アメリカ司法省反トラスト局が、Google Book Searchに関して、Googleと、Authors Guild(アメリカ作家協会)ならびにAssociation of American Publishers(AAPアメリカ出版社協会)との間で交わされた(両者で係争中だった裁判の)和解内容について情報提供を求めた、という。
U.S. Presses Antitrust Inquiry Into Google Book Settlement
【New York Times: June 9, 2009】
Probe of Google Book Deal Heats Up
【Wall Street Journal: June 10, 2009】
で、この動きは、単に書籍流通についてのこと、あるいは、Googleと書籍業界の関係がどうなるか、という動きに注目するだけでなく、視野をもっと高いところまで上げて、コンテント流通政策という大きな枠組みの中でどう捉えるか、この動きによってアメリカのコンテント流通が今後どのような方向に展開していくと見込まれるのか、こうした点にまで考える対象を広げておくことがとても重要だと思っている。
というのも、反トラスト法とういうのは、ある意味当局の匙加減でその方向性がどうとでもなるものだからだ。当局の意向がどこにあるか、が極めて重要で、それは、反トラスト法が成立した背景を考慮すれば想像がつく。
今でこそ、「独占の弊害」については、経済学による説明がなされていて、一定の「正しさ」が理論的にも担保されているものの、反トラスト法が制定された20世紀初頭には、そういう理屈はなかった。アメリカの産業革命の中で、ぐんぐん巨大化していった企業(スタンダードオイルやUSスティールなどの重厚長大企業群)が実際に価格統制や末端企業の搾取などを行って、そうした動きに対して当事者たる企業や経営者、利用者から抗議活動が出てきたからこそ成立したものだった。
裏返すと、独占は絶対的な悪というものではない。だから、その適用にあたっては、当局の考え方がとても重要になる。
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今後、このBook Searchの件については、様々な情報が出てくるだろうことは容易に想像できる。だから、今後のシナリオを考えるのは時期尚早といえば時期尚早なのだが、とはいえ、現時点での私の見立てでは、次のように捉えている。
今回の司法省の動きは、Googleの動きを罰するというよりも、むしろ、アメリカ連邦政府が反トラスト法を梃子にして、知的な公共財の源泉である「書籍」のオンライン流通の「公共的枠組」の作成に乗り出そうとしているのではないか、ということだ。
というのも、大陸法の国々(典型はフランス)と違って、アメリカの場合、頭ごなしに政府がルールを作っていくのをよしとしない政治文化があるからだ。当事者間の、民間の間での契約、裁判を通じた、個別的な対処、自律的な対処が、中心的な法文化としてある。
だから、今回の動きは、20世紀初頭の電話事業が政府による規制下に置かれていくプロセスに似たものになるのではないかと思われる。他国では政府企業としてスタートした電話事業が、アメリカでは民間企業としてスタートし、自然独占による弊害が明らかになり始めたときに、反トラスト法を梃子にして、政府と企業(AT&T)の間である合意がなされて、企業は独占による利益を認められる代償として政府の規制を受けるようになった。そうした動きが出た後に、しかるべきタイミングで連邦議会で立法化がなされた。
だから、アメリカにおいては、企業活動に関する規制は、当初は裁判を通じて、そもそも政府が介入する理由が少しずつ創られていき、しかる後に立法化が、いわば後付でなされていくところがある。
アメリカでは、連邦政府が民間企業の動きに介入するには、それ相応の理屈や事実が必要になるというわけだ。
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そして、反トラスト法に関する動きは、真空状態で起こるわけではない。
必ず一定の政治的な状況の中で生まれてくる。
現在の状況は:
●Eric Schmitがオバマ政権にかなり近い存在であること、
●そのオバマ政権で、最初の大がかりの反トラスト法案件であること、
●反トラスト法の適用については強化の方向を既に打ち出していること、
