Sotomayorの試練

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June 30, 2009 18:20 jst
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junichi ikeda

アメリカの最高裁は、引退を表明しているJudge Souterにとっての最後の法廷として、いくつかの審理結果を発表した。そのうちの一つが、アメリカの政界にさざ波を起こしている。

オバマ大統領にJudge Souterの後任として指名され、2週間後にSenateの承認過程を待つ、Soniya Sotomayor氏による控訴審の判決を、最高裁が覆してしまったため。

Supreme Court Finds Bias Against White Firefighters
【New York Times: June 29, 2009】

Justices Rule for White Firemen In Bias Lawsuit
【Washington Post: June 29, 2009】

Ruling Upends Race's Role in Hiring
【Wall Street Journal: June 29, 2009】

対象となった訴訟は、コネチカット州ニューヘイブンの消防署における昇進試験をめぐるもの。昇任試験の結果がエスニシティによって著しく偏ったものになったため、ニューヘイブンの当局が試験結果を投げ捨てて、エスニシティのバランスをとった昇進を決めたため。具体的には、試験結果だけでは承認するのがほとんど白人になってしまうため、人種差別のかどで人権団体から訴えられることを、市当局が怖れたため。しかし、昇進結果を知った白人の職員から、「逆差別」ということで訴訟を起こされてしまった。

Sotomayor氏ら控訴審の判事は、市当局の判断は適切だったとする一審の判断を支持したのだが、その判断を最高裁が覆し、原告である白人職員たちの勝訴となった。

さざ波を起こしているというのは

●審理結果が「5対4」で綺麗にスプリットされてしまったため。

アメリカの最高裁は9人の判事による合議制で結果は多数派をとった判断が最高裁の判断となる。「5対4」という結果は、9人の判断が割れたことを意味する。そして、GOP系と目される保守的な判事たちによって多数派が形成されてしまった。

多数決であるため、「5対4」という結果は仕方がないといえば仕方がないのだが、しばしばこの割れ方は、最高裁における党派性の存在を含意してしまう。実際、その点からの分析を行っているのが、次の記事。

Decision Reflects Court's Deep Division
【Wall Street Journal: June 29, 2009】

そして、この審理結果は、実際問題として

●エスニシティの間のバランスを欠く社会構成を変えようとする公民権法の実施にあたって、大きな影響を与えてしまう。

このことの是非を議論する余力はここではないが、一つだけ指摘しておけば、この結果、上のニューヘイブンのように、昇進などの組織人事において多様性を欠くような結果が出たとしても、そのことだけを理由にして訴訟が起こされる、ということはすくなくなるだろう、ということ。そうして、公民権法の運用に実質的に影響を与えてしまう。

もっとわかりやすくいってしまえば、白人に対する「逆差別」状態が緩和されて、非白人(といっても実質黒人が中心)が実力主義をきちんと示さなければならなくなる。

この白人「逆差別」問題は実際シビアで、私が留学していたときは、ちょうどミシガン州で大学入学の合否判断においてエスニシティのバランスを勘案すべきか訴訟が起こされていて、クラスの内外でそのことが話題になっていた。白人、非白人の学生で、それぞれ、いろいろと思い当たる節があるからで、実際、講義中の議論はかなり白熱していた記憶がある。

アメリカの大学や企業は、しばしば“diversity”を大切にしていると主張し、それが合否、採用、昇進、などの場面で重視されると公言される。実際に多様な集団の方がパフォーマンスがよくなることも実際あるのだが、しかし、あそこまで誰もが口を揃えて公の場でdiversityが大事と唱えるのは、上述した公民権法やaffirmative actionの存在が影響を与えているからでもある。

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やはり訴訟内容の重たさから、前提の説明が長くなってしまったが、この最高裁の審理結果は、Sotomayor氏の最高裁判事の適性にマイナスになるのではないか、という疑念が出始めていて、GOPのセネター(上院議員)たちは、Sotomayor氏を、公正な審理を行うには、エスニシティ重視という私的価値観を重視しすぎる、という点から攻撃しようと考えているようだ。

もっとも、上院の多数派がデモクラットであること、最高裁が控訴裁の判断を覆すのは普通に起こること、そして、なにより「5対4」という結果が最高裁の判断もギリギリのものであったということを物語っていること、などから、現実問題としては、Sotomayor氏の承認には影響を与えないと捉える向きが多いという。そのあたりが次の記事。

No Peril Seen for Sotomayor
【Washington Post: June 29, 2009】

ただ、いずれにしても、公民権法の運用に当たって重大な問題を抱えていることは確かになたので、むしろ、この問題を再度立法過程を通じてなんとかしようという動きが今後出てくるのかもしれない。そして、それは、アメリカの“unite”を主張するオバマ政権からすると、かなり重い作業になるのかもしれない。

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最後に。

この最高裁の判断を紹介したのは、アメリカでは最高裁も党派性を帯びているということを知るのにいいケースと思ったため。

現在、連邦議会もホワイトハウスもデモクラットが優勢で、政策立案に関しては、それなりに順調に進んでいるところで、GOPが一矢報いる場所として、保守的な判事が多数を占める最高裁の存在が目立ってしまった、ともいえる。

とはいえ、気になるのは、この最高裁の「党派性」が、上で紹介したいくつかの記事の内容が示しているように、もはや「公然の事実」として捉えられていること。「公正さ」すら政治的プロセスの結果によって左右されるというのがあまりに当然視されることによって、人々により政治的になれと煽ることになる一方で、現実をよりシニカルに見てしまう人々をも同時に生み出してしまう。

オバマがいうUnited States of Americaの回復というのは、だから、やはり大変な仕事なのだと痛感する。