景気刺激策によって景気後退には歯止めがかかったところで、次なる課題は、膨れあがるpublic debtをどう捉えるか、どう扱っていくか、に移ってきている。
さて、件のKrugmanとFergusonの論争に言及しながら、ケインズの研究家でもあるスキデルスキー卿(Lord Robert Skidelsky)がFTに寄稿している。
Economists clash on shifting sands
【Financial Times: June 9, 2009】
ケインズ研究家だけのことはあって、ケインジアンであるKrugman支持を明確にしている(そういえば、FTのMartin WolfもKrugman支持を表明していた。どうもFergusonの分が悪そう)。
スキデルスキー卿は、KrugmanとFergusonの論争を、典型的なネオ・ケインジアンと新古典派の対立と位置づけ、彼らの論争は、ちょうど1929年から30年にかけての、ケインズ自身とイギリス財務省との論争に似ていると指摘している。
論争の中核は、いわゆる「クラウディング・アウト」、つまり、政府投資が民間投資意欲までくってしまい、結果的に民間企業による経済活動を阻害してしまう、ということ。スキデルスキー卿によれば、KrugmanとFergusonの論争は「景気刺激策の効用」が争点で、その意味で、ケインズとイギリス財務省の対立になぞらえられるという。
このロジックは、正直まだピンと来ていなくて、というのも、Fergusonの言いたいことはクラウディング・アウトのことではないのではないか、と感じているから。Fergusonの関心は、グローバルな資金流通や通貨価値に関するもののように思えていて、景気刺激策そのものの是非を問うているようには見えない。
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スキデルスキー卿の寄稿で面白かったのは、むしろ、前半のKrugmanとFergusonに言及する前のところ。特に、「(経済学を含む)社会科学は、知的な論争を経ても、自然科学と違って、どちらかの議論が決定的な勝利を収めることはなく、一応の勝敗を決した後も、負けた側が次なる論争のために再度グループを形成し直すものだ」というところ。この件は素朴に納得。そうして、終わりのない論争がずるずると行われていくうちに、現実という回答が示されて一定の収束を見るということか(そういえば、内田樹氏がそのようなことをどこかに書いていたように記憶している)。
そうすると、もしかすると、スキデルスキー卿も、とりあえずは、彼の立場としてKrugman支持を訴えておくものの、ほんとうのところは、まぁ、事態をみながらその都度考えよう、ということなのかもしれない。
寄稿のタイトルである“Economists clash on shifting sands(=経済学者たちが流砂の上で衝突する)”というのも、そういう態度を込めたタイトルなのかもしれない。論争はガチンコでやっていても、それはリングのような、ルールが厳格なところでやっているわけではなく、そもそも足場すら固定できないところでの殴り合い。もっといえば、殴り合いなんかしていても意味ないじゃない、ってことかもしれない。なんにせよ、生き残る方が先決でしょ、と。
とすると、これが、イギリス的ヒューモア、あるいは老獪な諧謔の精神、というものなのかもしれない。何たって、表面上書いてあることを、そこに込められたことが、裏切っているわけだから。
そう思ったら、ホントにそう思えてきた。さすがはイギリス。
だからこそ、最後のところで、「ケインズ革命の勝利は、良い科学が悪い科学に勝利したことではなく、良い判断が悪い判断に勝利したことだ」といっているのかもしれない。つまり、教条的な学問(=科学)に頼るのではなく、臨床的実践を支える判断こそが大切だ、と。
うーん、奥が深いなぁ。
(と、勝手に思いこんでいるだけかもしれないけれど)。