こうしたことを考慮すれば、本件の制度的問題については、事前に当事者間で非公式な対話(日本だったら役所の研究会レベルの意見交換)はなされていてもおかしくない。
また、オバマ政権は、アメリカの基礎教育の底上げを主張しており、たとえば、ブロードバンドの配備も、情報スーパーハイウェイ構想よろしく、アメリカ市民に対する「公平な情報へのアクセス」を実現可能にすることを一つの目標にしている。ブロードバンドによる教育への効果を期待しているわけだ。
だとすれば、首尾よく(たとえば、今回の景気刺激策予算などによって)ブロードバンド網が整備された暁には、そのネットワークインフラをいかにして活用するかが次の政策課題になるわけで、そのとき、たとえば、書籍のオンライン利用、というのは、現在の図書館制度のオンライン対応という点だけでも当然テーマになるはず。
Googleのプロジェクトは、そうしたオンライン図書館事業を、いち早く民間のイニシアチブとしてスタートしていたことになる。
とすれば、かつての電話事業がそうであったように、しかるべきタイミングで、この書籍プロジェクトを政府の認可事業にすることを選択してもおかしくない。この事業は、諸外国とのやりとりも当然必要で、そのときアメリカ政府の後ろ盾が必要になる場面も当然出てくるだろうから。
手続き的には、司法省が今回の和解案に対して「介入」意思を示し一定のガイドラインの策定を命じたりした時点で、Googleがその内容を不服と思えば(あるいは、不服のふりをして)裁判に訴えれば、「Google vs 司法省」という形で、司法省(=アメリカ連邦政府)は当事者として本件に正式に関わることになる。
そして、この訴訟の解決方法が、裁判所による判決であれ、当事者間の和解であれ、いずれにしても、Googleと政府の間で何らかのルールが共有されることになる。その裁判結果や同意事項を踏み台にして、場合によっては、立法にまで踏み込む可能性もある。
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次のステップとしては、つまり、書籍に関してこうした民間企業と政府の間のルール作りがなされた後のステップとしては、オンライン上の情報流通について、書籍以外の情報財に、たとえば、音楽や映像製作物に対しても、介入の範囲を連邦政府が広げていくことは大いにあり得るだろう。つまり、いわゆるコンテントに関する横断的な情報流通ルールを連邦政府がつくる理由も見いだせることになる。
Googleが書籍、Appleが音楽、そして、映像については、たとえばHuluなど、コンテントごとに別々のプラットフォームが立ち上がりそうな現在の状勢を考えれば、いずれは、こうしたプラットフォーム間でのコンテンツの相互利用方法(電話における相互接続ルールのようなもの)も必要になるだろう。その時に、民間どうしの交渉だけではなく、予め、連邦政府も当事者として関わることができる席を用意しておく。
このあたりが、今回の司法省の動きの最終的な狙いなのではないかと思う。
というのも、アメリカは、情報スーパーハイウェイ構想においては、つまり、政策イニシアチブにおいては、世界に先駆けたビジョンを示したという自負があるにもかかわらず、実際のブロードバンド網の配備においては、(主に政策過程の複雑さによって)他国に遅れを取ってしまった、という意識があるからだ。
とはいえ、市場を通じた競争をある意味絶対善としてまで捉えていたGOPが政治の中核にいるときは、「制度下での競争」をうまく実現させることができなかった。そもそも、GOPが多数を占める議会では、市場介入を認める立法が通過することを考えることすら難しかった。
それに対して、現在の、オバマのホワイトハウスとデモクラット優勢の連邦議会においては、基本は民間企業の競争による活力を尊重するものの、必要とあらば政府が調整役として介入することを厭わない、その意味で「制度下の競争」を是とする立場が取られている。
とここまでくれば、今回の司法省の動きは、もっと大きな次元で考えれば、インターネット時代のアメリカの新たなコミュニケーションズ法、つまり、もはや通信法とか情報通信法とかの言葉ではカバーしきれないくらい対象範囲が広くなった「インターネットの上でのコミュニケーションに関わる領域」に対する立法措置をゆくゆくは行うための、前哨戦の一つ、一里塚となるものなのかもしれない。
今後も、この動きには注目し続けていきたいと思う。