i-Pod@ケータイに思うこと

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May 14, 2006 17:42 jst
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junichi ikeda

ヴォダフォン買収後のソフトバンクが、アップルと提携して、携帯電話端末を出す、という話が日経を中心に報道されている。

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時間を買うために買収をする、というアメリカでの常識を、日本企業としては例外的に実践しているソフトバンクなら確かに行いそうな話だ。

年明けにNYに行ったときの感じだと、日本に比べ遅れていると言われ続けてきた、携帯やブロバンで、アメリカ企業のサービス開発が加速している印象を持った。

携帯電話の特徴としては、とにかくインターネットで開発されたサービスをどんどん携帯電話にのせていこう、というもの。既にあるリソースを最大限に活用すること、ユーザーの利便性を最優先にすること(そうでないと、競合企業のどこかが行ってしまうから)。一種の、競争による「時間のせきたて」によって、おそらくあと2年も経ったら、アメリカ市場は今の日本市場に追いついてしまうと思うくらいの勢いを感じた。

だから、「時間を買う」タイムマシン経営がソフトバンクのお家芸だとすると、今回の端末開発もセオリー通りということになる。かつてのヤフーBBのような感じか。

帰国して一年が過ぎての感想は、日本の市場には、未来を想定して実現する、という動きがほとんどないことだ。これは、同時に、日本企業には実際問題として、投資=未来創造=ファイナンス、の視点がない、ということになる。

世間では、直接金融化が進んだ、という話になっているが、ホリエモンの事件も含め明らかになったことは、相変わらず、さや取りの証券市場しかないということ。ゼロ金利を含めて庶民に手が届く金融商品がなかったところで、ホリエモンが行った株式分割手法は、この点で、市場の本音に合致していたのだと思う。

日頃の営業活動=オペレーションしか判断基準がない日本では、ほとんどの企業の投資は、事実上、協力要請による「出資」といっていいだろう。こうした動きは、サラリーマン社長が中心の日本の意思決定文化の反映でもある。

・・・などと、ソフトバンクの動きを見るとそう感じる。

もっとも、ソフトバンクからすると、競合する日本企業が、間接金融時代の延長のような、見知った中での合意調整型「おつきあい出資」をしてくれている方が、その手法が際だっていくはずだろうから、このままの日本企業のままでいてくれた方がいいのであろう。だから、ソフトバンクは、現代の平戸のような場所を、今の日本の中で占めているのだろう。つまり、日本市場が鎖国的になればなるほど、平戸の位置が前景化することになる。

もとい。
日本の外では、インターネットのリソースをケータイにのせていこうというのは自然な動き。これに加えて、映像系サービスのインターネットの進出が続いている。

こうした動きとどこまで日本市場は歩調を合わせられるのだろうか。