究した成果が公表された。
Study Measures the Chatter of the News Cycle
【New York Times: July 12, 2009】
Tracking The Life And Death Of News
【Science Daily: July 14, 2009】
研究を実施したのは、Cornell Univ.の、Prof. Jon Kleinbergと彼の研究室のLars BackstromとJure Leskovec。記事によれば、Backstromはこの夏からStanfordに助教授として移り、Leskovecは、Facebookに行くようだ。
調査の対象は、インターネット上のニュースサイト群とブログ圏(blogosphere:群体としてのブログ)。期間は、昨年の大統領選終盤の8月から11月までの三ヶ月間。
この間に、主に、大統領候補者の発言などの素材としての情報が、いかにして情報からニュースへと転じ、どのようなサイクルで生成・消滅を繰り返すか、などについて分析している。
分析手法は基本的にはデータマイニング。上述の通り、ニュースサイトとブログ圏の記事(エントリー)をトラッキングして、類似コメントの派生状態を分析、クラスターを作る。
当然、ニュースとなった対象に対する記事は、同一表現ではなく、書き手によって同じ意味だが異なる表現になる。この「同一ニュース表現の変異体(variant)」を同一カテゴリーとして認識するアルゴリズムの開発が、この研究チームのセールスポイントの一つのようだ。
記事にもある通り、主な彼らの発見は、
●情報がニュースとなるのは「ニュースサイト」が取り上げることで生じることが圧倒的に多い。「ニュースサイト→ブログ圏」のパタンが96.5%。逆に、「ブログ圏→ニュースサイト」は3.5%に過ぎない。
●「ニュースサイト→ブログ圏」のタイムラグは、おおよそ2.5時間。つまり、ニュースサイトが熱狂してから約2時間半後にブログ圏での書き込みが沸騰することになる。
●ニュースとしての沸騰は、ちょうど「心音」のように、パルス状になる。
●このパルスの形状は、ニュースサイトとブログ圏では多少異なる。
●ニュースサイトの場合は、沸騰するまでになだらかにあがり、沸騰のピークを過ぎると一気に下がる。つまり、最初は少数の書き手が記事を書き、あるタイミングで堰を切ったように(多分、スクープ的に)集中的に記事が書かれる。そして、次の瞬間、ニューサイトの(つまり、職業記者は)、次の取材対象に向かうことになる。
●一方、ブログ圏の場合は、ピークはあっという間に起こり、その後は、なだらかにエントリー数が減っていく。つまり、ニュースサイトが沸騰したのを受けて、エントリーのアップがまず集中する。そして、こうしたニュースサイトの記事やブログ圏のエントリーを参照しながら、後続のエントリーが他のブログでなされていくことになる。
●このパタンが、次のニュースネタが来たところで改めて繰り返される。
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研究内容はおおむねこんな感じのようだ。
(忘れないうちに書いておくと、NYTの記事の後半に、Jon Kleinbergたちの原論文へのリンクが張られているので、興味のある人はそちらを見てください)。
紹介された研究内容には、もちろん、突っ込みたいところはいくつかある。
実は、そもそも情報とニュースの違いはどこにあるのか、上の記事は触れていない(論文内でもクリアには記述されていないというのがざっと見た印象。「ざっと見」なので見落としている可能性は否定できないことはご了解のほどを)。
ただ、研究タイトルにもあるように、「ミーム(=meme)」にこだわっているところを見ると、単なる情報が、書き手に対して「書かずにはいられない」ように作用してしまうものを、つまり、「ミームが発現した情報」がニュースである、ということなのかもしれない。
ミームは文化的遺伝子とでもいえばいいのだろうか。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の中で言及していた、文化活動を遺伝子概念で示したもの。
もととなった「利己的な遺伝子」概念は、遺伝子こそが複製活動の意思であり、我々人間を含む生物は、遺伝子が伝播するための「乗り物=ビークル」に過ぎない、なぜなら、遺伝子そのものは情報という非物質にすぎないので、それらが伝播されるには、一旦物理的な形態を取らざるを得ないから。
(これをミトコンドリアでSFにしたのが瀬名秀明の『パラサイト・イヴ』)
同様に、文化は、文化という概念だけでは実際には継承され得ないので、その遺伝子たるミームは、文化を実現するよう人間社会の具体的振る舞いを要求することになる。
ミーム概念がどこまで文化の社会学あたりで正当なのかどうかは私には判断する材料がないが、少なくともCornellのチームは、わりとマジにミーム概念を参照しているようだ。
自己複製子としての遺伝子概念は、デジタル概念と相性がいいし、インターネットの構造も基本はリンクによる関係づくりで、これも複製概念に近いといえば近い。もちろん、遺伝的アルゴリズムなどもあるから、コンピュータサイエンスの学者たちからすれば接近しやすい概念かもしれない。
NYT の記事中では、コロンビア・ジャーナリズム・スクールの教授が「ニュース・サイクル」についての定量的研究はほとんど見られないので、有意義な研究だと評しているので、ジャーナリズムの影響力の測定、という点でも一定の評価は得られると思う。
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とはいえ、記事の書き手も気にしているように、これは「あくまでもネットの中の世界の分析に過ぎない」というのはおさえておかないといけない事実。
簡単に想起されることとしては、たとえば事件現場で写メしてるような、普通の人が一次取材に立ち会ってしまう場合とかどうなのか、とか、ニュースとしてのインパクトはもっと感覚的なものがあるのではないか、とか、というのがありえるだろう。
特に、現場でカラダを張って取材した記者あがりのジャーナリズム関係者だったら、そういう記者の実存にかかわる反論や批評をしてしまうと思う。アメリカも、日本同様、マスメディアとかジャーナリズムの学界は、こうした「実務経験者」が多数を占めるので、記者職の実存擁護に傾斜しがちな発言が起こりうるだろう。
(この点では、上のNYTの記事は、そうした要素をできるだけ排するように気をつけた記述がなされているようには見える。一方、もうひとつのScience Dailyの方の記事は、科学ジャーナリズムらしく、研究による知見の方に関心が集中している。このあたりのニュアンスの違いはそれはそれで興味深い)。
だから、こうした研究が、ジャーナリズムスクールや社会学の世界からではなく、コンピュータサイエンスの世界から提起されたことこそ、気をつけておくべきだと思う。
科学者からすれば、オンラインの世界だろうが、リアルの世界だろうが、その背後にあるメカニズムが同じであれば、現象を支配する数理が同じであれば、それは同じものと見なせるから。
その意味で、原論文冒頭のAbstractのところで、研究者たちが、彼らが今回考案したmeme-tracking approachは「coherent representation of the news-cycle(=ニュース・サイクルと相即した表象)」、つまり、「ニュース・サイクルという現象と同一のメカニズムをもった映しだ」と評しているところが、そうした数理が同一なら同じだ、とい姿勢を表明しているところだと思う。
そして、こうした、ネットもリアルも背後のメカニズムが同じなら要するに同じじゃない、という考え方ほど、(先日のエントリーでも触れたように)メディア・タイクーンたちが心理的に敬遠する考え方はない。
だから、研究チームの一人がFacebookに行く、というのはさもありなん。
そうして、Social Mediaはtraditional mediaとは異なる特徴を少しずつ開花させていくのだろう。もちろん、違っているだけのことで、どちらかに優劣があるかどうかの判断は、実際に開花して以後になるまで保留すべきことだが。
とまれ、研究成果としては興味深いところは多いし、こういう研究成果をきちんと報告するNYTの姿勢にも好感が持てる。