変化の兆し?

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November 18, 2008 14:37 jst
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junichi ikeda

この月曜に、GOPの候補者だったマッケインが、シカゴのオバマ次期大統領を訪れた(たとえば、この記事)。

2週間前までネガティブキャンペーンを含めて競い合っていた候補者同士が相まみえたわけで、会談では、オバマ就任後の政策の大枠について、エネルギー&地球温暖化、移民政策、グアンタナモ閉鎖、等の点で超党派的な協力を行うことで、おおむね合意できたということ。

このタイミングで、二人の会談、というのは興味深い。

マッケインは、大統領選敗北にあたって、どこのメディアからも、“GRACIOUS Concession Speech”と称賛されるように、選挙結果を冷静に受け止めた後は、オバマ大統領とともにアメリカのためにがんばろう、という主旨の演説を、聴衆からも多少ならずともブーイングがある中、行って、敗北直後に、オバマ支持と解釈されてもおかしくない言い方としていた。

そして、この会談。
もちろん、現在のアメリカが、アメリカのみならず世界を巻き込んだ、未曾有の危機に瀕している、という現状理解があればこそ、ちょうど911直後のPatriot Act(愛国者法)が超党派的に成立したのと同じように、アメリカのため、アメリカ国民のため、ともにがんばろう、ということなのだろう。ただ、そのために手を結ぶには、金融危機、世界同時不況、というものは、911ほど、情動的な痛みが実感しにくい分、抽象的に見えて、それゆえ、オバマ、マッケインの会談、協力合意、というのは、少しばかり唐突に見える。

どうも、アメリカは、今回の選挙(大統領選のみならず、上院、下院の選挙を含めて)の結果を受けて、大きく政治の地図をぬりかえようとしているのではないか。そんな勘ぐりがあながち的外れではないように思えてきている。

端的に言うと、ベビーブーマー世代主導の、権利闘争、文化闘争、という政治争点からの脱皮であり、20世紀半ばから常態化した「南部票」がキャスティング・ボートを握る政治構造からの離脱であり、過度に宗教団体や利益団体が力をもった政策過程からの脱出である。そういう感じがする。だから、アメリカは、もしかしたら、本当に変わるのかもしれない。

マッケインのオバマへの歩み寄りは、選挙直前に表明されたコリン・パウエルのオバマ支持とともに、端的にいってGOPにおける南部票(とくに宗教右派に関わる票)の周縁化にあるように見える。それは同時に、アメリカ政治における南部票の周縁化を意味する。南部、特に深南部を連邦政治的には隔離して、アメリカの舵取りをし直そう、ということにあるように思える。その上で、財政均衡などを求める、その意味ではインテリ層からなる中道寄りのGOP(もともとはマッケインはこの立ち位置)を呼び込んで、政治や政策に理性を取り戻そう、ということのように思える。

こうしてGOPに変化を求めるのと同時に、デモクラットに対しても変化を求めている。

一つは、ベビーブーマー世代の政治的影響力の弱体化を狙うこれで、彼ら世代の象徴たるクリントン家を手なずけるべく、ヒラリーを国務長官候補に上げる一方で、ビル・クリントンの影響力にもフタをしようとしている。つまり、ヒラリーが国務長官になるならば、AIDS撲滅を狙うCGI=Clinton Global Initiativeの活動に一定の制約を伴うことになることを承伏させるように迫っていること。

もう一つは、足下の金融危機に付随した「自動車産業の救済」案を通じて、デモクラットの支持基盤である労働組合(特に自動車業界)に対して、グローバル化の事実を踏まえた形で、構造改革案を呑ませようとしていること。レーガン以来過去25年間の政治が基本的にGOP的なものであったことを考えると、デモクラットからすると、組織票を見込める労組は手放したくなかった。そのため、労組とその裏にある自動車業界社員の意向を表だった否定することはできなかった(しばしば指摘されるように、アメリカにおいてトヨタやホンダが一定の地位を築いているのは、トヨタやホンダの社員が、いわゆる自動車産業の労組に組み込まれていないからという)。アメリカの自動車産業において政治的にアンタッチャブルだった労使対立の構図を緩和し、なんとか現実的な解を得よう、というのが、今回の救済策の議論の中でかいま見られる。

仮に自動車産業を救済するとして、その財源をどう手当てするか。現在争点になっているのはこの点で、財源としては、先日発表された金融産業救済用の予算を充当するか(ビッグスリーのファイナンス子会社を通じた救済)、それとも、次世代エネルギーなどの開発予算から充当するか、というのが現在ワシントンで検討されている大枠のようだ。そして、後者の場合は、政府予算を受け取る以上、自動車産業は自身が産業として今後どう変容していくか、政府に対して一定の誓約をしていく必要がある。そして、そういう動きの中で、政府が自動車産業内部の、伏魔殿たる政治構造にまで介入し、一定の調停役を担うことになるだろう。もし、こうした動きが実現すれば、デモクラットと労組との関係も変わるのかもしれない。

このように、アメリカは、今回の選挙を契機にして、大々的に変わろうとしているように見える。政治地図が塗り変わる、政治的決定の利害の水路が別物になる、そういう感じがする。

G20の動きはもちろん大事だが、次の会合は春先という。それまでの間は、むしろ、アメリカがどう変わるのか、に注目することが大切だと思う。