Marvin Minsky on Common Sense and Computers That Emote
【July 13, 2006: MIT Technology Review】
AIを考案したダートマス会議から50年。
それを記念して、改めて、ニューハンプシャーのダートマス大学に、情報工学のお歴々が参集する。
ミンスキーやマッカーシーなど、懐かしい名前が並ぶ。
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といっても私の場合は、彼らの名前を50年前に知るはずもなく。
80年代に早稲田の電子通信学科に通っていた頃に、講義やらジャーナルなどで彼らの名前を知った。
80年代は、スパコンとAIの開発で、米日の間でどちらが先鞭をつけるか、という時代だったと思う。日本でも、通産省主導の第5世代コンピュータの開発が喧伝され、今ではユビキタスの伝道者に鞍替えした坂村健が「電脳」という言葉をはやらせていた。
Japan as No.1という認識の中で、日本的なたおやかさをも許容するようなニューアカの流れがあり、その中で、今でもAI分野の古典になっている、ホフスタッタの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』が何故かはやり、その勢いで続編とも言う『メタ・マジック・ゲーム』にも触れていたように思う。
正直、余りよくわからなかったけれど、人工知能研究用といって、LISPやPrologという言語開発がなされたり、あるいは、情報社会の未来コンセプトは、フランス発のTelematique概念からくるなど、確かに今ほど「アメリカ」が前景化するような時代ではなかった印象がある。
数学と情報科学と言語学あたりがぐちゃぐちゃに混ざっていたように思うし、その後90年代に人口に膾炙した「複雑系」の話も境界領域としてあった。松岡正剛や清水博らが、ホリスティックアプローチ、とも言っていた。
後に、電通総研に入社したところ、サンタフェプロジェクトなるものも行っていて、へぇ、そんなことまで広告会社は手を出すんだと改めて感じていた次第。
・・・って何を言いたいかというと、あの頃は、日本にも夢があったなぁ、と。
で、アメリカ人はいまだに夢を語るなぁ、と。
現在のGoogleに代表される、いわゆる「2.0」の動きは、おおざっぱに言えば、分散コンピュータ環境へのAI技術の応用、といえるし、逆にAI技術は、そうしたフィールドを見つけることで、VCから研究開発資金を調達できるような、ポジティブサイクルに入っているといえる。
翻るには、日本はどうなのだろう。
昔、NTTのHI研や、けいはんなのATR、あるいは、NEC、富士通、東芝、日立、ソニー、松下、などで研究されていた、言語処理や音声処理、あるいは、人工知能研究、ってどうなってしまったのだろう?
日の丸パソコンであるNECの98シリーズがDOS-V機の投入以降周辺化され、ウインテル機は当たり前になった。インターネットの登場以降、(ケータイはさておき)ネットの世界は、シリコンバレーの会社が大枠のビジネスフレームを考案する時代が長く続いている。日本語プロセッサは、ジャストシステムのATOKが何とか生き延びているくらい。
日本にもあったはずの人工知能研究の成果って、今どこでどのように活用されているのだろう。
(いや、もちろん、ロボット研究に応用されつつあるのは知っていますが)。
2.0時代のさなかのダートマス会議50周年。
いろいろ考えさせられる。