夏にNYから帰国してから、渡米中の空白を埋めるべく、せっせと小説も読んできたのだけど、いつの間にか、ライトノベルが市場の中心に来ているようで。
阿部和重もそうだけど、現在書かれている小説?ノベル?、って、シーンとキャラから発想されているようだ。大なり小なり群像劇を装い、複数のキャラが、一個の小説を越えて、複数の小説にも登場する。
シーンがあって、キャラがいて、その台詞からなるシナリオがあって、そのト書きの部分が、地の文として、状況設定の詳細が書き込まれる、という流れか。別にシーン発想がいけないなどというつもりはさらさらない。ただ、文章を読むときの姿勢がだいぶ変わってきたな、と思う。
西尾維新がユリイカ特集号で取り上げられていたとは・・・いやはや。
村上春樹-柴田元幸-ポール・オースター、というラインで、米日の都市小説がシンクロしている、といわれ、その流れでなんとなくマンハッタンの風景に触れていた身からすると、ラノベの類は、確かに日本オリジナルの展開に思える。
気になるのは、それがどれくらいユニバーサルなものになるのだろうか?ってこと。
ちなみに、ラノベ文芸誌であるファウスト(講談社)は台湾進出が決まったようだけど。一種のメタ・ファンタジーと考えれば、米欧にも到達するのかな?でも、日本のアニメも一頃得た勢いがアメリカでも翳ってきていることを考えると、もう一山越えねばならないのかもしれない。
とまれ、こうした文芸(?)批評の領域は、ジャンルの認識や、批評の方法論の導入の仕方など、さまざまな作法が前提とされる分野なので、インプットしつつ、書いていく予定。