米大統領選(+一部上院議員選+下院選)を一週間後に控え、選挙戦も佳境。
とはいえ、9月以後の世界的な金融危機+それに端を発した景気減速、の中で、様々な意味で、今日的な状況の下での、政府の役割を再定義する必要があるとの認識が広まっている。その結果、オバマ優勢というのはかなり堅いようだ。その場合、2009年からは、新しい体制が世界的に動き出すのだろう。
今回の金融危機は多分に金融産業にとどまらない状態になっていて、たとえば、アメリカの自動車産業(デトロイト3)も変革を迫られている。GEも不調。したがって、アメリカは、金融産業のみならず、製造業大手についても方向性を立て直す必要がありそうだ(つまり、産業構造をかなり抜本的に組み替えるということ)。ということで、選挙後の世界のことをそろそろイメージしておいた方がいいのだろう。
金融産業については、G7を中心に新手のブレトンウッズ体制を構築しようという動きも伝えられるぐらいだから、何らかの形で国際協調的な仕組みが再度模索されるだろう。その上で、グリーンスパンが著作で述べていたように、世界的な過剰資本の受け皿となる巨大産業が必要となるわけだが、それはどうやら、エネルギー/エコロジー(E2)関連に大幅にシフトすることになりそうだ(年初のIMFや世銀のレポートが強調していたとおりのシナリオか)。多分、このE2産業が、90年代のIT産業に替わる投資先としてクローズアップされていくことになる(たとえば、グーグルもE2への参入を真剣に検討中、という報道もあるように)。
あえていえば、金融やITによって経済活動の根幹のかなりの部分は、ソフトウェアによって段階的発展が可能になってきたところで、ハードウェアに大きく依存する製造業(重厚長大のみならず、家電のような耐久消費財まで)については、そのビジネス基盤を抜本的に変えていこうといくことが、今後のアメリカのシナリオになるのだろう。
というか、もしかりにオバマがFDR並の、つまりニューディール並みの、政府主導の景気浮揚、産業育成、雇用創造、等を行うつもりなら、それくらいの規模の計画を実行していかなければならない。当時は、たとえばダム建設に代表される公共事業だった。その点でも、E2領域は十分壮大なものになる。たとえば自動車の燃料を電池や水素に変えていこうとすると、当たり前のことながら、ガソリンスタンドに相当する供給拠点を全国的に配備していく必要がある。そういう目に見えて判る壮大さが必要になるし、実際、そういうことに、アメリカが舵を取ったときは早い。
変化の軸は、もちろんE2だけに限るものではない。
だから、2009年以後の世界を構想することは、存外楽しいことかもしれない。私はだんだんわくわくしてきている。
私は、こういう変化にはかなり楽観的な方だ。
というのも、IT産業で一回それを経験しているから。
今ある、インターネットやコンピュータ関連の技術は、私が大学生の頃、つまり80年代にはあらかた出そろっていた。あとは、民生品化をいかに図るか、という段階だった。つまり、コストダウンをどう図るか、ということ。また、人々の利用をいかにして促すか、ということも求められていた。だが、こういった懸念はインターネットの登場であっさり解消された。結果的に、当時、日本独自で構想していたネットワークサービスの普及は、経済のグローバル化のあおりを受けて頓挫してしまったけれど、しかしながら、大学や企業の研究所で研究されていたことは、次々と商品化し、一般化されていった。基本的には、インターネットは、UNIX文化を継承している。そのUNIXを本格的にビジネス化したSUNが創業時に言っていた“Network is the computer.”というモットーが今でも基本的にインターネットの目指すべき方向だと思っている。最近に人口に膾炙するようになった、cloud computingというのも、その今日的表現だ。
だから、研究ストックがあるものならば、政策が動けばかなり一気に動き出す。これは間違いない。インターネットも、アメリカが軍のコンピュータネットワークを開放したのが端緒だったように。だから、きっと、E2についても、各種代替エネルギーの研究の蓄積に、これから資金が集まるようになることだろう。しかも、今回、アメリカの場合、ブッシュ政権での環境からの撤退(もっといえばゴアの敗北)によって、E2関連の実現に向けた、関係者の内的エネルギーも貯まっている。その分も含めて、一気に様々な手を打ってくることだろう。
このあたりの動きに、とても期待しているし、いろいろと想像をめぐらせたいと思っている。
これだけ世界的に悪くなったら、あとは善くなるだけだから(笑)。
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(追記)
E2は必然的に、ナショナル・プロジェクトの様相を帯びるだろうから、改めて、グローバル化の中での国家の役割が再定義されるだろう。そうすると、国家的全体性、の議論も増えてくるだろうから、改めて、SFのようなサブカルチャーの領域で、フィクションの形で、こうした議論を物語の主軸に据えたものが出てくるのかもしれない。ちょっと不謹慎かもしれないけど、冷戦が終わってスパイ小説というジャンルはジャンルそのものの危機に一度直面していたのだけど、911以後のテロリズムの前景化によって、新しいテーマを得ることができ再浮上することができた、という話もあるので。いずれにしても、近未来の描写としては、サブカルチャーは無視できない存在であるのは確か。