100年前のアメリカには中央銀行はなかった。
その一方で経済は成長していた。鉄や鉄道や石油で、巨大な収益があがり、ロックフェラーやモルガンやカーネギーやバンダービルトといった今のアメリカのNPOの活動資金のベースとなる財団をつくる、大金持ちが登場しつつあった。企業はどんどん大きくなる。そうして、社会のひずみが見え始めたところで、たとえば、独禁法の制定などが起こった。FRBも設立された。
50年前のヨーロッパは、戦場と化した自国の復興が課題だった。
その中で、鉄鋼や石炭のような基幹財の確保を、大陸諸国を中心に共同調達する仕組みを立ち上げた。今日のEUの前進に当たる。その後、加盟国の拡大や、共同調達の対象の拡大を経て、EUに至る。
今、とりあえず、細かい史実の確認を脇において、おおざっぱな言い方をすると、多分、今回の金融危機からの世界的な景気後退、というのは、100年前のアメリカや50年前のヨーロッパのような状態にあるのだと思う。それがこの15年あまりの世界的な経済活動によって、文字通り、規模が地球大になっているのが異なるところだけど、多分、ことの本質は、同じなのではないか。
戦争の方法論が、焦土化から、経済封鎖やサイバーやバイオ、といった方向に変わっていったように、国が受けるショックもだんだんと見えないものになっているのだろうが(だからわかりにくいのだが)、しかし、為替や株価のようなデータで見ると、たぶん、焦土となるのと同じくらいのショックが既に起こっているのだろう。幸いなのは、それがイメージとして現前していないから、たとえば、街頭インタビューを受けても「ちょっと不安ですね」などと、任意の通行人が応えられる程度の、ショックの理解ですんでいること。
100年前のアメリカは、州をまたぐ連邦の力を増して、国内の経済活動を統合的に管理する方向に向かった(アメリカの場合、州は独立国に相当するぐらいに考えた方がいい。実際、「国際」ならぬ「州際」という概念があって、たとえば、州際の通商の取り決めは連邦が行う、というのが100年前ぐらいに明らかになっている)。50年前のヨーロッパは、既述のように、経済活動の基幹となるところから、条約関係をむすび、こちらは文字通り「国際」での連携にのりだした。
おそらく、むこう10年間ほどの間は、金融や経済の活動について、国際的な協調関係(いわゆるレジーム)が設定されていくのだと思う。10年前のアジア通貨危機とは違って、今回は、円高・株安の同時進行によって、日本も思い切り当事者であることが露見していることと考えると、多分、私たち日本人の生活も変わる。というか、意識も変わるだろう。もはや「水際」は日本と外国とのやりとりでは幻想でしかない。実質的には、地続きなのだ。同様に「海外」という言葉も今後は何かとミスリーディングな言葉になるだろう。
だから、日本も変わるのだろう。そう思うと、たとえば、ようやくスタートする小学校での英語教育が一世代を経る30年後ぐらいになったら、その頃の日本は、今の香港のような存在になるのかもしれない。
今、私たちは、大きな曲がり角に立っている。
たぶん、そういう認識が必要だと思うし、だからこそ、初発の動きとしてのビジョンが大事になっていくのでないかと感じる。