大丈夫なのか?日本の学術出版

latest update
January 08, 2006 22:02 jst
author
junichi ikeda

先日、知人に最近何を読んでるのと聞いたら、ヘーゲル、と答えられた。
え、ヘーゲル?って、あの弁証法のヘーゲル?

で、今日、たまたま渋谷のロフトで、岩波書店版『大論理学』を発見したので、パラパラめくった。四分冊で、一冊平均4000円、という、いわゆる岩波価格。2002年に出版されたはずなのに、旧漢字表記。例えば、「区」は中が口が三つあるもの(『區』)。どうやら、1950年代に出されたものを再出版しただけらしい。

ただ、この旧漢字表記、読みにくいかというとそんなこともなく、短文かつ断定調で書いてあって、意外とわかりやすかった。最初はいかめしい感じがしたページも、旧漢字の読み取りが適度な緊張を強いるため、頭が暗号にでも向かうモードになり、むしろ理解しやすいようにすら感じられた。といっても、数ページ見ただけだから、全部読もうと思ったら、やっぱり相当大変なんだろうなとは思うけど。

ためしに、最近出版された、比較的評判のいい訳者のものを見てみると、ひらがなが多く、かつ、「ですます調」で、読み流せてしまう分、わかったようでわからないような感じが残る。旧漢字を利用した方が、違和作用があるせいか、硬質で物質的な、何か不気味なものとしての印象をもってしまうのは、不思議なものだ。

しかし、2002年に売り出すなら、漢字表記ぐらい直してもいいんじゃないのか、とも思う。

と同時に、たかだが50年ぐらい前の本を読むのに、こんなに抵抗を感じるのも困ったものだ、とも思う。

コロンビア大学に留学したとき驚いたことの一つとして、1870年代くらいの、ハーバード・ロー・レビューの論文が、インターネット経由のデジタルデータベースで検索できて、家で読めたことだった。日本でいえば、明治維新の頃の文書がデータベース化されていて、かつ、それが英語として読めてしまう、というのが驚きだった。アメリカは、建国以来200年間、政体が変わっていないことをまざまざと感じさせられた経験だった。

だって、同じことは、ありえないじゃない、日本だと。

ちなみに、帰宅して、アマゾンで調べたら、件の岩波『大論理学』は既に、版が切れていた。一体どうなってんだろう。知人と話したのだけど、東大教養ですら、ヘーゲルの講義がきちんとなされず、本郷に行ってから、ゼロからやり直さねばならず、大変らしい。でも、確かに、このアクセスの悪さ(値段、旧字体、データベースなし)だと、仕方ないのかもしれないが。

そう思って、参考までにアメリカのアマゾンで調べたら、ペーパーバックで25ドルで売られていた、25ドル。

この差は大きいよね。

ちなみに、留学したときの学生アパートのそばに、学術系の本屋があって、そこには、科学系から人文系まで幅広く、新旧の本が取り揃えられていた。特に、古典といわれる本は、ペーパーバックで数ドルで売られていたし、古本ならさらに安かった。一番驚いたのは、日本だとハードカバーの全集でしか見られないフロイトの著作が、全てペーパーバックで棚を一つ全部占めていたこと。日本でも有名な、ポストモダン系の、デリダ、フーコー、ドゥルーズなどの本もペーパーバックで10ドルぐらいで売られていた。

こういうことは、日本にいると気がつきにくいと思うのだけど、とても不安になる。こんなに、ちょっと昔のことも追跡不能になってしまう、アクセス不能になってしまう状況ってどうなんだろうか、と。