今週、デモクラットは、デンバー(コロラド州)で、党大会(DNC:Democrat National Convention)を行っている。この党大会の最終日に大統領候補の指名が正式に決まる。それに向けて、連日、デモクラットの重鎮からスピーチがある。
4年前、NYでテレビ中継でDNCを見たときは、とても驚いた。あえていえば、政治集会であるにも関わらず、ホントにイベントで、参加者がみな楽しそうだったからだ。そして、4年前といえば、もはや伝説となったオバマのスピーチが行われた時だ。これも、中継で見ながら、スピーチを聞いて、人は泣くんだ、と驚いのを覚えていて、アメリカのスピーチは凄いな、とか、党大会って凄いな、と感服していた。
今、思えば、最初に聞いたのがオバマのスピーチというのは凄すぎて、皆があれほど感動・感涙的なスピーチをするわけでもないし、党大会といっても、みながあれほど感動するわけでもない、のが実際のところ。というのも、2004年のRNC(Republican National Convention)はNYのマジソンスクエアガーデンが会場で、中継を見てもDNCのように熱狂する、ってわけではないし、参加者もどちらかというと、NY観光に来ました、って感じで、地元ニュースケーブルのNY1でも、テンガロンハットをかぶった南部から来たリパブリカン支持者が、NYならではの多国籍料理を楽しんでいるところが映し出されていた。
NY、なかでもマンハッタンはでもデモクラットが中心の町で、RNCの当日は、外でデモ行進が行われるくらい(実際、この目で見ました)なのだけど、RNCは当然飲食店にとっては、売上増につながるので、
Y1にインタビューされる店主が苦笑いしていたのを、覚えている。
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4年前のことに触れたのは、私のDNCを見る目の前提を示しておいた方がわかりやすいかな、と。
今回のDNCで注目を集めたのは、予備選を接戦の末敗れたヒラリーが、いかにして、彼女の支持者をオバマ支持に向かわせ、挙党一致の姿勢をつくりだすか、ということだった。
というのも、ヒラリーの支持者は、クリントン家のトラック・レコード(実績)や、ベビーブーマー世代の理念、に対して熱狂的になっている人が多く、容易にオバマ支持に向かわないと言われていたから。
で、実際に行われたヒラリーのスピーチは、こうした要請にきちんと応えた、という評価。スピーチ内で、直接、オバマという個人を支持する、認める、という表現はなかったけど、彼女を支持した理由を、主に8年間続いたブッシュ政権の打倒、と読み替えて、そのために、オバマを支持して欲しい、という言い方だった。ある種、キングメーカーというか、そういう役回りを果たしたと思う。
とはいえ、彼女のスピーチやそれに対する支持者の反応を見て、一つわかったことがあって、なるほど、デモクラットは理念志向で集まった党ゆえ、その理念に対する敵が必要で、それが故に、打倒・GOPということになるし、それが故に、熱狂的なふるまいになるのだ、と。
振り返ってみると、GOPの人が行うスピーチはだれかを敵にするという言い方は少なくとも国内については少なく、むしろ、今の生活をどう守るか、みんなの生活をどう維持するか、という方に焦点が当たっていて、それゆえ、現実的で堅実的な響きを持つものが多かったように思っている。
このあたりは、スピーチの質や方向性を変えるのに寄与する、というのが、今回感じたことだった。